第19話 命を救う音

 その日の朝。


 俺=須崎ソウタは目を覚ましてから、いつものように校庭に行った。五甲山の様子を見るためだ。


 五甲山の腫瘍は、また広がっていた。今度はいつもより広がりが大きいように見えた。


 そして。


 俺の目がにわかに見開かれる。腫瘍の広がるルートが、いつもと違う。山の中腹から、一気にふもとの方へ下っている。


 俺の頭にある事態が浮かんだ。


 急いでスマホを取り出す。電源をつけ、作和市のホームページへ。ページを開いてすぐ、最新のニュースが表示される。


 俺の予想は、当たった。当たってしまった。


 あの池に、不明体タイプNと呼称される巨大生物が出現。池を襲撃した。監視カメラが破壊され、具体的に何が起こったのかは不明だ。


 しかし、その結果は誰の目にも明らかだった。ホームページに写真が載っていたのだ。


 もはや池の面影は、地面に出来た巨大なくぼみだけだった。草木も、水もない。ただのクレーターだった。


 頭の中に、池の光景が思い浮かぶ。水の音、足元の草木、その周りの木々。虫のさざめきや鳥の声。そしてあの日見た、ツマグロヒョウモンの幼虫とクロアリ。


 あの光景は、もうない。


 画面をスクロールする。監視カメラが捉えたという、タイプNの画像が映っていた。


 モノクロで、詳しいところまでは分からない。ただ、頭のシルエットはサンショウウオに似ていた。そして、デカい。ちょっとした怪獣くらいの大きさはありそうだった。


 しばらく、俺はその場に突っ立っていた。


 自分が怒っている、と気付くのに、少し時間がかかった。しかし一体何に。


 タイプNにか?間違ってはいない。タイプNにも、確実に怒ってる。しかしそれだけじゃない。


 しばらく考えて、気付いた。


 ああそうか。

 

 俺は俺に怒っているのか。


 思えばなんてザマだ。自分の命が救われた山があんな事になっているのに、無事を祈るだけで何もしなかった。意味ないじゃねーか。


 誰も何もしないのだ。タイプNは気ままに山を荒らす。いつかはあの池も犠牲になる。当然の事が起こっただけだ。


 俺が何かすれば、状況が変わったとは思わない。しかし、何か出来る事はあったんじゃないか?


 出来る事……何だろう?タイプNを殺して、山の生き物を守る?無理だ。まず勝てないと思った方がいい。


 だが、生き物を守るとは、別にグイーバー星人やタイプNと戦う事に限らないんじゃないだろうか?例えば、安全な場所に避難させるとか?


 山の生き物を全て避難させる事は無理だ。選ぶ必要がある。


 例えばショウリョウバッタやコクワガタなら、この山の個体が全滅しても、種全体は生き延びられる。彼らは普通種だ。絶滅危惧種じゃない。


 逆にアサカミキリやクツワムシは、全国的に数を減らしつつある。彼らにとって、1つのコミュニティが全滅する事の意味合いは重い。


 そうだ、アサカミキリとクツワムシ。当面の逃がす目標は彼らだ。彼らの食草と共に、何匹かここに連れてきて、世話をしよう。事件が解決してから、元の場所に返してやればいい。


 実を言えば、昆虫の飼育経験はない。ヘマをするかもしれない。しかしあそこに放置していれば、彼らは確実に殺される。それに、SNSを使えば、詳しい人からアドバイスを貰えるかもしれない。


 行政とか警察に頼ろうにも、この状況だ。虫の保護なんて議題にも上がっていまい。


 しかし。


 この前マオに言われた事を思い出す。タイプMと、タイプN。


 マオへの反論は、未だに出来ない。しかし、これ以上ジッとしていられる気もしていなかった。


 俺だって死にたいわけじゃない。少なくともどちらか一方の対策は考えておかないと。


 タイプNは恐らく夜行性だ。これはネットニュースや専門家のインタビューでも繰り返し言われている事だ。山の腫瘍は夜ごとに広がり、日中に広がる事はほとんどない。


 だったら日中に山へ行けばいい……いや、さすがにそれは安直過ぎる。日中に全く活動しない、という保証はない。


 早速、詰まってしまった。なんせこっちは戦闘力ゼロなのだ。タイプNに運悪く鉢合わせたら、まともに対抗できる手段がない。これで五甲山に行くのはさすがに無理がある。


 しばらく、その場に突っ立って考えていた。やはり結論は出ない。


 ある事に気付いたのは、どれほど時間が経ってからだろうか?


 なぜタイプNは、あの池に来たんだ?


 タイプNは元々、山の中腹辺りを真っすぐ進んでいた。それが昨日の夜になって、突然進路を山のふもと側に変更。あの池が犠牲になった。


 なぜ進路を変えた?


 水分補給だろうか?ありそうな話に思えるが……待てよ?


