第32話 夏の残響—夜に揺れる心のまま
「駅まで送ってくるよ」
その言葉を母に言ったきり寡黙な晃。魁斗は息が詰まるような沈黙に、心が張り裂けそうだった。
「....なあ晃。俺」
ようやく言葉を捻り出す。
「ん?」
「別れないよな。俺たち」
「最初から付き合ってねぇだろ」
「....ああそうだな」
「俺、里桜と別れるつもりだ」
晃が歩くのをやめ、自動販売機でコーヒーを買う。「ブレスレットのスイッチを入れとけ。そこで話そう」公園のベンチに座った。
「里桜と別れるのは自由だが、悪いが俺はお前ともう会わねぇ」
魁斗はその言葉に、身体全身凍りつくような衝撃を受けた自分に驚いた。
「母親に言われたからか? そんなの気にするなよ」
「そうじゃない。正直ずっと考えてたことなんだ」
「....そんな。そんなことぐらいであっさり会わねぇとか! やっぱり俺のこと単に揶揄ってただけなのか」
身体が震えつい魁斗は声を張り上げた。
「お前の人生に、余計なチャチャを入れて悪かったな」
「そんなこと、今更言わないでくれよ!」
「じゃあな楽しかったよ、ありがとな」
立ち上がり彼の去っていく姿にどうしようもない。
苦しくて.....止められない。
行かせてはダメだ。
「……行くなよ!晃!」
魁斗の声が震える。
「俺はお前みたいにバスケもできない。勇気もないし大人でもない。ただの世間知らずのバカだ!
……でも本気なんだ。失いたくないんだよ!」
涙で視界が滲み、晃の姿はもう見えなかった。崩れ落ちそうな身体を引きずるように彼のマンションを見上げる。
(もうここにも来られないのか……)
そう思って背を向けた瞬間。
――ぎゅっ。
強く抱きしめられた。
「やっぱり……無理だ」
晃の声が震えていた。
「な、なんだよ……お前」
魁斗の目からさらに涙が溢れる。
「そんなこと言うな。……言われたら、本当に離せなくなるだろ」
返す言葉を失い、ただ胸に顔を埋める魁斗。
気がつくと晃に身を任せていた。
「えっ……?」
振り返ると、街頭の光に照らされて
――そこには立ちすくむ里桜の姿があった。
「里桜!.....何でここに」
◇
里桜の胸は理解できない感情で動けなかった。
あの二人が?
自分の目を疑う光景に言葉も出ない。
(……でも、どうして私はここに? そうだ)自分が父と喧嘩して、勢いでここまで来てしまったことに気づく。
――あっ大変。
父がこちらに向かってくる……。
里桜は喉の奥が締め付けられるような恐怖と、心臓の高鳴りを感じながら足を踏み出した。この場に留まれば魁斗も晃もそして自分も、父の目に触れてしまう。
(……ここは離れるしかない)
里桜は静かに、しかし決意を固めるように後ろを振り返らずその場から走り去った。夜風が頬をかすめ胸の奥の痛みがほんの少しだけ和らぐ。
◇
父の車が静かに近づいてきた。黒塗りの車体が街灯の光を反射しエンジン音が低く街に響く。
「乗りなさい」
その低い声に里桜は何も言えず、ただ黙って車に乗り込む。体は緊張で固まっているが、心のどこかでほっとする自分がいるのも確かだった。
心臓の鼓動が早まる。視線の端で先ほどの魁斗と晃の姿を思い出す。あの光景を父に知られずにどうやって胸にしまうか――その思いが頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
車が静かに発進する。夜の街並みを滑るように進みながら、里桜は小さく息を吐き窓の外に目をやる。心の奥で、あの二人に伝えられなかった思いとこれからどう動くかの迷いがまだ解けずに残っていた。
「魁斗くんと一緒じゃなかったのか?」
父の声が低く車内に響く。
里桜はしばらく黙っていた。心の中でどう答えたらいいかわからず喉が詰まる。
やっと静かに口を開く。
「彼は……普通に友だちといただけだよ。邪魔しないように帰ってきただけ」
父の目が鋭く光る。
「誰といたんだ?」
里桜は一気に感情が溢れ出す。
「誰でもいいじゃない! もうやめて……!」
胸の奥が熱く涙がこぼれそうになる。手は窓の縁を握り締め言葉の重さと、自分を縛ろうとする父への反発心が混ざり合った。
父の車は静かに街路を進む。里桜はシートに沈むように座り、ハンドルを握る父の横顔を見ずにただ窓の外を眺めていた。
「……里桜」
父の低い声に思わず小さく息を飲む。
「……ごめんなさい。勝手に出てきちゃって」
言葉は震えていた。胸の奥の葛藤が混ざり合う。
「……魁斗くんとは別に何もなかったのだろう?」父の声には鋭さはなく、ただ落ち着いた問いかけがあった。
里桜は一瞬言葉に詰まる。
(……どう答えればいい?)
「ええ、彼は友達といただけ。お父さんの思ってるような人じゃない」小さな声でそう答えた。
父は無言で前を見つめたまま、車を静かに走らせる。沈黙が長く続き、里桜は胸の奥がざわつくのを感じる。
「……里桜、帰ったら話を聞かせてくれ」
ようやく父が口を開く。声は柔らかいが重みがある。
里桜は小さく頷いた。心臓がまだ早鐘を打ち夜の空気が冷たく頬を撫でる。先ほどの二人の姿が頭を離れない。胸の奥が痛く同時に少し安心している自分もいる。
「わかった……」
言葉は小さく、ほとんど囁きに近い。
車は夜の街を静かに進む。夜風の匂いと遠くに見える街灯の光が、里桜の混乱した心を少しずつ落ち着かせていく。
(……今はただ家に帰ろう。落ち着いたら考えよう)
窓の外の景色が流れ、夜の街がゆっくり過ぎていく。里桜は深呼吸し拳を軽く握り締めた。心の中で、まだ解けない迷いと決意の種をそっと育てながら――。
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