第9話 命すむ山

 須崎ソウタの視点


「いた!」


 俺=須崎ソウタは声をあげた。


 俺はそいつを指差した。ピンク色の花を咲かせる、葉にトゲのたくさん生えた植物・アザミ。その葉っぱに、小さなカミキリムシがいる。


体長は1cmくらいの、小さなカミキリムシだった。細長い胴体を持つ甲虫だ。長い触角があって、黒い体の真ん中に白いラインが入っている。ヒマワリの種みたいな色合いといっていいだろう。葉っぱと茎の間をチョコチョコ歩き回っていた。


「へー、これが須崎クンの言ってたアサカミキリっすか!ちっこくて可愛いっすねえ」

 隣にいるマオが感心したような声を出す。マオが指を近付けると、アサカミキリは慌てて逃げ出した。アザミの茎の奥に隠れる。


 マオはそれ以上アサカミキリを追いかけなかった。それ以上近付けば、アザミのトゲが体に当たっただろう。アザミから少し離れ、辺りを見回す。

 

 マオの格好は、ちょっとした変装の域といってよかった。帽子と長袖長ズボンの登山服、それからリュック。髪や体のラインがすっかり隠れている。それに眼鏡もかけていて、正直最初に見た時は別人かと思った。左腕にある雪の結晶のタトゥーも、今は服にすっかり隠されていた。


 彼女曰く、防犯カメラ対策なんだそうだ。確かに、マオにとって顔を見られるのはリスクだ。


 この山にも、不法投棄を見張るための監視カメラがある。念のためそのポイントは避けるつもりだ。


 改めて、俺は辺りを見回した。俺らのすぐ後ろには小さな川があり、絶えず水音を立てていた。川岸にはアザミを始め、たくさんの植物が生えていた。さらに奥には木々が生えている。


 ここは市内の外れにある山・五甲山。それも、ハイキングコースに入って数十分くらいの場所。手軽にいける範囲の場所といえた。


 夏本番だけあって、山は蒸し暑かった。立っているだけでも汗をかくくらいだ。だがそうでなければ夏じゃない。こういうのがいいのだ。


 しばらくしていると、安全だと思ったのかアサカミキリが茎の陰から姿を現した。


「カミキリってこんなに小さかったんすねえ。図鑑読んで、勝手にもっと大きいものだと思ってたっす」

「まあ確かに、カミキリムシの中じゃ小さい方だな」


 マオに「近くの山を案内して欲しい」と言われた時は、正直面食らった。どういう風の吹き回しかと、ちょっと訝ったくらいだ。マオ曰く、「この辺の地理を知っておきたいのと、この星の自然に対する興味」だそうだ。


 千堂シュンジも連れて行こうと思ったが、あいにく彼は塾だ。そこで、俺が案内役を務めているというわけだ。


 アサカミキリはメインターゲットといっていい虫だった。「五甲山で一番見どころの生き物は何か」と聞かれたら、まずアサカミキリが頭に浮かぶ。実際マオにアサカミキリの事を話してみても、結構食いついてきた。


 アサカミキリについて、少々説明させて頂く。こいつは元々アサ=大麻の原料になる植物を食べる昆虫だ。日本では昔はアサが広く栽培されていた。だからアサカミキリも広く生息していたわけだ。


 しかし戦後、アサの栽培が規制される。アサの生産量が激減すると、エサがなくなったアサカミキリも当然減少する。現在では絶滅の危機なのではないか、と言われるほどだ。


 しかし、そんなアサカミキリが局所的に分布している場所も各地にある。それも、エサとする植物をアザミやヨモギに変えて生き延びているのだ。で、この辺りもその生息地の1つ、というわけ。


 ネットで調べても、ここがアサカミキリの生息地、という情報はどこにも見つからなかった。気付いていないか、知ってる人がSNSやネットでバラしていないのだ。ここは絶滅危惧種の見つかる穴場といってもいいだろう。


 数日前にこいつの話をした時、マオにはえらく珍しがられた。絶滅危惧種がエサを変えて生き残る、というのがマオには珍しかったらしい。マオの星にはそんな生き物はいなかったのだろうか。


