twinkling 4|なぎさ★★


 夜は闇に塗りつぶされるためにある。

 わたしは、その闇に汚されるために生きている。闇に塗りつぶされた夜は、ベンタブラックよりも黒い。その黒い闇がわたしのからだのありとあらゆるところを塗りつぶしている。


 何度も、

 何度も、何度も、

 何度も、何度も、何度も、

 何度も、何度も、何度も、何度もだ。


 わたしはどれほど汚れてしまったのだろうか。

 いつか、白馬に乗った王子さまが助け出してくれるなんてあたまお花畑なことは考えたことがない。もし、そんなことを考えている子がいたら、可笑しくて笑っちゃう。王子さまは物語のなかだけだし、マリオのスターはゲームのなかだけだよって指摘したい。


 現実はね、期待するだけ絶望が増える仕組みになっている。そういうシステム。



 だけど、わたしは、助け出された。

 現実の児童福祉法という仕組みによって。


 牢屋から助け出されたわたしは、一時保護所というところでたくさんのフクシの人と話をした。どの人も


「あなたのために」

「あなたの意志を尊重する」


と言った。しばらくの間、何も言えなかったのは、殻の所為ではない。さなぎの所為でもない。驚きの所為だ。だって、わたしの家には、「尊重されるあなた」も「あなたの意志」も、なかったのだから。


 GHに来ても驚くことばかりだった。

 わたしがそれまで生きていた世界とは違いすぎて。わたしと世界との間には、常に薄い膜が張ってあった。膜を張ったのは誰だろう。ゴム手袋みたいな、ぶよぶよの膜。見えないけれど、存在する膜。わたしと世界を隔てる膜。その膜は、さなぎのになったからだとおもっていたけれど、違った。長い間、虐待を受けているとそういうことがあるらしい。これも、フクシの人から聞いたこと。あれ、あの人は、フクシの人?


 __その膜が破れたら、わたしは蝶になれるの?

 とわたしが聞くと、


 __なぎささんは、これから、何にだってなれるよ、

 と言われた。


 むむむむむ、困ったぞ。

 わたしがなりたいものって何だろう?蝶になれないことくらい知ってる。でも、蝶にならずにあの家から自由になったわたしには、なりたいものが何も浮かばなかった。


 __ねえ、わたし、何になりたいの?

  わたしは、わたしに聞いてみる。


 しーーん。

 しかし、なにも起こらなかった。


 むむむむむ、困ったぞ。

 わたしは何になりたいのか、本人にも分からないのだ。これでは、事件は、迷宮入りしてしまう。仕方がないので、わたしは、自分に言いかける。


 人生は答えの出ない迷宮なのだ、と。



「……なぎさ」

 たまみの声が、わたしを『いま、ここ』へと連れ戻す。どうやら迷宮を脱出する鍵は、たまみの声にあったようだ。


「あ、わたし、また、どこか行ってた?」

 とたまみに尋ねると、


「だね」

 と返事が来る。


 たまみらしい返事。たまみの言葉は短い。


「はよ」

「ねむ」

「めし」

「ごち」

「ます」

「だり」

「だる」

「だね」


 並べてみると五段活用の暗記表みたいだ。ここでも、学校でも変わらない。だれとでも話すけれどけど、だれとも仲良くならない。たまみの半径1メートルには、万人には視えない結界が張られているのかもしれない。たぶん、その先にあるものを守るための。わたしの殻と同じく。たまみの結界がどういった理由で、どのように張られたか、わたしは知らない。ホームにいる子には、みんな、触れてはいけないもの、触れられないものを抱えている。だから、ここで、おだやかに暮らしていくためには、お互いの距離感に慣れることが重要なのだ。わたしは、その距離で囲まれた空間を、絶対領域と呼んでいる。わたしの、殻の中、みたいな。


 もっとも、わたしの場合は、そこに恐怖もある。大きな恐怖だ。だって、わたしの殻の中は汚物に塗れているから。汚物は、わたしの中から溢れて、どんどん流れて来る。それは、わたし自体が汚物だということを証明している。好き好んで汚物になった訳じゃない。なぜ、わたしが汚物にならなくちゃいけなかったのか、だれか理由を知っていたら教えて欲しいと問いかけてみる。


 しーーん。

 しかし、なにも起こらなかった。


 ね、だったら、自分でどうにかするしかない。これは、なかなかの難易度だった。だがしかし、そう、わたしは、ついに、汚物の攻略法も発見したのだ!すごいぞ、すごすぎるぞ、わたし。汚物の攻略法は、聖なるナイフ(と呼んでいるカッターナイフ)で、わたしの肌をすこしだけ切るのだ。あまり力を入れずにすばやく引くのがコツ。しばらくすると、真っ直ぐ引かれた線から、ぷぷぷぷぷと小さな赤い球が姿を見せる。小さな赤い球の中には解毒剤が含まれている。空気に触れた赤い球は潰れ、中に含んだ解毒剤が線に沿ってじんわりと滲む。そうして汚物を浄化してくれるのだ。この経験を活かしたら、解毒博士になれるかも知れない。どうだろうか。


 わたしは、それになりたいの?

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