第4話 夏の残響 ― 揺れる心

翌朝の教室。

里桜りおが笑顔で声をかけてきた。


「昨日、何回かメッセージしたんだよ。見てなかった?」

「……わりぃ、寝てた」

「うそ。家に行ったら、まだ帰ってないってお母さんが言ってたよ」


一瞬、背筋が固くなる。魁斗は「ジム」とだけ答えた。嘘じゃない。けれど、なぜか隣にいた上条のことは言えなかった。ただ事実を言えばいいのに、胸の奥で言葉にならないざわめきが膨らんでいく。


「そっか。体調悪いのかと思って、様子を見に行ったらいないから、心配したよ。……ね、今日レポート一緒にやらない?」

「……ああ」



放課後。カフェの窓際。並んで座り、レポートを書いていると里桜が話題を振った。


「昨日の試合、本当にすごかったね」

「……負けたよ」

「でも魁斗なら推薦、狙えるんじゃない?」

「さあな」


心ここにあらずの返事に、彼女は気づかない。


そのとき、窓を叩く「コンコン」という音。顔を上げると、上条晃かみじょうあきらが立っていた。


「よぉ、金矢」

「……上条」

「明成の上条君?」里桜が戸惑いつつも席を勧める。


上条は当然のように魁斗の隣へ腰を下ろした。

「コーヒーでいいや。……金矢の彼女? かわいいな」その一言に里桜は頬を染める。


「昨日の試合、ギリギリだったな。金矢が強いから焦ったよ」

「……ああ」


そしてさらりと続けた。

「それに――昨日のアオイ。いきなりキスは驚いただろ。……お前らはしないのか? キス」


里桜が息を呑む。魁斗は苦笑でごまかした。

「冗談だろ」


上条は肩をすくめて立ち上がる。

「じゃ、またな」


去っていく背中を見送りながら、里桜がぽつりと呟く。「……彼って、ちょっと危ういこと言うよね」

「冗談だって」魁斗は軽く流した。



夜道。

彼女の自宅前まで来たとき、里桜が立ち止まり、そっと背伸びして唇を重ねてきた。


拒む理由はなかった。自然に受け入れた――はずだった。


……なのに。


心は止まっていた。頭に浮かんだのは、昨日の試合で見た上条の笑顔と、アオイの微笑み。魁斗は言葉を出せず、ただ唇を離した。


「検定が終わったら、うちに遊びに来て。家族が魁斗に会いたいって」柔らかい声の裏に、制服が持つ威厳と重圧を感じた。


未来を縛る鎖のように。


里桜を家に送り、公園を抜けようとしたそのとき――。


電灯の下から、上条が現れた。

「……なんでここに」

「通りかかっただけだ」


月明かりの下で、上条が手をポケットから出す。銀色のブレスレットが冷たく光った。——アオイのブレスレット。


魁斗の胸が跳ねる。自分の腕に残る冷たい感覚と、目の前の光が重なる。


「それ……」声が漏れる。

上条は視線を逸らさずに低く言った。

「アイツから預かった。……スコアを誤魔化せるらしい」


カチリ。

金属音が夜を裂いた。


次の瞬間、上条の顔が迫る。

魁斗の背筋が硬直する。


——赤いランプは点灯しない。

——警報も鳴らない。


喉が焼けるほど、心臓が暴れていた。


「ほらな」

勝者の笑みにも、挑発の笑みにも見える表情で上条が言う。

「違反は消せる。アオイは……本当にわざとだった」


魁斗は息を荒げたまま、言葉を失った。

ただ夜風の中で、鼓動だけが耳に響き続けていた。

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