第11話 キケンなとうひこう
その頃、校舎内部。
「ありがとうな、助かるわ……」
絞り出すような声で、三村さんが声をかけてきた。
「大丈夫ですよ」
そう言いながら、俺=須崎ソウタは三村さんに合わせて歩き続けた。彼女に肩を貸しているのだ。
廊下は静かだった。俺ら以外誰もいないし、音もしない。すぐ近くでチーターコマンダーとバイオコップが戦っているとは思えないくらいだった。
「自分すごいな、めっちゃ落ち着いてるやん」
三村さんに言われ、
「そうですかね……」
と、作り笑いを浮かべた。落ち着いているはずだ。俺が実行犯なのだから。
「すぐ近くで不明体が暴れてるんやもん。普通パニックになるで」
「なんというか……正直実感が湧かないだけなんですよ。この辺りは静かだし……」
「確かにな!多分バイオコップが、あたし達を巻き込まへんようにしてくれてるんやろ」
バイオコップが、というより、チーターコマンダーがそうしてくれてるのだろう。マオに自分の位置は伝えてある。俺らのいる場所から、チーターコマンダーは離れていってくれているはずだ。
瞬間。
ドンッ!!
ビックリして、思わず立ち止まった。上からものすごい音がした。
「なんか当たったんかな?」
三村さんが心配そうな声を出す。多分、チーターコマンダーとバイオコップの戦闘で発生した『流れ弾』だ。上の階に命中したらしい。
危なかった。一歩間違えれば、俺らに直撃していたかもしれない。
「行きましょう。ここも危ないかも」
三村さんに声をかけた。再び歩き出す。
無理に急ぐつもりはなかった。三村さんのペースに合わせなければ。無理矢理歩かせたりしたら、かえって足を痛め、本当に動けなくなるかもしれない。
しかし。
バタバタバタバタバタバタ!
後ろから、大きな足音が聞こえてきた。それも1人や2人じゃない。かなりの人数がいる。
後ろを振り向く。誰もいない廊下。その向こうに階段があるのが見えた。
まさか。
頭の中に、あるイメージを思い浮かべた。そしてそのイメージは、すぐに現実に現れた。
階段を大学生の集団が降りてきた。
ライオンに追いかけられたインパラの群れみたいだった。誰も彼も、恐怖に顔を強張らせていた。叫ぶものもあった。そしてみな一様に、こっちに近付いてきていた。
直感で分かった。パニックになった人間の群れに、理性など残っていない。あの人間の波に巻き込まれたら……。
素早く廊下を見る。どこかの教室がある。電気はついていないし、ドアも閉まっていた。
ホントに開いてるのか?鍵がかかってるかもしれない。だが連中はどんどんこっちとの距離を詰めてくる。考えてる時間はない!
「こっち!」
大声で呼びかけ、三村さんの腕を引っ張った。今度こそ、彼女のペースに合わせる余裕が消えた。
三村さんを引っ張るようにして、教室のドアへ。後ろから三村さんのうめき声が聞こえてきた。足を痛めたのだろうが、もはや彼女を気遣える余裕はなかった。
ドアの取っ手に手をかける。手応え。開いている。
そのままドアを思い切り引っ張った。教室のようだった。
気合いの声をあげ、俺は三村さんを引っ張った。彼女を放り込むようにして、教室の中へ引っ張る。俺も教室に入った。
本当に俺が入ったすぐ後だった。大学生の一団が、廊下を駆け抜けていった。全速力だった。俺らの事など、本当に見えてもいなかったのかもしれない。
思わず、大きく息をついた。この教室に入るのが少しでも遅れたら、2人ともあの大学生にフルスピードで体当たりされ、倒れたところを何度も踏み潰されていたかもしれない。
呻き声が聞こえた。三村さんを見る。彼女は顔を歪めながら、右足を抑えている。
当然といえば当然だった。普段なら間違っても怪我人にするべきではない事をやった。足を痛めてしまっただろうか。
俺が声をかける前に、
「大丈夫、大丈夫」
という答えが返ってきた。
「軽くひねっただけや。すぐ歩けるようになるで」
三村さんが右足を軽く動かす。大丈夫、というジェスチャーなのだろうが、正直俺の目には大丈夫なのかどうか判断が付かない。
ただ、状況が状況だ。例え大丈夫でなくても、動いてもらうしかない。
「須崎君には助けてもらってばっかりやな……。ホンマにありがとう」
「大丈夫ですよ……彼らもいなくなったし、俺らも行きましょう。いつまた流れ弾が来るかも分からないですし」
俺は再び、三村さんに肩を貸した。2人で歩き出す。
その間、ふと俺は考えた。
俺やマオ、千堂が出した犠牲者は、きっと怪獣や怪物が直接殺した人だけじゃない。パニック状態の人々に倒され、踏み潰される。そんな風に死んでいった人、いるんだろうな。
普段はプロジェクターの画面の世界。いや、画面にすら映らない。後でネットニュースの記事を読んで、そういうことがあったと把握するだけ。そんな現実を、目の当たりにした気がした。
