5.どうやら、俺の異世界カウンセラー生活は、本格的に始まるらしい…たぶん

一連の後始末を終えて、俺はようやく人心地ついた。


トイレで用を足し、ついでにシャワーも浴びた。異世界にシャワーがあることに驚いたが、魔法で温水が出る仕組みらしい。便利な世界だ。


「ホーリー・クリーン!」


エルスが俺とペルフィの服に向かって手をかざすと、吐瀉物の汚れが綺麗に消えた。


これも便利だな。洗濯機要らずじゃないか。


「で、レオンさんは?」


「近くの酒場に運んでおきました」


エルスが得意げに胸を張った。


「透明化魔法が使えるようになったので、外から見たら彼が変な姿勢で歩いているようにしか見えません」


変な姿勢で歩く冒険者リーダー。それはそれで問題な気がするが、まあいいか。


俺は壁の時計を見た。8時50分。


ペルフィはまだソファで寝ている。メモリー・イレイザー…いや手刀の効果がまだ続いているらしい。


そこで、俺はふと気づいた。


「なあ、女神様」


「何ですか、私の愛しい信徒?」


なんだその呼び方は。気持ち悪い。


「……確か、営業時間は朝9時からだったよな?」


「そうですよ」


「レオンさんが来たのは何時だった?」


「……6時過ぎですね」


俺は数秒間、沈黙した。


そして——


「なんで『営業時間外です』って言わなかったんだよ!」


「え?」


「あいつ、見るからに正統派主人公タイプだろ!『申し訳ございません、9時からの営業なんです』って言えば、『分かりました、では9時に出直します』って素直に帰るタイプだろ!」


エルスの顔が固まった。


彼女は神々しい感じで、真剣に考え込んだ。


そして、ゆっくりと顔を上げた。


「……その通りですね」


「その通りですね、じゃないよ!」


俺は頭を抱えた。


「自分で決めた営業時間くらい覚えとけよ!」


「だ、だって!」


エルスが反論した。


「昨日あなたが『一日一時間営業にする』とか言い出したから、混乱したんです!」


「それに同意したか?してないだろ?むしろ反対してたじゃないか!」


「でも——」


「しかも、あの時お前の背後の光、めっちゃ強くなってたぞ!魔法の詠唱してたんじゃ——」


そこで俺は気づいた。


「あれ?」


「どうしました?」


「お前の背後の光、消えてる」


エルスも自分の背後を振り返った。


確かに、朝まであった神聖な光が完全に消えている。


「あら、本当ですね」


エルスが自分の顔を触りながら、なぜか恥ずかしそうにした。


「どうしてでしょう?」


俺は再び沈黙した。


そして、確信を持って言った。


「魔力切れだろ」


「ち、違います!」


エルスが慌てて否定した。


「じゃあ何だよ」


「それは……その……神界のエネルギー循環システムが一時的に不調で……」


「はいはい」


「あと、地上界との波長調整が必要で……」


「ふーん」


「それに、朝の時間帯は神力の流れが不安定になりやすくて……」


俺は黙って聞いていた。


そして——


「ちっ」


舌打ちをした。


思いっきり軽蔑を込めて。


「うわああああん!」


エルスが泣き始めた。


「ひどい!但馬さんひどい!」


「は?」


「今の舌打ち、すごく馬鹿にしてました!謝ってください!」


「なんで俺が——」


「うぅ……」


その時、ソファからうめき声が聞こえた。


ペルフィが目を覚ましたらしい。


「あれ……ここは……」


彼女はゆっくりと起き上がり、後頭部をさすった。


「痛い……なんで頭が……」


そして、俺たちを見た。


「あ、あなたたち……まさか私、変な宗教に勧誘されて……」


ペルフィの目が俺を捉えた瞬間、瞳孔が明らかに開いた。


おお、これが「イケメン効果」か!


内心でガッツポーズを決める俺。


「べ、別にあんたがイケメンだからって入信なんかしないわよ!」


ペルフィが慌てて叫んだ。


「私はトトル教の信者なんだから!」


トトル教?なんだそれ。


俺が振り返ると、いつの間にかエルスが助手服に変装していた。ただし、また中途半端で、銀髪はそのままだ。


本当に変装下手だな、この女神。


「いや、俺たちは宗教団体じゃないから」


俺は苦笑した。


とか、まあ確かにそうだけど——」


自分で言うなよ、と思ったが、せっかくなので強調しておいた。


「——それは関係なくて、ここは心理カウンセリング店だ。覚えてない?昨日、君が酔っ払って来たんだよ」


「そ、そうだったかしら……」


ペルフィが必死に思い出そうとしている。


「頑張って、思い出して」


エルスも優しく声をかけた。


ペルフィは眉間にしわを寄せて考え込んだ。


「あ……」


記憶が戻ってきたらしい。


「そうだ!昨日、恋愛相談しに来たんだった!」


「そうそう」


「それで、お酒飲みすぎて……」


「うん」


「それから……あれ?なんか、隊長に会ったような……」


ペルフィの顔が青ざめた。


「まさか、私、隊長に向かって思いの丈をぶちまけて……しかも吐いちゃって……」


「そんなことない!」


俺とエルスが同時に叫んだ。


「え?」


「き、記憶違いだよ!」


俺は必死に否定した。


「酔っ払ってたから、夢と現実がごっちゃになってるんだ!」


「そうです!」


エルスも援護射撃を始めた。


「アルコールは脳の海馬に作用して、記憶の形成を阻害するんです!さらに、レム睡眠時の記憶の整理過程において、断片的な情報が誤って結合されることがあって——」


どこでそんな知識を仕入れたんだ。


「それに、エタノールの血中濃度が上昇すると、前頭前野の機能が低下して——」


「分かった!分かったから!」


ペルフィが両手を上げて降参した。


「記憶違いってことでいいわ……」


そして、小声で呟いた。


「やっぱり怪しい宗教団体なんじゃ……」


「違うって」


「そうだ!」


エルスが突然立ち上がった。


「エルストリア教に改宗しませんか?今なら入信特典で——」


「やめろ」


俺がエルスを睨むと、彼女はまた涙目になった。


「うぅ……いじめる……」


なんだこの女神。ポンコツすぎるだろ。


ペルフィは俺たちの掛け合いを見て、なぜか安心したような表情を浮かべた。


「まあ、いいわ」


彼女は急に背筋を伸ばし、エルフ特有の高貴な雰囲気を纏った。


髪をかき上げ、緑の瞳で俺を見据える。


「今日こそ、ちゃんとカウンセリングしてもらうわよ」


「え?」


「だって、昨日は結局何も解決してないじゃない」


確かにその通りだ。


「私の恋の悩み、ちゃんと聞いてもらうんだから」


ペルフィが椅子に座り直した。


「覚悟しなさい、カウンセラー」


俺は苦笑した。


営業時間まであと5分。


どうやら、俺の異世界カウンセラー生活は、本格的に始まるらしい。


でも、ちょっと待てよ。


俺、まだカウンセリングの勉強してないんだけど。


エルスを見ると、彼女は相変わらず涙目で拗ねていた。


頼りにならないな、この女神。


でも、まあいいか。


なんとかなるだろう。


たぶん。


きっと。


……なるよな?

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