第2話 宿命の出逢い
そのページには怪獣が描かれていた。見た目を一言で言えば、二足歩行の昆虫怪獣。黒い頭に、緑の目。口には大きく湾曲したハサミ=アゴになっている。上半身はオレンジ色、下半身は黒。尻尾の上半分はオレンジで、下半分は黒。尻尾の先は二股になっていた。
俺も見た事のある怪獣だった。確か、会ってすぐくらいの頃に見せてもらったと思う。
「ペジリム……アオバアリガタハネカクシの怪人さ」
千堂の言葉に、
「あお……?」
と、マオは目を丸くする。知らないらしい。
「甲虫の一種だ。体液に毒があって、むやみに触ると水ぶくれが出来る。やけど虫って通称もある」
説明のために、スマホで画像を見せた。小さくて、アリっぽくも見える昆虫だ。
「へー!うまく怪獣のデザインに落とし込んだっすね!それで、そのペジリムは火を吐くんすか?」
「吐くっていうか、両手を合わせるとその間から炎が出る設定だ」
マオは満足げにうなずいた。
「OKっす!そのペジリムってやつ、プロジェクターのここに入れてほしいっす」
マオはキーボードのすぐ手前くらいの場所を指差した。目立たなくて気付かなかったが、細長い穴がある。ちょうど紙が入りそうなサイズ。なんだかシュレッダーみたいだ。
千堂の表情が一瞬、ピクリと動く。俺もマオも、その表情の変化を見逃さなかった。
「そっちの部屋にコピー機があるっす。もし必要なら、そこでコピーとっといた方がいいっすよ。で、プロジェクターにはコピーしたヤツを入れればいいっす。そこに入れた紙は本当になくなっちゃうんで」
千堂はマオの指示に従った。コピー機のある部屋に向かう彼の足取りには迷いがなかった。
程なく千堂が戻ってくる。その右手には自分のイラストのコピー。
マオがにんまりと笑う。彼女は元のテンションに戻った。
「それじゃ、これを早速インしちゃいましょー!」
マオは穴に紙を入れた。紙はゆっくりプロジェクターに飲み込まれていく。ピーピピピ……という機械音が中から聞こえてくる。
スクリーンが突然明るくなった。
「地図?」
千堂がつぶやいた。確かに、地図のようだった。見たところ、どこかの街並みを映しているらしい。
「縮尺や地図記号は、この日本って国家の基準に合わせてるっす。文字表記もこの国の言語にしてるっすよ……ちなみに、ここがどこか分かるっすか?」
マオが聞いてきた。マオの言う通り、見た事のある地図記号があるし、店の名前も日本語で表示されている。というか、ここは……。
「作和市か?」
俺は呟いた。俺達が住んでいる、この街だ。
「正解!」
マオが笑う。千堂がこっちを見てきた。彼はまだ分かっていないらしい。
「ここにスーパーがある。それにここに歯医者。ここに中央公園。それから、ここのスーパー、多分『ピジョン』だ。街の外れにあるヤツ」
やっと千堂も合点がいったらしかった。ピジョンは全国展開している、かなり大きいスーパーだ。俺はここには行かないが、千堂は『書店にいい資料集が売られているから』と危険を冒して足を運ぶ事がたまにある。
「ここからは場所選定なんすけど」
マオは一旦言葉を切ってから、急に俺達に近付いてきた。
「あの不良達、まだ仲間がいるんすよね?馬場君に牧瀬君、藤間さん。どうせならこの3人にも消えてほしいっすよね?」
「それは……」
千堂がどもる。数秒彼が何も言わないのを見計らってから、俺はゆっくりうなずいた。
「兄貴……」
千堂が俺を見る。戸惑いに満ちた声。
「ノーとは言えないはずだ。色んな意味でな」
千堂は反論してこなかった。最初から分かりきっていた事だ。俺達に拒否権はないし、拒否する理由もない。
「決まりっすね!」
マオは嬉しそうな声を出した。これから買いたてのゲームで遊ぶ子供を思い起こさせるような声だった。
マオの意図はもう読めた。ピジョンはゲームセンターがあって、馬場に限らず不良がよくたむろしている。ここを狙えば、彼らを始末できる可能性が高い。
「じゃ、場所はここのスーパーっす。彼らはいつもこの辺にたむろしてるんすよね?」
俺はうなずいた。
「じゃ、ここにお願いしまっす!」
マオはプロジェクターの画面を指し示した。地図のちょうどスーパーの場所に、赤い点が浮かび上がる。
そして。
マオはパンと手を叩いた。
「……はい、これにて作業終了!」
マオの言葉に、俺達は思わず顔を見合わせた。作業と呼べるような事をまともにやった覚えがなかった。極限状態と言ってもいい状況なのに、『何かやった』という実感が全くわかなかった。
「おや?何だか釈然としない、って顔っすねえ?……まあ、そりゃそっか」
マオは1人で喋ってから、俺達にこう告げた。
「だったら見に行ってみるっすか?この場所にね」
不敵な笑みを浮かべながら、画面の地図を指差した。
スーパーの場所は俺にも分かる。ここから歩くと多分10分くらい。
マンションを出て、程なくして知っている道に出る。そこからは道案内も必要ない。住宅街を通り抜け、大通りに出て……。
正直、わけがわからない。ただマオの背中を追いかける。こいつ、何者なんだ?というか、どこから来た?『この日本って国家の基準に合わせてる』とか言ってたし、外国人なのか?その割に日本語ペラペラだし、顔立ちもそこまで日本人離れしてないけど……。
というか、さっきの青い球。あれは確実にオーバーテクノロジーの類だろう。だったらあいつは、ますます何者なんだ?