 俺はもう一度山を見た。山の中腹から麓まで、ほぼ直角に腫瘍が折れ曲がっている。


 あの池からほぼ真上、それも山の中腹……。多分、あそこだ。


 俺はタイプNが行く直前で、方向を変えた場所の光景を思い出す。


 平坦な道が続いていて、歩くのが結構楽なところ。山道を登ると、向かって左側に山の斜面が広がり、右側は崖になっている。


多分タイプNは、あの辺りまで進んだ。それから急に山の麓まで降りた。もしあのまま、山道を真っすぐ進むとしたら。


 五甲山の池は1つじゃない。日当たりのいい草むらを抜けて、別のため池につくはずだ。被害にあった池と比べれば、大分小さい池だが……。直線距離でいえば、わざわざ山を下るよりも近いはずだ。


 だったら、なぜ中腹の池ではなく、麓の池に行ったのだろうか?いや、麓の池を選んだのではなく、中腹の池に行けなかったのだとすれば?


 という事を考えれば、単に水分補給以上の、他の理由があるんじゃないだろうか?


 しかし、そんな要因はあるか?あの池や途中の草むらで、毒のある生き物を見た覚えはない。化学物質で汚染、なんて話も聞いてないし、特別危険な地形ともいえないし……。


 ……待てよ。


 思い付いた事があった。あの草むら。毒のある生物はいないが、あそこにしかいない生物ならいる。


 クツワムシだ。


 あの草むらはクズの群生地だ。そしてクツワムシの食草はクズ。クツワムシの生息には最適な環境なのだ。


 クズ自体は他の場所にも生えている。しかしクツワムシは、あの場所以外で見た事がない。移動が難しいのかもしれない。


 そして、クツワムシは夜行性だ。つまりタイプNと同じ夜に行動し、求愛のために鳴く。


 中学時代のちょうど今頃、夜の山に登って、クツワムシの声を聞いた事がある(今思えば無謀な事をした。イノシシにバッタリ出くわすかもしれないのに!)。


 クツワムシが複数いるのも相まって、今でも覚えているくらいうるさかった。まるで虫の繁華街だった。


 あの音を嫌がったとしたら?


 例えば素体になった生き物の、捕食者の声に似てるとか。考えれば考えるほど、ありそうな話に思えた。というかあの一帯でタイプNが嫌がりそうなものといえば、それしか思いつかない。


 そして。


 俺は自分のスマホに視線を落とした。中学時代から使っているスマホだ。あの日聞いたクツワムシの鳴き声も、このスマホに録画してある。


 スマホの電源を付け、ファイルを開く。音声を再生してみた。


 ガチャガチャガチャガチャと、大きな声が響く。プロペラのような機械音にも、ちょっと近いように感じる。音量を上げれば、十分うるさかった。多分音量をマックスにすれば、山の中でもかなり音が通る。


 これを使えば……?


 もちろん、確証があるわけじゃない。だが、もはや確実な方法なんか待ってられない。急がなければ、山の生き物達は全滅してしまう。


 朝食の時間帯は家族だけじゃなくて、矢野とか色んな人々と会う。その間に動き出すのは、他人にバレるリスクが高い。それから少し経った、午前10時頃くらいにしよう。


 とりあえず、アサカミキリだけ連れてこよう。クツワムシは自衛の手段を持っている可能性がある。アサカミキリは丸腰だ。


 それにアサカミキリの生息域の方が、麓からより近い場所にあって行きやすい。アサカミキリ数匹とヨモギを回収して、すぐに帰ってこよう。


 準備もしなければ。虫かご、虫取り網は絶対だ。もちろん水筒もいる。スマホの充電は……今のところ90%以上だが、一応充電し直しておこう。とにかく、今から準備しておかなければ。


 その時。


 俺はスマホに通知がある事に気付いた。千堂からメッセージが届いている。


「五甲山大変な事になってるけど、無茶しないでよ。グイーバー星人に捕まったりしたら、大変な事になるんだから」


 さすが千堂だ。俺の事をよく理解してる。


 しばらく、リアクションを返さなかった。というか、返せなかった。何と書けばいいのやら。しかしあまり放置していると既読無視になる。


 結局数分経ってから、俺はスタンプだけ押した。サムズアップしているキャラクターのスタンプだった。




 数時間後。


 俺は山道を歩いていた。


 時刻は午前11時頃。すでに日は大分登っている。暑い。額からは汗もふく。


 スニーカーで山を登るのは久し振りだった。登山靴も持ってはいるのだが、避難の時のゴタゴタで、とても避難所まで持っていく余裕はなかった。


 辺りは平坦な山道だった。道の両側を木々が覆っている。木々の上から、「シャシャシャシャシャ……」とクマゼミの声が聞こえてきた。


 山の地図は、すでに頭に入っている。あまり時間はかけられない。アサカミキリをすぐ回収して、すぐ戻る。


 タイプNについて、マオからスマホ(正確にはマオとの連絡用のスマホ型機械)を介して説明を受けていた。


 タンチョククコ、という語感がいいのか悪いのかよく分からん名前だった。違う星の生物同士の遺伝子を無理矢理掛け合わせて作られた生物だ。


 愛玩用の生物なのだが、宇宙法で製造自体が違法だ。どんな環境にも適応出来る異次元の生命力、何より体の大きさからはありえないレベルの食欲。逃げ出した個体が自然保護区で壊滅的な被害を出したり、少数民族への圧政に使われたり……といった事もあったそうだ。


