第16話 来たのは誰か
2日前、作和市内 作和駅付近
駅前の広場は人でごった返していた。すぐ近くに繁華街のある駅だ。この辺りは作和市の中心地といってもよかった。
平日の夕方という時間帯でも、かなりの人がいた。ビルにも並木にも、道行く人や車にも、夕陽のオレンジ色がかかっている。
青年はベンチに腰掛け、スマホの画面を見ていた。彼はここでガールフレンドと待ち合わせていた。彼女が来るまでの間、ネットニュースを見て暇つぶしをしていたのだ。
近くからは男が電話をかけている声が聞こえる。スーツ姿で、右手にスマホ、左手にカバン。仕事中らしい。
「はい、かしこまりました。1度お伺いさせて頂ければと存じます……◯日の14時でございますか。申し訳ございません、16時でしたら調整可能なのですが……」
青年は辺りを見回した。青年の背後には洋服店のショーウィンドウ、正面にはスーツ姿で通話する男。向こうからこちらにゆっくり歩いてくる母子。小さい息子は、その手に肉食恐竜の人形を持っていた。
彼女の姿は見えない。もう少し待つ必要がありそうだ。
青年はスマホに視線を戻した。Jリーグの複数クラブがFW野本健二の獲得に向け交渉?大丈夫なのか?能力は申し分ないが、父親譲りかそれ以上のトラブルメーカーだぞ……。
その時。
青年の耳に、普段聞かない音が入った。
まずは何かが落ちる音。それからくぐもった女声。
「もしもし?青島さん、聞こえてますでしょうか?もしもし?」
青年は顔をあげた。さっきまで電話をしていた男がいない。彼の痕跡は、地面に落ちているスマホとカバンだけだった。女声もそのスマホから出てくるものだった。
青年は思わず立ち上がる。あんな一瞬でどこに消えたんだ?それに、スマホとカバンだけ置いていくなんて不自然だ。
辺りを見回す。さっきの男らしき姿は見えない。スマホからはまだ、状況に困惑する女性の声が聞こえている。
その時。
「お母さん、あれ何?」
後ろを振り向く。さっきの少年が青年を指差していた。母親が青年に「すみません」と謝りながら、息子の手を降ろさせる。
しかしそうしながらも、母親は息子と同じ事を考えていた――あれは何?
青年の背中に、大きな物体が張り付いていた。シルエットは枝豆に似ていたが、それよりずっと大きい。数十センチある。ここから見る限り枝豆のような厚みもなく、扁平な造りをしているらしい。色もまるで枯れ葉のような茶色だった。
服のデザインというには明らかに不自然だ。青年も異常に気付いたのか、手を背中に伸ばして、何かないか確かめようとする。
次の瞬間、母親は息をのんだ。
青年の体が、一瞬で浮き上がった。空に飛んだというか、『発射された』というようなスピードだった。青年が一瞬、文字にならないようなうめき声をあげるのが聞こえた。
その青年が飛ばされたのは、宙に浮く奇怪な物体の中だった。一言で言えばUFO。3、4メートルはありそうだった。黒い球形のボディの周りに、土星のように黒い輪が浮かんでいる。下部がまるで花のように開き、巨大な口を開けていた。
一瞬だったが、母親には見えた。青年はあの口の中に、瞬時に吸い込まれた。
そして。
UFOはその1機だけではなかった。夕焼け空には、いつの間にか何機ものUFOが浮かんでいた。すぐに数えきるのは難しいほどの数だ。
人々が空を見上げ始めた。彼らも異常に気付いたのだ。
誰かが叫んだ。不明体。