そして。
そろそろスーパーに着く、というところで、俺達は異変を感じ始めた。
辺りが妙に騒がしいような気がした。だが人通りは少ないし、車も走っていない。元々閑静な住宅街だ。どこか遠くで、大勢の人々が大声を出している……そんな感覚がした。
やがて、人々とすれ違うようになった。だが様子がおかしい。家族連れも、カップルも、みな一様にこっちに向かって走ってくる。それもみんな表情が強張っていた。
「どうしたんだ……」
千堂がつぶやいた。
「まるで逃げてるみたいだ」
千堂がつぶやいた瞬間、前を歩いていたマオが急にこちらを向いてきた。
「まさに、っすよ」
「え?」
俺の声は少し上ずっていた。
「さ、行くっす行くっす。そろそろ見れるっすよー、千堂君お待ちかねの光景にね」
俺達はスーパー『ピジョン』に着いた。正確には、ピジョンのすぐ向かい側にある、歯医者の前。
「ここの影に隠れるっす」
マオの指示。俺達は歯医者の影に隠れる事を選んだ。ここからなら視界も十分だ。
俺達の目の前には、クリーム色の歯医者の壁。ここから少し顔を出せば、スーパーが見える。
すでに不穏な音が聞こえだしている。何かが燃えているような音。そして、足音。誰かいるのだろうか。だがやたら重い足音だ。
俺は建物の影から顔を覗かせた。
息をのんだ。
信じられなかった。わけの分からない青い球が人を殺す様を見た後でさえ、信じられなかった。そして、信じられない、と思っているはずなのに、目の前の光景が現実である事が不思議と実感できた。
スーパーの駐車場。どこにでもある平凡な駐車場から、火の手が上がっている。近くの並木や草だけでなく、車さえも燃え上っていた。とにかく、何もかもボロボロだ。目に映る建造物で破損していないものはないといってもよかった。そして、そんな駐車場のど真ん中に、そいつはいた。
「あれは……」
そうつぶやいたが、続きを言う事は出来なかった。
オレンジと黒の体。昆虫の化け物みたいな顔。先端がハサミ状になっている尻尾。目の前にいるそいつは、千堂が絵に描いたペジリムそのものだった。
「なんで……!?」
千堂が声を絞り出す。彼が考えた怪人が、彼の目の前で暴れているのだ。目の前の光景についていける気がしなかった。
そんな俺達を尻目に、ペジリムは両手を合わせる。その手の間から火を噴き出した。
千堂の設定通りだった。まるで火の丸太だ。長く太い炎が、怪物の周りの人工物を片っ端から焼き払っていく。
爆発。思わず体をすくめた。目をつぶっていても、爆発で生じた炎が見えるかのような感覚を覚えた。洒落にならない熱さの爆風が体をなめる。周りから何かの破片が地面にぶつかる音が聞こえてくる。破片が俺に当たっているのかいないのか、それは分からなかった。
そして。
炎と爆風の中でも、はっきり見えた。駐車場の地面に倒れている人がいた。動かない。こんな状況でも逃げようともせず、ただ地面に倒れていた。
「あれ、作和高の制服っすよね?これでノルマクリアーっす!」
駐車場に転がる人体のどれかを指差しながら、マオが嬉しそうな声をあげる。どの人体の事を指差しているのかすらよく分からなかった。だが、マオがそう言うのならそうなのだろう、というよく分からない確信はあった。
わけが分からない、というか、もはや頭が理解する事を拒否するかのような感覚すら覚えていた。暴れる怪物。なす術なく破壊される街。まるで現実感のない光景が現実に繰り広げられている。
「なんで……」
不意に誰かの声が聞こえた。千堂の声だ、と気付くのにコンマ数秒かかった。
「なんで、こんな事を」
そうだ。一番大事な事なのに聞いていなかった。こんな事をして、マオは一体何が目的なんだ?