 この山で色んな生き物を探しては、マオに紹介して回った。後ろの川ではサワガニを見せた。ここに来る途中にはテングチョウやショウリョウバッタも見つけた。


 マオは少なくとも見た感じは、満足しているように見えた。本当に楽しんでいるのか、そのフリをしているのかは分からないが。


 マオにとって全てが新鮮なんだろうなあ、とは思う。ここに生き物の全てが、マオにとっては未知の生物。マオの星の生物学の常識が全く通じないのかもしれない。そこら中にUMAがウヨウヨいるようなものだ。目に見えるもの全てが刺激的なのだろう。


 翻って俺はどう思っているのかというと、嬉しい。素直に嬉しかった。


 まずこの五甲山は、俺にとって特別な場所だ。ここから少し下ったところに、池がある。そこはあの時、ツマグロヒョウモンとクロアリを見た場所。そう、この山は俺の人生が変わった場所だ。


 あの時、ここで死のうと思ってこの山に入った。そしてこの山を出る時には、俺の人生はもう後戻り出来ないほどに変わっていた。


 五甲山は豊かな山だ。魚も鳥も獣も、何より虫達がたくさんいる。街にはまずいないような生き物が数え切れないほどいて、ここで命を繋いでいる。


 ここに行くたびに色んな節足動物に会い、色んな事を学んだ。嫌な気分だった時も、山に入ったら全部忘れられた。大事な事を数え切れないほど教えてくれた場所だ。


 あの時俺は、自殺しようとしてはやめる、という事を繰り返していた。それでも確実に、死に近付きつつあった。この山で虫達に出会わなければ、いつか確実に自殺していたと思う。当然、千堂にも会えなかった。


 それを考えたら、俺はこの山に入る事で生きられた。この山で生まれたような気さえしていた。俺にとって、ここは聖地だ。


「あっ!そこにもいたっす!」


 マオが声を上げる。見ると、アサカミキリがもう1匹いた。最初のアサカミキリから少し離れた場所にいた。アザミの葉の上を、ちょこまか動き回っていた。


 大好きな自然、大好きな虫達を紹介して、喜んでもらう。それはそれで嬉しい事だった。例え相手が本音を見せているか、確信が持てないとしても。例えそれが、自分を脅迫して殺人に従事させている張本人だったとしても。




 マオの視点


「そろそろポイント変えないっすか?アサカミキリもう充分見たし、別の生き物見たいっす」


 わたし=マオがそう告げると、須崎クンは快諾した。


「少し登ろう。街を一望出来る、開けた眺めのいい場所があるんだ。うまくいけばコクワガタなんかが見つかるかもしれない」


 そう言って、須崎クンは歩き出した。迷いがない。この山について大分詳しくなっているのだろう。


 その背中にはカバン。側面には水筒を差してある。帽子もかぶっていた。山登りの準備を周到にしていた。軽装のわたしとは大違いだ。


 彼の背中を追って、わたしも歩く。登山のペースは須崎クンに任せていた。わたしはここの山道に詳しくはない。気軽に行ける山とはいえ、遭難の可能性もなくはない。


 須崎クンに山を案内して欲しいと頼んだのは昨日の事だ。急な話だし断られるかもな……と思っていたのだが、彼は快諾してくれた。しかも、本人はポーカーフェイスを装っていたのだが、結構嬉しそうだった。


