twinkling 1|ひかり★★★
*
「で、なに、結局、この野良、連れて来ちゃったわけ?」
事情を聞いた午後勤の森下さんが、ため息をつく。
「うち、動物ダメなのは知ってるでしょう?」
森下さんは、ふたつ目のため息をつく。そうなのだ。GHでは基本的に動物を飼うことが禁じられている。様々な事情と配慮が組み込まれた上での禁止事項なのだ。
そのことは、あの場で、噛み砕いて何度もゆきこに伝えた。言葉の意味は伝わったはずだった。それでも、ゆきこは、猫を離そうとはしなかった。自分からは滅多に希望や要求を言わないゆきこが、めずらしく言ったのだ。連れて帰る、と。
いや、ゆきこが自己主張した言葉を、ひかりは初めて耳にした。小一時間ほど押し問答が続いたあと、わかなが「一回、連れて帰ったら満足するんじゃん?」と言い、わたしはその意見に従った。これじゃどっちが職員なんだかわからんと、めげそうになりながらも、からからの雑巾から水気を絞り出すように無理やり気力を振り絞って、GHへ戻って来たのだった。
リビングでは、中学生組がわーわーと騒いでいる。いや、きゃーきゃーか。猫アレルギーの人間がひとりもいないのが不幸中の幸いだ。しかし問題は全く解決していない。中学生組が、あれこれとゆきこに質問するのだが、先ほどから、ゆきこはただひとつの言葉しか発していない。
「飼う」だ。
おいおい、初語とイヤイヤ期と思春期、同時に来たか!?と、突っ込みたくもなるわたしの気持ち、誰か分かってくれよと、自分を慰める。
そこへ、本所への連絡を終えた森下さんが戻ってくる。心なしか眉間の皺がいつもの二割……いや、三割り増しに見える。その原因は、間違いなくわたしにある。たしか、神はその者に乗り越えられる試練しか与えないと聞いたことがある。ならば、この試練は乗り越えられるはず。わたし乗り越えろ!限界を超えてゆけ!と、言い聞かせてみる。たが、神の声は聞こえてこない。そりゃそうだよ、うちの墓は田舎のお寺にあって、そこは仏教のお寺さんなんだから。
「結論から言うわね。飼っても良いって、ただし、条件付きで。」
ですよね、と食い気味に言いかけて、はたと止まる。理解が追いつかない。たしか、本日二度目だ。頭のなかにいくつものはてなマークが浮かぶ。ぽかんとしたわたしを横目に森下さんは続ける。
「今回に限り、猫は飼っても良いけど、そのためには条件があるってことよ。まず、動物病院に連れて行って健康診断、寄生虫駆除、ワクチン接種を済ませること。GHに室内飼育できる環境を整えること。これは業者を手配するって。それと、世話は職員を中心として、子どもたちにも可能な範囲で役割を持たせること。これが、連れて来た猫くんをここで飼うための条件。」
まさかの展開に、わたしは驚きを隠せない。それと同時に、子どもたちだけでも、手を余しているわたしに、猫の世話をする力、いや、根性?いや、それはもはや可能性と言った方が良いのかもしれない、それがあるかどうかだ。
「最後の条件、まあ、これが最大の問題なんだけど、児相のオーケーを取ること。以上、すべてクリア出来たらの話よ。」
「じ、児相のオーケー、ですか……。」
わたしは、すでに、及び腰だ。
「そう。」
「えっと、それは、誰が取るんですか?施設長?」
「何言ってんのよ、あなたが取るに決まってるでしょう?」
森下さんの眉間が三割増しから十割増しになっている。気がする。気がしてならない。だから、見ないように聞き返す。
「そ、そこは施設長か、せめて先輩の森下さんが聞いた方が説得力があるかと……。」
みっつ目のため息がもれる。それは、ため息というより、格闘家が技を繰り出すときの気合に近い。気がする。気のせいであって欲しい。
「あなたが、やりなさい。よろしく。」
そこには有無を言わせぬ圧がある。
ぐぅの音も出ないわたしの背後から声がする。
「よろしく。」
振り返ると、わかながドアにもたれて立ち、手をひらひらさせていた。八方塞がりになったわたしから出た言葉は、威勢の良いものではなく、
「くぅ…」
という我ながら情けない声であった。
*
結論から言おう。いま流行りのやつ。わたしは児相のオーケーを勝ち取った。フフフフ。しどろもどろな説明に、児相の担当者は、こちらが申し訳なくなるほど何度も何度も苦笑いをしていたが、その事実はわたしだけの胸に秘めておいた。
結果を伝えると、子どもたちは想像していた以上に喜んだ。すでに名前も決まっていた。ジンジャーだ。その名を聞いたときは、正直、え?生姜?と訝しくおもったが、ゆきこの説明や聞くと、もうジンジャーにしか見えなくなった。GHで買うことになった猫は茶トラ猫だった。ゆきこ曰く、茶トラ猫は英語で「Ginger Cat」と呼ぶ。その模様が生姜に似ているからだ。おお、すごい、お洒落じゃないか、ゆきこ。わたしは、すっかりその名前が気に入ってしまった。
そして、ジンジャーのことでもうひとつ分かったことがあった。それは、ジンジャーのしっぽは、かぎしっぽであるということだ。かぎしっぽは『「 』のように曲がっていて、日本では古来から幸運や商売繁盛の象徴とされた大変縁起の良いものらしい。なんだか良いことづくしじゃないか。
という訳で、晴れてこのGHに新しいメンバーが加わることになった。かぎしっぽのジンジャーくんだ。あいかわらず、空は、ねずみ色をしていたけれど。
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