マオは直接の回答はしなかった。その代わりに、これだけつぶやいた。
「そろそろ来ると思うっすよ」
何が、と返そうとした直後だった。
突然、ペジリムの動きが止まった。
本当に突然だった。さっきまであれだけ暴れていたのに――まるで、何かの気配に気付いて動きを止めたかのようだった。
一瞬、全ての音が聞こえなくなるかのような感覚を覚えた。確かに炎は燃えていたし、何かが崩れ落ちる音は絶える事がなかった――それでもその一瞬だけは、何も聞こえないかのような感覚を抱いたのだ。
そして。
ドンッ!
遠くから、音が聞こえた。地面を思い切り踏むような音だった。
俺は首を上に上げた。空に影が浮かんでいる。ジャンプしたのだ。地上から数十メートルは飛んでいる。人間ならありえないジャンプ力。だが、そのシルエットには人間のそれと同じような四肢があり、少なくとも二足歩行である事を伺わせる。
そいつはペジリムの目の前に着地した。ダン、と大きな音が鳴る。
「なんだ、アイツ……」
千堂がつぶやく。俺は何も言えず、目の前の『何か』を見つめる。呆気に取られる、という慣用句が示す感覚を実感していた。
「バイオコップ」
マオがつぶやいた。吐き捨てるような声だった。
「ペジリムを暴れさせた理由はアイツっすよ。わたしがここに来た理由も、君らに協力してもらいたい理由も……アイツっす」
一言で言えば、竜人。そいつはそいつで、化け物みたいに見えた。体色は明るい黄緑色。頭にはエボシカメレオンのそれのような突起がある。目は赤一色に爛々と輝いている。竜のそれのような口には鋭い牙が整然と並ぶ。下あごには薄い黄緑色の、鋭いトゲが並んでいる。
体つきはまさに筋骨隆々。服の代わりに、深緑色のアーマーのようなもので胸元や下半身全体、肩が守られていた。両手には格闘家のそれを銀色にしたようなファイトグローブが取り付けられている。
バイオコップはこちらには視線を向けなかった。気付いていないのか、ただ歯牙にもかけていないのかは分からない。ただ目の前のやけど虫の怪物を見つめている。
正直、何をすればいいのか分からない。ただ目の前の光景を見つめている事しか出来なかった。俺や千堂はもちろん、マオさえも何も言わなかった。
「ウアアアアアアアーーーーーーッ!!」
バイオコップが吠えた。獣のようなうなり声だった。
先に仕掛けたのはバイオコップの方だった。ペジリム目がけて突っ込む。
ペジリムはすかさず後ろを向いた。両手から勢いよく炎が噴射される。一瞬でバイオコップはおろか、周りにあるものが何もかも炎に飲み込まれる。
当たった、と思っていた。炎の柱はあまりに太く、あまりに速かった。よける暇などあるようには見えなかった。
だが。
突然、マオが叫んだ。
「上!」
彼女の言葉通り上を見て、思わず声をあげた。
バイオコップがいた。さっきのように空高く飛び上がっていた。
そのまま猛スピードで急降下。バイオコップの輪郭が溶け合って、まるで黄緑色の巨大なボールみたいに見えた。
バイオコップがペジリムにぶつかった。体当たりだったのか、キックだったのか、それは分からない。とにかくペジリムは苦悶の声をあげて吹っ飛んだ。
怪物が地面に激突。鈍い音が鳴り響き、俺達の体にも衝撃が走る。
バイオコップは後ろに回転しながらクルクル飛んだ。そのまま着地。ドン、と重い音。
「グルルルルルルル……」
バイオコップの唸り声。まさに獣の唸り声だった。ペジリムもすぐに体勢を立て直す。
「ウオオオオオオオオオオッ!!」
両腕を横に広げながら、バイオコップが大きなうなり声をあげる。空気がビリビリ揺れる。
瞬間。
バイオコップが仕掛けた――かと思った時には、バイオコップはペジリムのすぐ目の前まで距離を詰めていた。まるで瞬間移動。異様なまでのスピードだった。
そのままバイオコップがパンチを繰り出す。ペジリムの腹に命中。怪物がうめき声をあげる。
バイオコップは止まらなかった。まさしくインファイト。パンチを、キックを、ものすごいスピードで次から次へと打ち込んでいく。