 理由は「この辺の地理を知っておきたいのと、この星の自然に対する興味」と伝えていた。


 嘘ではない。わたしにとって、ここは母星とは根本から全く違う生態系。想像もした事のない生き物もいれば、母星のとある大企業のマスコットに似た姿の生き物もいた。


 この星に潜伏してから1年以上経つが、異星の自然はやはり興味深い。わたしの全然知らない生き物が、近所の山にもわんさかいる。


 須崎クンを連れて来たのも正解だった。彼はちょっとしたネイチャーガイドだ。須崎クンの解説のおかげで、この星の生き物について詳しくなれる。


 そして。


 それ以外にももう1つ、やらなければならない事があった。


 須崎クンの背中に声をかける。


「この街って、五甲山以外にもいくつか山があったっすよね?そこはいくんすか?」


「行くよ」

 こちらを振り返らず、須崎クンは即答した。


「桐吹山はたまに行く。煮人山もちょこちょこ行くな。とはいえメインで行くのは五甲山だ。多事多難山は……1、2回行ったきりかな。結構不便な場所にあるんだ、あそこ」

「多事多難山って、ここから結構北に行くとこしたっけ?」

「そう、そこ。駅からも遠いし、近くには本当に民家しかない。最後に行ったの、高1の夏休みくらいかなあ」




 これで、『やらなければならない事』は終わりだ。


 正直、須崎クンの答えを聞いて安心した。多事多難山にたまにとか、ちょこちょこ行かれると困るのだ。


 多事多難山はわたしが初めて地球に着陸した場所。わたしの宇宙船も、あの山に置いてある。須崎クンがあの山に行けば、当然わたしの宇宙船を見つける可能性が生まれる。


 といっても、普段であれば須崎クンがあの山に行ってもさほど困らない。あの宇宙船には最新の光学迷彩が施してある。地球人が肉眼で見つける事などまず不可能だ。


 だが、今はそうではない。機械の経年劣化のため、光学迷彩機能が故障してしまった。数時間に1度くらいのタイミングで、光学迷彩が解除されて宇宙船が姿を現す事がある。それを須崎クン、あるいは他の地球人に見られてしまったら……。


 今は夜ごとに宇宙船の下へ通い、修理を進めている。とりあえず原因も特定出来た。あと数日あれば完全に元通りになるだろう。


 それまでは気を抜けない。わたしはここへ、やるべき事をやるために来た。そのためにも、あの宇宙船……というより、あの中のものは絶対に知られてはならない。




 同じ頃、大学図書館。


 正確には大学図書館内のカフェだ。売店と、その周りにはテーブルが並ぶ。そしてカフェの端の一角には椅子が並べられていた。そのスペースの前には、各新聞社の今日の朝刊が並べられている。


 オレ=巻田ソウジュはその椅子の1つに座っていた。そして、新聞の一番最後のページを開いている。


「へー、地球の新聞は漫画がついてるんだな!」


 頭の中で、バイオコップが呟いた。


「うるせえな、新聞に集中させろよ……」

 頭の中でそう言ってから、オレは新聞に視線を戻す。4コマ漫画の隣には、大小の記事が並んでいる。


 ここには大学のレポートのために来た。時事トピックを1つ選び、各社がどのような伝え方をしているかを比較して、レポートにまとめる。そういう課題があるのだ。


 オレが選んだ話題は、とある大企業の不正だった。誰もが名前を知る企業が起こした事件だけに、人々の関心度は高い。多分、この事件に触れていない新聞社などないだろう。


 今見ているのは実家で両親も見ている新聞だ。カフェには他にも、名前は聞いた事のある全国紙から、この辺の地方紙まで様々な新聞が置いてある。全部調べるのは、それなりに時間がかかりそうだった。


 しかし、バイオコップはやたら新聞に食いついてきた。これのどこがそんなに面白いんだろうか?


 聞いてみると、

「民間のメディアを見るの、初めてなんだ」

 という答えが帰ってきた。


「普段、連邦治安維持部隊のメンバーは、銀河連邦が運営するメディアのみ閲覧出来る。それ以外は原則禁止だ。いい加減な情報を事実としてインプットしないようにな。

 だから故郷の星のメディアも、名前くらいしか知らないんだ」

「故郷の星のニュースも見てないのか?入隊する前に見たりとかは?」


「入隊というか、養成所に入ったのが子供の頃だったからなー。地球人で言う6歳とか7歳くらいか?

 もしかしたら入る直前のタイミングでちょっとは見た事あるかもしれないけど、それはさすがに覚えてないな」

「そんなに早くから……っていうか、それなら地球の新聞見ても大丈夫なのか?銀河連邦のメディアしか見ちゃいけないんだろ?」


「まあルールの抜け穴ってヤツだよ。地球は銀河連邦に入ってないからな。地球の新聞は、銀河連邦が定義する『メディア』に入ってないんだ」


 それだけ行ってから、バイオコップは新聞に戻った。政治家の写真を見ながら『◯◯星の俳優に似てる』とか、正直うるさい。


 でも。


 新聞をめぐりながら、オレは少しだけ、バイオコップに違和感を覚えた。より正確には、バイオコップを取り巻く環境に。


 こいつ、生まれてこの方官製メディアしか見た事がないのか?