その頃、大学の広場。
「ぐあ!」
オレ=巻田ソウジュにしてバイオコップは吹き飛んだ。地面に思い切り、背中を叩きつける。
上体を起こした時には、もうタイプJの姿は見えなくなっていた。
辺りを見回す。風を切る音や、時折目の前を猛スピードで横切る物体は分かる。だが現在位置を正確に把握する事は、不可能に等しかった。
瞬間、背中に衝撃。悲鳴をあげて吹っ飛び、地面に激突。蹴られた、と気付くのにしばらくかかった。
速い。チーターっぽい姿に違わず、あまりにも速かった。
さっきからやられっぱなしだ。反撃の糸口が、全くつかめていなかった。
「やっぱり電撃で……」
とつぶやくが、
「やめておけ」
と、バイオコップに告げられた。
「さっきもうまくいかなかっただろう。同じ結果になるだけだ」
四方八方に電撃を飛ばす謳天涼月光(おうてんりょうげつこう)。それでさえも、タイプJを捉える事は出来なかった。
「じゃあどうすんだよ」
「謳天涼月光だ」
「はあ?」
「ただ撃つんじゃない。タイプJが近くにきた瞬間に放つんだ」
近くにって、今どこにいるかも把握できてないのに……。
そう思った瞬間、ヒュンと風を切る音が聞こえてきた。
腹に重い一撃。
「ぐあ!」
背中から地面に激突。ゲホゲホと激しく咳をした。
何をされたのかも分からなかった。オレが上体を起こしたタイミングで、タイプJの姿がまた消えた。
「今の音、聞いたか」
「え?」
「ヒュンって音だ。タイプJの攻撃の直前には、決まってあの音が鳴る。タイプJが近くに来ている証拠だ」
思わず感心した。そんな事まで気付いていたのか。バイオコップが経験豊富な戦士である事を実感する。
「その音がした瞬間に、謳天涼月光だ。至近距離からの謳天涼月光なら、恐らくヤツもよけきれない。後は休む暇を与えず、攻撃しまくるぞ」
「分かった」
立ち上がって、構え直した。相変わらず、タイプJの姿は見えない。肉眼で捕捉する事などほぼ不可能だろう。
「集中しろ。集中……」
バイオコップが囁いてくる。彼の言う通り、俺は神経を研ぎ澄ませた。周りの雑音がシャットアウトされて、だんだん静かになるような感覚。
そして。
ヒュンッ
その音が、聞こえた。
「今だ!」
バイオコップが叫ぶ。彼が叫び終わるより早く、オレは全身に力を込めていた。
「ンンンッ……ダアアアアッ!!」
絶叫。全身から稲妻が飛び出した。黄色い稲妻が四方八方に飛び散る。
手応えがあった。真後ろから、苦悶の声。何かが地面に倒れる音。
タイプJだった。仰向けに倒れ伏している。身をよじらせ、苦しんでいた。
その胸から煙が出ている。明らかに、さっきの攻撃が効いていた。
「行くぞ!」
バイオコップが叫ぶ。オレは走り出した。うなり声をあげながらタイプJに接近。
よろめきながらも、タイプJが何とか立ち上がる。そのタイプJに、オレは思い切りパンチを叩き込んだ。
うめき声をあげ、後退するタイプJ。すかさず追撃する。
「オオオオオオオオッ!!」
全身の力を振り絞った。パンチやキックを、とにかく休みなしに叩き込む。
タイプJの頭や腹に、次々と攻撃が命中した。反撃のスキも与えなかった。一方的に、攻撃を加え続ける。
最後に思い切り蹴り飛ばした。タイプJは数メートル吹っ飛び、食堂の屋根を支える円柱に背中を激突させる。
「猟天幻月槍(りょうてんげんげつそう)だ!」
バイオコップが叫んだ。オレの口から、勢いよく銛が発射される。
タイプJの腹を串刺しにする。タイプJが絶叫。もはやタイプJは動く事も出来ない。
「トドメを刺すぞ」
バイオコップが話しかけてきた。
「ウアアアアアアアーーーーーーッ!!」
オレは、吠えた。ものすごい声だった。
オレの体にオレンジ色の稲妻のようなエネルギーが走り始める。オレ自身の体が燃えてしまうんじゃないかと思うほどの、ものすごい熱。
オレは走り出す。全身を巡るエネルギーが右拳に集まっていく。
いつもは裏拳。だが、今は正拳突きを放つつもりだった。
タイプJに接近しながら、オレは右肘を後ろに引く。オレとバイオコップは同時に叫んだ。
「凝天残月掌!」
正拳突きが、タイプJの顔に直撃した。タイプJの体が、たちまち爆散する。飛び散るタイプJの肉片。
オレは構えを解いた。静かだった。もうこの場で暴れるものはない。
「終わったな」
バイオコップがオレに話しかけた。
彼の言う通り、終わった。少なくとも不明体の脅威は去った。しかし、オレは飛び上がって喜ぶような気にはなれなかった。
「終わったけど……」
そう言いながら、オレは辺りを見回す。床のタイルも、ベンチも、植えられた木々も、校舎の壁も。視界をどこに向けても、何かしらが傷ついていた。
そして何より、そこには倒れている人達がいた。この大学で、ついさっきまで当たり前の毎日を生きていた人達だ。