「絶対に無理しちゃダメっすよ」

 と、マオからも釘を刺された。


「タンチョククコは視界に入ったものを何でも食う、って思った方がいいっす。バッタリ出くわしたりしたら、確実に死ぬっす」


 嘘ではあるまい。木も土も池も呑み込む生き物だ。人間を呑み込まない道理はない。


 こっそり山へ向かう時、千堂やマオに多少後ろめたくは感じていた。しかし、戻りたくなるでもない。行政も警察も自衛隊も、山の生き物の被害なんて気にしていないだろう。俺がやらなければならない。


 風が吹いて草木が音を立てるたびに、ドキリとした。タイプNなんじゃないかと、不安になる。


 アサカミキリの住むヨモギの群生地までは、実際さほど遠くはない。ここから十数分ほど進めば、小川がある。そこを越えたら、もうアサカミキリの群生地だ。


 辺りをもう一度確認。異様な気配は感じない。目に映る景色にも、特に異常はない。今のところバレていない……と、思いたい。


 とにかく急ごう。俺はまた歩を進めた。


 しばらく行くと、道が段々細くなる。それから川のせせらぎが聞こえてくる。もう川の近くだ。


 小川を超えるまで、もう間もなくだ。後はアサカミキリを回収するだけ。


 ――そこまで考えた時。


 俺は妙な音を聞いた。


 なんだ、これ?


 グッ、グッという音だった。初めはカエルの声かと思った。


 しかし、音が大き過ぎる。とてもカエルに出せる音量じゃない。


 山道の片側に目をやる。ここから下を見下ろせば、木々の向こうに川が見える。多分、その川に「何か」がいる。


 おれは川へ、顔を覗かせた。


 自分がスッ……と息をのむ音が、ハッキリ聞こえてきた。


 いた。


 見た目を一言で言えばサンショウウオ。だが大きさはサンショウウオなど比較にならない。10メートル以上ある。怪獣みたいな大きさだ。それが川どころか両岸をも占領して、寝そべっていた。それから、目にあたる器官も見当たらない。


 肌の色は赤紫色。滑らかな肌だった。しかし背中にはところどころ、不定形のエメラルドグリーンの斑紋がある。まるで宝石を埋め込まれたみたい……というのは、綺麗に形容し過ぎか。むしろ、腫瘍みたいだった。


 今朝見た映像を思い出す。不鮮明な映像ながら、頭のシルエットだけは何となく判別出来た。確か、こんな形だった。


 こいつがタイプN=タンチョククコとみて、間違いなさそうだ。


 グッグッという音も、タンチョククコが喉から出しているらしかった。どういう意図なのかは分からない。単なる呼吸なのかもしれないし、明確な理由があるのかもしれない……俺への警戒とか威嚇、じゃなきゃいいけど。


 しばらく、タンチョククコから目が離せなかった。心臓の鼓動が胸を圧迫している。ヤツが急にこっちを向いたりしたら……と考えると、背筋が一気に冷たくなる。


 当のタンチョククコが、こちらに注意を向ける様子はない。少なくとも見た感じでは。むしろ、リラックスしているように見えた。


 後ろ足を伸ばして、体をポリポリかいている。まるで犬みたいだった。そういえばこいつって生き物なんだよな……と、当たり前の事を考える。


 いやいかん、そんな事考えている場合じゃない。アサカミキリを回収する事が何よりの目的だ。


 スマホを確認。クツワムシの動画はすでにスタンバイしてある。音量も最大。ボタン1つですぐ再生出来る。


 そのまま歩を進めた。目の前には小川。岩が並べられ、天然の橋が出来ている。


 その橋を渡る。水音や岩が川底とこすれる音で、結構うるさく感じた。タンチョククコに聞かれているんじゃないかと、不安になる。


 何度もスマホに目をやった。まるでスマホをしばらく視界に入れていないと呪われるような気がした。


 タンチョククコに目をやる。動き出す様子はない。やはり昼はあまり動かないのだろうか?


 川を渡り終えた。思わず、小さく息をついた。長かった。小さな川だし、渡るのに10秒もかけてないって、頭では分かっているけれど。


 全身の筋肉がほぐれていくのが分かった。ここまでくれば、アサカミキリの生息地まであと一息だ。川を渡ればセーフ、と何となく思い込んでいたらしかった。


 そう――これはただの、思い込みだった。

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