  その頃。


 おれ=千堂シュンジは、自分の部屋にいた。


 勉強机の1番下の棚を開けて、中のものを取り出してはベッドの上に置く。


 おれが描いた、怪獣や怪人のスケッチだ。今日は親が2人とも家にいないし、やりやすい。


 マオからの次の指示に備えて、今のうちに用意しておこうと思ったのだ。それに、1度整理したいと前々から思っていた。


 いざ手をつけると、これが中々進まない。1つ1つの怪獣や怪人に思い入れがあっていちいち手が止まるという、大掃除あるあるみたいな事が起きている。


 この怪獣はラーメンを食べてる時に思いついた。この怪人を描いた翌日、テストで壊滅的な点数をとった……下らない思い出や、あまり思い出したくない思い出ばかりだ。それでも、思わず手が止まるような懐かしさはあった。


 火をふく、毒を出す……みたいな感じで、能力で分類する事にした。2つや3つ能力があるヤツも、とりあえずメインの能力1つで分類していく。


 そして。


 ある1枚の絵で、おれの手はまた止まった。


 今までの絵の中でも、群を抜いて下手といっていいだろう。影もついてないし、体の細かい部分も描けていない。


 しかしおれにとっては、群を抜いて大事な絵といってもよかった。これが、おれが初めて描いた絵なのだから。


 黒い二足歩行の怪獣だった。背中は真っすぐ。


 分かる方は、昔の恐竜の復元画(それも肉食恐竜とかイグアノドンとか)を思い浮かべて頂きたい。分からない方も、検索すれば出てくるはずだ。ちょうどあの体型だ。


 背中側は黒、腹側は茶色。頭頂部には黒い、大きな角がある。目は真っ赤で、口元には鋭い牙が並んでいる。


 両手両足にも、鋭い爪が並ぶ。尻尾も太い。


そして肘にも一本ずつ、角が生えていた。それから手の平には小さな穴が開いている。


 ゾゴラー。おれが初めて作った、オリジナル怪獣。


 後に手直しして、ネットにも載せた。それだけ思い入れのある怪獣だった。手直ししたヤツは兄貴も見ているはずだ。


 能力としては、まず口から火を吐く。これだけなら怪獣にありがちな能力だが、キモはここからだ。


 手の平の穴からは、マシンガンのように光弾を連射する。肘の角は誘導ミサイルになっている。それから、空間に穴を開ける事で移動する能力もある。


テリブルキャタピラーという、おれが一番好きな怪獣がいる。その怪獣をオマージュしつつ、とにかく奇抜なヤツを作ろう、と思っていた。


 ゾコラーを描いたおかげで、間違いなく人生は変わった。少なくとも、少しいい方向に行った。


 絵の描き方を独学で学んで、ついにはネットに投稿するようになった。それなりにいいねももらえるし、フォロワーもいる。もはや怪獣や怪人の絵は、おれの自尊心を保つ命網だ。


 それだけじゃない。フォロワーさんのリクエストに応えて、彼らの好きな怪獣や怪人の絵を描いたりすると、結構満足感がある。彼らの抱く『好き』を具現化出来たような、そんな達成感があるのだ。


 何より、兄貴と会った時、怪獣や怪人がいなければ話題がなかった。お互いがお互いの趣味を持ち、それが物珍しかった事で、おれらの仲は進展した。ゾコラーを描いていなければ、兄貴とはここまで仲良くなっていなかったと思う。


 ゾコラーは実体化させるつもりはない。すでにネットで公開した怪獣だ。暴れさせたら、尻尾を掴まれかねない。


 ただ、それだけじゃない。例えネットに公開していなくても、ゾコラーだけは実体化させたくないような……そんな気もしていた。

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