その言葉が合図になったかのように、UFOが次々と人を吸い上げ始めた。辺りはたちまち、まるでパニック映画のような様相を呈し始めた。あちこちに逃げる人々が、向きのバラバラなうねりを作る。
親子はすぐには逃げなかった。いや、逃げられなかった。目の前の人の波は、小さな子供にとってあまりにも危険だった。
洋服店のショーウィンドウ近くに寄る。UFO達の視界から逃れる事を祈りながら。
しかし。
後方確認のため、後ろを向いた母親は今度こそ凍りついた。
自分と、それから息子。2人の背中に、あの茶色い枝豆のような物体が、しっかりと張り付いていた。
2日後、朝。
俺=須崎ソウタは目を開いた。
見慣れた家の壁、ではない。体育館の天井だ。
作和小学校。俺が通っていた学校だ。いじめも受けていたし、正直あまりいい思い出はない。もう2度と戻ってくることはないと思っていたが、まさかこんな形で再び門をくぐるとは……。
あれからもう2日。俺はずっと、この小学校で寝泊まりしていた。学校の正門の外には一歩たりとも出ていない。高校も休校のまま、外出自粛の要請ももちろんそのままだ。
マオや千堂シュンジの顔も見ていない。当然、あのアパートにも行けていない。千堂とはSNSで連絡を取っている。彼は隣町の公民館にいるらしい。とりあえずは無事のようだ……今のところは。
それもこれも、不明体が現れたからだ。彼らはこの2日間、街で猛威を振るっている。
周りを見回す。まだみんな寝ているようだった。俺が一番早くに起きたのかもしれない。
みんなを起こさないように、慎重に体育館の門を抜ける。少し歩けば、すぐにグラウンドに出られる。朝特有の、冷たい空気が胸に入ってくる。
ここに来た理由は2つある。1つは、校庭の片隅にいるジョロウグモの様子を見ること。しかし、先にやるのはもう1つのほうだ。
俺はグラウンドから、山を見た。ここからでも見れた。
五甲山。あの時俺が、ツマグロヒョウモンとクロアリに出会った場所。俺にとって聖地とも言える山だった。
最近はずっと、五甲山を見ていた。気になって仕方がなかった。そして、見ている事しか出来なかった。例え身が引きちぎられるような思いを抱いたとしても。
窓越しに見える五甲山。その姿に、異変があった。
山の一角に、見た事もない建物があった。ドーム……いや、球といった方がいいか。赤い、球形の物体。それが山にドンと、無造作にそびえている。
五甲山から数百メートル離れている、ここからでも見えるほどの大きさだった。あの中に何があるのかは俺にも分からない。
そして、そこからほど近い位置に、異様な場所があった。木々の緑に覆われる五甲山。だが一か所だけ、木々がなくなり山肌が露になっている場所があった。まるでそこだけハゲてるみたいだ。
一面、土の色だった。一昨日まで、間違いなくそこには木々が生えていたはずだ。だが今は土以外何も見えない。
ずっと続いている現象だった。朝目が覚めると、はげた部分が少しずつ大きくなっている。まるで腫瘍が大きくなっているみたいだった。
何が起こったかは分からない。だが、確実によくない事が起こったのは分かる。
五甲山の『あの』池にある監視カメラの映像は、一般人にもネットで公開されている。スマホで確認して様子を見ていた。
頻度は『ちょくちょく』どころじゃない。スマホに依存しているといってもいいレベルだった。
毎日腫瘍が広がるのを目視し、それからスマホで池の監視カメラの映像を見る。今のところ池には何も起きていない事を確認して、かりそめの安堵を得る。そんな事をもう何度繰り返しているだろうか?