速いだけじゃない。全ての攻撃は重い音を立てた。もしおれに当たったら、と考えると少し背筋が寒くなるほどの威力。
バイオコップの右ストレート。苦悶の声をあげ、ペジリムが後ずさる。
何とか倒れるのだけは踏みとどまった。しかしもうフラフラだ。まともに動く体力が残っている様には見えなかった。
バイオコップが体中に力を込める。ああ止めを刺す気なんだ、と何となく分かった。
「ウアアアアアアアーーーーーーッ!!」
バイオコップが吠えた。ものすごい声だった。
バイオコップの体に、オレンジ色の稲妻みたいなものが走り始める。空気がビリビリと振動するのが俺にも分かった。圧倒的なまでのエネルギーだった。
バイオコップが走り出す。ペジリムはもはやグロッキー。その場からまともに動く事すら出来なかった。
バイオコップが腰をグルリとひねった。体を右回りに大きく回転させる。バイオコップの体全体がグニャリと歪んだように見えた。右腕だけを大きく伸ばしていて、ムチのようにしなっている。
一瞬、見えた。バイオコップの体全体を走っていたオレンジ色のエネルギーが、いつの間にかその右手に集中していた。
「ハッ!」
鈍い音が響いた。
裏拳だった。俺には想像もつかないような威力の裏拳。
ペジリムは動きを完全に止めた。バイオコップも動かない。時間が止まったような感覚。
やがて。
ペジリムの頭が、爆発した。次に首、胸、腹。体の上から下へ、次々と爆発が起こる。小気味良い爆発音が響く。
破片が飛び散り、俺達の視界全体を覆う。やがてその場に残ったのは、異形の獣人とペジリムのカケラだけだった。
マオが小さく舌打ちした。
「見せたいものは全部見せたっす。戻るっすよ」
そう吐き捨てるや否や、マオは踵を返した。マオに続こうと振り向いた時、千堂の顔が目に入った。彼は表情を曇らせていた。
数十分後、マンションの一室。
「……とまあ、あれがバイオコップの実力っす」
俺達はリビングの真ん中に置かれたちゃぶ台を囲んでいた。マオは不敵な笑顔を浮かべ、座る俺達の顔を見回す。
ペジリムが倒されてから数十分経った。
未確認生物2体の出現は、すでにネットで拡散しているほか、各新聞社も報じ始めている。SNSのトレンド欄は、もはや未確認生物一色に染まっていた。
マオが「ネットに公開しているヤツはダメ」と言った理由にも、やっと思い至った。ネットに公開済みの怪獣だと千堂が身バレするからか……。
マオがいつものテンションに戻ったのは、ちょうどこの部屋に戻ってからだった。それまで帰り道を歩いている時は、どこか塞ぎ込んでいるように見えた。
マオの正体について、より踏み込んだ話を聞けたのもこの時だった。といっても、
「実はわたし、宇宙人なんすよ。君らは地球外生命体とコンタクトした、数少ないホモ・サピエンスの1人、いや2人っす!」
と、何ともフワフワした説明をされただけだ。
バイオコップも宇宙人、とは聞いた。しかしそれ以上の説明はなかった。依然として分からない事だらけだ。
しかし、『宇宙人』という説明を信じるつもりではいた。青い球、プロジェクター、そして何より実体化したペジリム。この現象をとりあえず説明するには、それしかあるまい。
「君らの一大目標はバイオコップをブチ殺す事っす。証拠を残さず、とか細かい事は考えなくてもオッケー!どんな方法でもいいから、とにかくアイツを殺してほしいっす!」
始めて会った時のような、明るい声だった。
「メダルの補給はあたしがやるっす。2人は今まで通りの生活を送りつつ、バイオコップの捜索や抹殺に協力してほしいっすよ」
俺達はただ顔を見合わせた。
まさに一寸先は闇のように感じられた。これからどうなるのか全く予測がつかない。だが全くいい予感はしない。自分達が段々どこか深いところに落ちていくような感覚を覚える。
マオは何も言わなかった。ただ俺達を見透かすかのように、俺達の顔を見てニコニコ笑っていた。
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