twinkling 4|なぎさ★



 __さなぎ


 わたしに付けられた渾名。

 もちろん、悪意とともに。


 自分の殻に閉じこもるのは得意だ。殻はわたしを守ってくる。色々なことから。どれも悪意に塗れていることが、共通項だ。いったん殻に閉じこもれば、無敵になる。殻の外から侵入しようとする敵を、スターをゲットしたマリオみたいにポコポコポコとやっつける。ね、無敵でしょ。


 GHに来る前、わたしは実家にいた。


 実家は都心から離れた郊外の外れにある田舎の狭小住宅だった。そこで『◾️ヤミ』と暮らしていた。十三歳の夏まで。


 母親は、小学校の卒業式の翌日、家を出た。離婚は既に成立していたらしい。らしいと言うのは、中学へ提出する書類の家族構成の欄に母親の名前がなかったことで知ったから。最初の個人面談で「大変なこともあるかと思うけど、頑張って充実した中学生活にしよう」と励まされた。この先生は、大人のくせして、事実を知ることと受け入れることの間には時間のズレがあることを知らないのだろうかと、訝しんだ。結局、母親は、何もかもから逃げたかったのだとおもう。わたしが母親の立場でも、同じようにしただろう。


◾️ ヤミ』が衝動的に殴りつけた壁の穴は、いまでもそのまま残っている。


◾️ ヤミ』は、土木関係の仕事をしていた。

社員一人の事務所、いわゆる自営業というやつだ。工務店が下請けした仕事を貰って稼いでいた。孫請けというやつだ。孫請けならまだ良い方で、振られる仕事の大半は曾孫請けや玄孫請けだった。


 なけなしの貯金を頭金に、三十五年ローンを組んで手に入れた中古住宅が『◾️ ヤミ』の誇りだった。バブル期の勢いで建てられその家に、住みやすさなんて高尚な概念は備え付けられていなかった。一年中湿気が酷く、黴臭く、毎年、台風が来るとどこかしら雨漏りした。匠の技で快適空間に変わることを、何度、夢見たことか。


 しかし、それ以上に、閉め忘れたガスに火が引火して爆発する夢を繰り返し見た。夢だと分かった瞬間、わたしが抱くのは安堵感ではなく、絶望感だった。わたしにとって、この家は、CMで語られる安心も、安全も、ぬくもりも、愛も、一切ない場所だった。『家』以外の名前で呼べと言われたら、わたしは迷わず『牢屋』を選ぶだろう。でなければ『地獄』だ。


 わたしら何かの罪を犯したのだろうか。

 産まれることが罪ならば、わたしは罪人だ。





◾️ヤミ』が性的虐待をするようになったのは、十一歳で初潮を迎えた直後からだ。狭い部屋で親子三人が川の字に寝ている寝室だったから、母親が気付かないはずはなかった。母親は気付かない振りをした。わたしは、最初、『◾️ヤミ』が寝ぼけて母親とわたしを間違えてるんじゃないかとおもった。しかし、『◾️ヤミ』と目が合った瞬間、その考えは違うと悟った。夜の暗闇のなか、『◾️ヤミ』の目はあかあかと燃えていた。同時に恐怖と不安に襲われた。わたしは声を出して母親に助けを求めるどころか、息をすることさえ出来なかった。母親が反対側を向き、わざとらしくグーグーグーといびきをかき始めたとき、恐怖と不安は絶望に変わった。この家には、わたしを守ってくれる人がいないことを知った。頼り甲斐のある父親と優しい笑顔の母親は、CMの中に閉じ込められた虚構でしかなかった。そうでしょ?


 家は、歓楽街の路地裏よりも、武力抗争地区よりも危険な場所となり、わたしはそこで搾取され続けた。歯向かうことも、逃げることも、助けを求めることもできなかった。わたしに残されていたのは、ただ、殻に閉じこもることだけだった。だから、わたしは、ひたすらに閉じこもって、底の方へと隠れた。殻に閉じこもれば、襲ってくるすべての敵をやっつけることができた。スターをゲットしたマリオみたいに。スターはなかったけれど。


 やがて、生理が止まった。

 不審におもった中学の養護教諭がスクールカウンセラーへ繋いで事が発覚したとき、妊娠十四週目に入っていた。わたしは児童相談所に保護され、すぐに堕胎手術が行われた。『◾️ヤミ』は逮捕されて有罪判決を受けた。母である人は養育を放棄した。そうして、わたしは、住んでいた地域と遠く離れた場所で暮らすことになった。



 そうそう、さなぎの話だ。

 わたしが、なぎさから、さなぎになった話。


 わたしは、そうやって殻に閉じこもり続けていたから、閉じこもるたびに、その殻は厚くなっていったの。厚くなればなるほど、襲って来る不快な敵をポコポコポコと簡単にやっつけることができたんだよ。無敵、無敵。狭い家のなかでも、その場所だけは、『◾️ヤミ』に見つかることはなかった。だって、そこは、わたしだけの場所だからね。


 だから、わたしは、毎晩のように、殻に閉じこもった。いつしか、殻に閉じこもった状態がデフォルト設定となった。だって、『◾️ヤミ』はいつやってくるかわからないのだから、デフォルトにしていた方がライフを減らさずに済んだ。そう、わたしは、ついに、『◾️ヤミ』の攻略法を発見したのだ!すごいぞ、わたし。わたしのからだが汚されるたびに、わたしはつぶやく。ポコポコポコ。ほら、無敵。



 わたしは、学校でも殻に閉じこもった状態でいた。無表情になり口数の少なくなっていくわたしを、最初こそ面白がっていた友達も、だんだんと薄気味がるようになった。一番の仲良しだったよっちゃんと、もえちゃんも、わたしを避け始めた。わたしは、学校でも、ひとりぼっちになった。でも、だいじょーぶ。無敵だからね。理科の授業の話し合いのとき、なにも喋らないでいたら、ミゾバタくんに、「こいつ、なんも言わねーの。なぎさじゃなくて、さなぎじゃね?」と言われた。同じ班の子は「うける~、まじ、さなぎ~」と手を叩いて大爆笑していた。


 で、わたしは、さなぎになったの。


 さなぎになったのなら、いつか、蝶に羽化するのだろうか。羽化するなら白い蝶がいい。真っ白な蝶。そうしたら、どんなにいいことだろう。どこへでも飛んでいける。菜の花畑を散歩しよう。ひらひらひらひら。上手に飛べるかな。わたしって運動音痴だから、ちょっと心配だ。でも、きっと、蝶なんだから上手に飛べるだろう。葉っぱに止まって昼寝するのもいい。そよ風が吹けば揺れるゆりかごだ。最高。でも、もう殻に閉じこもっていないから、敵には注意しなくてはいけない。カマキリが襲ってきたら、ふわりと、空へ逃げよう。かまの届かないところへ。だれの手も届かないところへ。そうだ、蜘蛛の巣につかまらないように、ちゃんと前を見ていないといけないね。うん、大丈夫。きっと、わたしは、うまくやっていける。


 しかし、わたしが蝶になることはなかった。

 残念ながら。

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