オレ自身、ここは何度も当たり前のように通った場所だった。入学した当初、おっかなびっくりここから周囲を見回していた事を思い出す。ベンチで昼飯のパンを食べた事も、ここでサークルの勧誘を受けた事も、知り合ったばかりの友達とここでバッタリ出くわした事も。
ここに倒れている人達も、きっと構内のどこかですれ違った事があるだろう。そんな場所が、そんな人達が、こうもあっさりと。
「私達はベストを尽くした」
バイオコップが告げた。
「残念だが、何でも完璧に、というわけにはいかない仕事なんだ。もちろん辛い事だが……君は出来る限りの事をやった」
「……うん」
オレはうなずく。経験のあるバイオコップなら、割り切る事も出来るのかもしれない。だが、オレは。
「早くミクに連絡取ってやれ」
「ああ」
まずはバレないように、変身を解除しないと。オレは歩き出した。
その日の夕方。
「お疲れーっす!!」
いつものアパートに出向いた俺=須崎ソウタを、マオと千堂が出迎えた。
俺がここに来たのは、マキタさんについての報告のためだ。
マオはほとんどの間、俺の話を静かに聞いていた。彼女の反応が変わったのは、俺があの大学生の群れに巻き込まれかけた事を話した時だ。
「え、マジすか」
と顔色を変え、こっちが面食らう程の勢いで身を乗り出してきた。
話を一通り聞いてから、
「そうっすか……」
と、マオは肩を落とした。
「須崎クン、ごめんなさい!必要以上に急いだ、わたしの完全なミスっした。君が現場から離れるのを待つべきだったっす」
思わず、いいよ別にそんな……とか言っていた。さっきまでのヘラヘラした様子とは全然違う、真剣な顔。
なんだか俺が気まずくなって、『ところでこのマキタさんって人なんだけど』と強引に話題を変えた。
「今のところ名前と、三村さんと同じ学部にいる事しか分からない。これ以上の事は調べられなかった。彼が本当にバイオコップである保証はないし……これからどうするつもりだ?」
「もちろん、調べるっす」
マオは即答した。
「全くのノーヒントで、片っ端から調べて回るよりはるかに効率的っすよ。大学のシステムに侵入して、今ある情報を基に調べていけば、マキタって人のより詳しい個人情報が手に入るはずっす。家の住所とか、分かるかもしれないっすね。
そのうえで、マキタさんがバイオコップの宿主かどうか、調べればいいんすよ。違うんならそれでいいっす。もし本当に宿主だったら……その時は、その時っすね」
マオの様子がまた変わっていた。いつも通りのヘラヘラした笑顔。だが目が笑っていない。表情とは対照的に、緊迫した雰囲気すら感じていた。
そして。
「改めて、気になったことがある」
俺は切り出した。
「何すか?」
「お前の地球での協力者は、この3人と、お前が脅迫しているお偉いさんだけで完結してるのか?お前の母星の、いわば同郷とコンタクトを取ったりしていないのか?」
マオの顔から、表情が消えた。
「……珍しい質問っすね。どういう風の吹き回しなんすかね?」
「ちょっと気になったんだ。バイオコップと戦うにあたって、母星の仲間に協力を仰いだり、指示を受けたりしてもおかしくないんじゃないか、って思ってな」
俺の関係って、マオと千堂だけで完結してるわけじゃないんだな……と考えた時に、ふと思ったのだ。マオはどうなんだろうか?彼女の人間関係は、異星人である俺と千堂、あるいはお偉いさん達だけで完結しているんじゃないだろうか?
記憶をたどる限り、マオは母星の仲間と1回も連絡を取っていない。俺達に『母星の仲間とこういう話をした』と伝えてくる事もない。俺達に隠しているのか?それとも本当に連絡を取っていないのか?
なぜだ?言葉も価値観も通じやすい母星の仲間と一緒に行動する方が、地球人と組むより合理的ではないのか?それとも俺らの知らないところで、連絡を取り合っているのか?
マオは首を少し傾ける。何か考えるような顔。
やがてマオは顔を上げた。その顔にはいつもの軽薄な笑みが戻っていた。
「そうっすね、それは言っておかなきゃいけないっす。
結論から言うと、いないっす。わたしと、須崎クンと、千堂クン。これが全員っす。ここからは誰も引くつもりないし、誰も足すつもりないっすよ。脅迫してるお偉いさん達も、重要度は君らよりワンランク下っす。
だから、仮に『実は私マオの知り合いで~』みたいな連絡が来たり、そんな奴が会ってきたりしたら、まずわたしに報告してほしいっす。そして、そいつとのコンタクトは極力避けるっす。バイオコップ側のおとり捜査の可能性が高いっすから」
家事するんで、とマオが立ち上がった。鼻歌を歌いながら、台所へ向かっていく。ここからその顔は見えなかった。
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