分からない事ならたくさんある。マオは何をしているのか。バイオコップは何をしているのか。何より五甲山は、俺の聖地はどうなってしまうのか。
一昨日作和市に大量に現れ、多数の人々を誘拐した不明体。タイプMと名付けられている。政府の発表によると、確認出来るだけで13機が確認されているそうだ。
人々を収納したタイプMは五甲山に向かうと、山の中腹に出来た球形の物体の中に入った。それから今まで中から出てきていない。少なくとも、人間が観測した限りでは。
あれ以来、大規模な誘拐は起こっていない。しかし人間達への影響は甚大だ。五甲山の近くに住む人々の多くが自主避難をした。だが、政府もこの事態に大分混乱しているらしい。とりあえず学校に落ち着けた、俺の家族はまだいい方だ。中には避難所をたらい回しにされている人もいるらしい。
五甲山の半径5kmは避難勧告が出されている。自衛隊の作戦区域になる可能性があるから……なのだが、今のところ自衛隊は展開されてすらいない。
ただでさえ、自衛隊は不明体に歯が立たず、戦う度に損害を増やしてきた。今回も、下手に展開して死傷者を出すよりは、慎重に作戦を練りたい……という事らしい。
水道や電気といったインフラへのダメージはあまりない事もあり、今のところ深刻な物資不足は経験していない。とはいえこのままでいいわけもない。タイプMが再び暴れ出せば、状況がどうなるかは分からない。
そして。
タイプMは、俺にとっても予想外だった。あいつは他の不明体とは違う。俺らが召喚した不明体ではないのだ。
俺や千堂、マオの誰も、あいつらの出現には関わっていない。あいつらが何なのか、俺にも分からない。
そろそろ時間だ。
俺は歩き出した。これから6年1組の教室に行く。以前俺が使っていた教室。そして、マオとの待ち合わせ場所だ。
階段を登って3階へ。1組の教室は階段を出てすぐだった。
鍵は空いていた。教室のドアを開く。
教室の電気は消してあった。教室の風景は、俺がここに通っていた頃とほとんど変わっていなかった。ただ、黒板の「日直」欄には全然知らない苗字が2つ並んでいた。
不意に小学生時代の思い出が蘇った。窓を開けていたら教室にクマバチが入ってきて、大騒ぎになった事があった。
あの時の俺は、周りの連中と一緒にただ大騒ぎしていた。でも今なら絶対、あの時とは違うリアクションを取る。
そして。
「よっす!」
窓際から明るい声がした。マオが立っていた。山登りの時と同じ、長袖長ズボンに眼鏡の格好。左腕にある、雪の結晶のタトゥーも隠れている。
「元気……ではないようっすけど、ケガとか病気はなさそうっすね」
「まあ、何とかな。千堂には会ったか?あいつはどうしてる?」
「右に同じっす。オリジナル怪獣や怪人を描いたスケッチブックもちゃんと持ってたっすよ。どんな非常時でも手放せないんすねえ」
あいつらしい。まあ何にせよ、千堂は少なくとも身体は健康のようだ。
「さて」
マオはひと呼吸置いた。
「本題に入るっすよ。タイプMの正体は何か、ここへ何をしに来たのか。わたし達はこれからどうするのか。
そして、五甲山で何が起こっているのか」
グイーバー星人。
マオは唐突に告げた。もちろん、全く聞いた事のない名前だった。
「それがタイプMの正体か?」
「より正確には、タイプMたる宇宙船を操る宇宙人すね。この事件の背後にいるのは、グイーバー星人の犯罪グループっす。すでに連中の闇サイトを特定済みっすよ」
「犯罪グループ……地球まで何しに来たんだ?」
「違法生物の飼育っす」
「違法生物?……取引禁止の絶滅危惧種の密輸入とか?」
「それもあるっすけど」
マオはひと呼吸置いた。
「違法に作られた生物の取引がメインっすね」
「遺伝子組換えとか、別々の種を交配させるとか?」
マオの答えは、俺が予想したより遥かに悪質なものだった。
「怪獣を作ってる、と言った方がより正確っすね。生物兵器専門の『業者』なんすよ。
例えば生物Aの体に、違う星出身の生物Bのパーツを無理矢理移植する。他には武器を生物の体に無理矢理移植する。そうやって生き物を兵器にして売ってるんすよ。
こういうのは施術が失敗して、生き物が死亡するケースがほとんどっす。それに素体に絶滅危惧種の生き物が使われる事も多いんすよ。
地球でいえばライオンとか、トラにあたるような生き物っすね。乱獲や生息地の減少で追い詰められている大型生物。なまじ大柄なだけに、兵器に使われやすいっす。
何より改造された動物達は、星間戦争やテロで殺人のために使われる。
