第21話 怒れる?豆腐

 俺は大きく、息を吐いた。いつの間に、肺にかなりの空気がたまっていた。全身の筋肉が緊張から解放され、少しずつ緩んでいく。


 終わった。タンチョククコも、グイーバー星人ももういない。戦闘はもう起こらない。


 何より、山はこれ以上食い荒らされない。アサカミキリもクツワムシも、とりあえずは一安心だ。


「ほら、立つっす。行くっすよ」


 マオが呼びかける。俺は立ち上がった。久し振りに体に力を入れる。


 その時、視界に入ってきたものがあった。


 タンチョククコだ。もう動かない、タンチョククコの死体。


 しばらくタンチョククコを見つめた。この生き物が、まだ動いていた時の事を思い出す。


 川辺に寝そべりながら、足で体をかいていた。恐ろしい地球外生命体が一瞬見せた、生物らしい瞬間。


 もしここに連れてこられなかったら、こいつはどんな暮らしを送っていたんだろう?別の星で、同じような運命を辿っていたんだろうか?それとも……。


 調子いいなあ、と自分でも思う。ついさっき殺されかけたばかりなのに、死体になって安全が確保された瞬間これだ。


 でもそれを言うなら、例えばイノシシだって同じだ。脅威には違いない。でも、生き物なのだ。


「わたしはこれからやる事があるっす。死体処理、生存者の捜索。それから建物の爆破。わたしや須崎クンがいた、って情報は残したくないっすからね。それも、ここに人が来ないうちに、素早くやらなきゃならないっす。

 須崎クンは早く帰るっすよ。君がここにいるのがバレるの、マズいっすから」


 マオは一旦言葉を切ってから、こう告げた。


「さすがにタンチョククコに手を合わせるくらいは、してもいいっすけど」

「……感謝する」


 手短にやらなきゃいけない。俺はすぐに、タンチョククコに向かって手を合わせた。


 頭の中であれこれ話しかけたりなんて出来ない。何て話せばいいのかも分からない。ただもう1度だけ、あの何気ない仕草を思い出した。


 目を開く。マオが開けた大穴に向かって、俺は走り出した。


 基地を出て少しすれば、帰り道は自ずと分かった。なんせ行き慣れた山だ。


 走ったり歩いたりを十数分繰り返しているうちに、町に出た。小さな家が立ち並ぶ住宅街。人気は全くなかった。だが、直に人も戻るだろう。


 夏場の昼だ。かなり蒸し暑かった。汗が自然に出てきて、クーラーとか扇風機の存在が頭をよぎる。住宅街は日光のおかげで、少し白っぽく見えた。


 町を歩く。作和小学校にはすぐに着くだろう。今のうちに、どうやってマオやタンチョククコの事を触れずに誤魔化すか、考えておかないと……。


「あっ!」


 急に後ろから大声。ビックリした。しかし次の声で、俺は声の主を悟る。


「いた!兄貴だ!!」


 俺は振り向いた。久し振りに顔を見た。千堂シュンジだ。


 千堂がこっちに走ってきた。額に大粒の汗が、たくさんこびりついている。


「兄貴!大丈夫か?怪我は?」

「ああ、大丈夫……」


 そう言いながら、俺は頭の中で状況を整理。まさか、俺を捜してたのか?


 そう思っていると、

「須崎君いた!?」

 と、別の声がした。


「いました!」

 と、千堂が答える。珍しい。千堂が集団行動だなんて。


 誰なのか千堂に聞くまでもなかった。道の向こうから、こっちに来る人影がある。走っている……らしいのだが、歩き方が少しぎこちない。


 1度しか会っていない、でも見覚えのある顔だった。


「三村さん……!?」


 意外な顔だった。まさか彼女も俺を捜してたのか?


「足は大丈夫なんですか?」

「大丈夫か聞きたいのはこっちの方やで!1人で五甲山に突入するなんて……ヤバい目にあっとんちゃうかって、ホンマに思ったぞ!」


 三村さんは俺の質問には答えなかった。しかし、さっきの歩き方を見れば、彼女の足の状態は何となく想像がつく。心の片隅に、後ろめたさが芽生えた。


 俺の事を千堂に任せ、三村さんは電話を始めた。


「あ、マキタ君?須崎君見つかったで!」

 俺の目が、大きく見開かれた。


 マキタさん。バイオコップの宿主、かもしれない人。


「兄貴と一緒の避難所にいたらしい。今は街の外れを探しててさ……おれもマキタさんの顔、ちゃんと見てない」

 千堂が教えてくれた。

 

 また足音が近付いてきた。


「須崎!!お前無謀にも程があんだろマジで……」


 またも、意外な顔だった。矢野だ。


 それから矢野の後ろに、1組の若い男女。俺と同年代か、年下に見えた。少年は矢野によく似ていた。少女の方は褐色肌に黒髪、外国人に見えた。


 以前矢野が「弟に南米出身の彼女が出来た」とか喚いていたのを思い出した。まさか、その弟と彼女か?


 その通りだったらしい。少年の方が

「どうも、カイの弟です」

 と挨拶してきた。俺はまたも、軽く会釈。矢野をチラリと見ながら、そういえばそんな名前だったな、と考える。


「そうだ、ご両親に連絡しないと」

 マキタさんがポケットからスマホを取り出す。


「不明体が近くにおるかもやし、これから小学校に戻るで。ご両親とはそこで落ち合えるはずや」

 と、三村さん。


 どうやら、みんな俺を心配して来てくれたらしい。正直、こんなに集まるなんて以外だった。来るとしても千堂くらいのものだろう、と勝手に思っていた。


「大丈夫だったか?山で何があった?」

 千堂が話しかけてきた。虫を助けに入山したが、明らかに異常な鳴き声を聞き、危険を感じて撤退した……という事にしておいた。千堂には後で事情を話そう。


 説明している間、三村さんがずっと俺を見てきた。


 まるで射抜くような視線だった。千堂や矢野兄弟、カイ君の彼女と比べて、なんだか雰囲気が違うような気がした。


 怪しまれているのだろうか?突っ込んだ質問をされる、という事はなかったが……。


「とりあえず、行こう。兄貴のご両親にも報告しないと」

 千堂が声をかけてきた。




 数日後。


 早いもので、避難命令はすでに解除されていた。作和市の住民は、俺や千堂を含めほとんどが自宅に戻っている。生活もほぼ日常通りに戻っていた。


 戻っていないのは五甲山だ。五甲山周辺は、現在立ち入り禁止。山の近くに住んでいた住民も、まだ避難生活だ。


 山の地面が露出し、雨が降れば土砂崩れの危険がある。不明体が数日居座っていた事を考えれば、毒性物質がないか調査する必要もある。もっとも、入山してタンチョククコとも接近した俺に、今のところ体調不良はないが。


 いずれにせよ、五甲山には戻れない。いつ戻れるかの目処もついていない。大好きな山に、俺は入れないままだ。


 そして。


 そこはいつものアパートの一室だった。窓からは夕日がこぼれてきている。


 俺はちゃぶ台に座っていた。向かい側には険しい表情のマオ。その後ろには、分かりやすく不安げな顔の千堂。


 俺はまず、マオに事情を洗いざらい話した。なぜ山に入ったのか、だ。嘘もごまかしも一切しなかった。あの戦いの後だと、そんなものが通用する気がしなかった。


 マオはマオで、口を挟んだりせず、静かに俺の話を聞いていた。


 一通り話を聞くと、マオは少し息をついた。

「連中のアジトの中でも話したっすけど、いくらなんでも無謀過ぎるっす。たまたまわたしが間に合ったから、君は運良く助かったっす。本来であれば、むしろ死ぬ可能性の方が高いくらいの状況っすよ。今後こういう事は絶対にやめてほしいっす」


「……すまん」

 もう一度謝罪しなければならなかった。


「さて、問題は君の処罰っす」

 と、マオ。


「違反の程度にもよるっすけど……わたしのいた部族において、戦闘時の規律違反は基本、厳しめに裁かれるっす。量刑が軽い場合でも、鞭打ちとか、熱した鉄棒を使った根性焼きはザラっすよ」


 向こうで千堂がゴクリとツバを呑んだ。一方俺は表情を動かさなかった。マオが言ったもののどちらかが俺の刑罰、という事だろうか?ならばとりあえず死罪は免れたか?


 しかし。

「が」

 そう言って、マオはニカッと笑った。

 

「この星には例外のない規則はない、って言葉があるらしいっすね?君は私利私欲ではなく、この星の自然のために無謀なマネをしたっす。そこを考慮に入れないでもないっすよ。


 というわけで、君の刑罰はお料理っす!まず日程調整して、どっかの日の夜にみんなで集まるっす。須崎君はそこで麻婆豆腐と冷や奴を人数分作って、みんなで食べるっすよ!」


「……なんじゃそりゃ?」

 拍子抜けした。事前に思い浮かべていた処罰とはあまりにも対照的だった。マオの向こうで、千堂の緊迫した顔が分かりやすく緩む。


「まーまー、なんだかんだ君は生きてるんすから、そのお祝いっすよ。もちろん、次からはこんなもんじゃ済まなくなるっすから。そこは忘れちゃダメっすよ!」


「……助けてもらったうえに、処分も寛大にしてもらった。ありがとう」

「礼を言う事じゃないっすよー。わたしはわたしが取るべき、最善の判断をしただけっす」

 マオはヘラヘラ笑った。完全にいつものテンションになっていた。


「ちなみになんでそんな豆腐ばっかしなんだ?」

「仮面ダイバー見て食べたくなったっす!」


「もしかして仮面ダイバービートル見てたの?」

 今度は千堂が反応した。


「よく分かったっすねえ。さすがっす!」

「序盤の料理対決のヤツでしょ?ビートルって料理のシーン多いんだよね」


 そのうち、千堂とマオだけで盛り上がってしまった。やれやれ、と俺は首を振る。


「須崎君、そこでボサッとしてないで早速日程調整するっす!……あ、でもちょっと待って」

「ん?」

「やっぱ麻婆豆腐と冷ややっこだけじゃ物足りないっすねえ……。チャンプルーとか作らないっすか?」

「そろそろ豆腐から離れてもいいんじゃないか……?」


 そう言いながら、俺はマオについて、不思議なヤツだ、と思い始めていた。地球人を次々と攻撃に巻き込み、グイーバー星人はあんな無慈悲に惨殺し。それでいて地球の自然や文化、習俗を、ともすれば地球人以上に楽しんでいる。地球や地球人を愛しているのか、とすら思えてくる。


 やれやれ、と俺はかぶりを振る。とりあえず、俺もこの時間を楽しむしかなさそうだ。

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