ぶっちゃけ兵器としては、完全に時代遅れの部類なんすけどね。それでも最新の兵器と比べれば、維持費も含めて安価っす。それにこういう生き物が好きな、迷惑なマニアもいるんすよね。だから需要が結構あるんすよ」
マオがスマホ型機械を差し出してきた。どうやら彼女の言う闇サイトらしい。
字は1つたりとも読めなかった。宇宙人の字だ。俺はスマホと同じ要領で、画面をスクロールさせていく。
色んな生き物が並んでいた。どれも自然な生き物じゃないと一目で分かった。明らかに不自然なパーツがついているものや、体の一部分が機械化されているものばかりだった。「商品」を並べている、という事らしい。
ある生き物をしげしげと見ていると、急に画面が切り替わった。
「プロモーション用の映像っす。あまり見ない方が……」
マオが言い終わる前に、彼女の言う「プロモーション用の映像」はすでに始まっていた。
広い部屋が映った。床と壁以外何もないような、殺風景な場所だった。金属製なのか、一面くすんだ銀色だった。
その部屋に、2種類の生き物がいた。1種は簡単に言えば、ワオキツネザルの色合いをしたタヌキ。それも数十匹いた。せわしなく辺りを動き回っている。画面越しにも不安げな様子が伝わってきた。
そして、もう1種――グイーバー星人が「商品」として紹介していたのはこっちの方だった。シルエットはティラノサウルスみたいな、肉食恐竜のそれだった。だが、その全身が銀色の機械に覆われている。顔も、胴体も、手足も。
体の大部分が機械で包まれ、下顎などに生物本来のものと思しき緑色の皮膚が、申し訳程度に顔を覗かせている。生物か機械か、と言われたら間違いなく機械だった。
恐竜はただ1体、部屋の真ん中に立っていた。タヌキ達はその場をせわしなく動き回っている。恐竜が一体どんな存在なのか、分かりかねているように思えた。
やがて。
機械音と共に、恐竜の口が開いた――しかし、通常の恐竜とは違う開き方だった。
下顎はただ下方向に開いたんじゃない。左右に割れながら開いた。下顎の部分が、真ん中でパックリ2つに割れたのだ。
割れた下顎の間に、細い筋肉の筋が見えた。下顎の筋肉が、引っ張られて裂けているのだ。
しかし、最も目立つのはそこではなかった。
その口から、真っ黒な砲門が出てきた。銃のような細長い砲門。関節部分がついていた。そこで角度を自在に変えられるらしかった。
次に、両腕が避けた。そこからも砲門が姿を現す。口の砲門と同じタイプのものだった。
関節部分の先、銃口のある部分が細かく動く。動き回るタヌキ達に、狙いを定めているようだった。
そして。
一度銃声が聞こえると、タヌキ達はパニックになって逃げ惑った。しかし砲門の動きは冷徹、そして正確だった。銃口を動かしながら、タヌキ達1匹1匹に正確に狙いを定めた。
あっという間に、恐竜以外に動くものはいなくなった。床一面に黒い液体が広がっている。さっきまで動いていたものが辺り一面に転がっている。黒い液体がかかって、もはやその体の模様は見えなくなっていた。
俺はその場に立ち尽くした。見るに堪えない映像なのに、もう映像は終わったのに、目が離せなくなっていた。
「須崎クン、これ一応あたしのなんで。あんま強く握ると壊れるかもしれないっす……」
マオに言われて、やっと気付いた。
「ああ、すまん」
慌ててスマホを返却する。それで初めて、スマホを握っていた右手だけじゃなくて、左手も震えていた事に気付いた。それも、握り拳を握って。
あの恐竜だって、本来なら野生で普通に生きていたはずだ。グイーバー星人とやらは、それを明らかに無理のある挙動を取る生物兵器に仕立て上げた。そして違法な兵器のデモンストレーションのために、タヌキのようなあの生物を何匹も無意味に殺した。許せねえ。
「……話を戻すっすよ」
マオが語る。
「あいつらが地球に来た直接の目的は、違法生物を繁殖させるためっす。地球の自然界の生き物をエサに、どんどん違法生物の数を増やしていくつもりっす。
ただ、解せない点もいくつかあるっす。1つはなぜここを選んだのか、という点。単純に考えれば、アマゾンの熱帯雨林とかの方がエサが多いっす。そういう場所を選ぶ方が合理的なはずなんすよ。
それに、銀河連邦警察の作戦区域だって事は、事前に調べれば分かるはずっす。増して、違法生物の繁殖・販売なんて犯罪以外の何者でもないんすから。
そしてもう1つ」
続きを言ったのは、俺だった。
「バイオコップはなぜ動かないのか、だろ?」
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