第37話『翌日になって……』


 知らない天井だった。

 頭の後ろの方で、何人もの気配がする。


「あ、あで……?」


 コエーヨが目を覚ますと、お日様の匂いがするベッドで、手足をはみださせながら横になっていた。


「えっどぉ~……」


 どうしてこうなったかを思い出そうとして、コエーヨはすぐに諦めた。

 何ともまったりとした空気が、それが何の意味も無い事だと思わせたから。

 怒鳴りつけて来る兄ちゃんもいないみたいだ。こういう時は、お腹が空くまでベッドでゴロゴロしているのがコエーヨの楽しみだ。

 お腹の上に掛けられてた布団は、ほかほかしてて軽やかで、いつものべたべたした薄い毛布とは段違いに心地良い。


「うふ。うふふふ……」


 すうっと息を吸って見上げると、目新しい天井板の板目が目に入った。

 ぱたぱたと小刻みに足を小刻みに振る。

 この唐突に始まった異音に、シーン第二神殿の人々は何事かと不思議に思うのだが。


「い~ち、に~ぃ、さぁ~ん……」


 その木目を数えるという、新しい遊びにコエーヨはすっかり夢中になって……



 ◇ ◇ ◇



「えええっ!? やっぱりナナナ先輩が帰って無い!?」


 最終的に院長室でそう話を聞かされたプリムは、愕然としてしまった。

 昨夜は帰りが遅かったので、その辺を確認する前に泥の様に眠ってしまったプリムであったが、いざ今朝になって話を聞いて回ると、誰もナナナが帰って来たのを見ていない。今朝も誰も顔を合わせていない事が判ったのだ。


「そ、そんな……じゃあ……」


 まだあの崩れたダンジョンの中で……

 新緑を帯びた頬を真っ青にするプリムを横目で眺め、院長のミランダは目を細めた。


「そうさねぇ~。あの娘が二三日帰らない事は、良くある事なんだよ。まぁ、とりあえず、あの娘のガレージを見て来たらどうだい?」

「ガレージ、ですか?」

「ああ。バイクを仕舞う家を持ってんのさ。うちとしては、別にそこから通ってくれても構わないんだけどねぇ~。みんなで飯を食うのが楽しくて良いんだとさ。まあ、アホみたいに食う訳じゃないから、別に良いんだけどねぇ」

「はぁ~……」


 グランゼールの街は大規模な陥没騒ぎで大事になっていても、院長のミランダは特に何をするでも無く、シーン第二神殿は日常のまま。

 規模の大きな騒動になれば、第一神殿の管轄となり、第二神殿はそのサポートに当たるのが決まり。今や第二神殿は待機状態に。と言っても、特に何をするでも無いのだが。


 ギシリ。


 プリムの退室後、ミランダは椅子に深く座り直す。

 幾つかの報告書に目を通しながら。


「やれやれさね」


 そうこぼした。

 もし、ナナナがその陥落に巻き込まれたとして、こちらが動いたとしても何が出来るのやら。現場はそれに対応する為に、指揮系統が形成されそれに応じて対処がなされている筈。

 街規模ともなると、勝手に首を突っ込んで良い話では無くなってしまっている。

 幸か不幸か、現場は第二神殿の管轄である下町から、少し離れた冒険者街。

 それよりも懐に抱え込んでしまった件が、少し問題になっていた。



 ◇ ◇ ◇



 区域が変わると、風景も変わる。


「ほ、ほんとにここで良いの?」


 プリムはびっくりするやら驚くやら。

 教えられたままに訪れたナナナのガレージは、街の北側にある成功者街と呼ばれる高級住宅街にあるらしい。

 そこの緑あふれる公園の片隅にある二階建ての小屋。レンガ造りの小屋は、どうやら防火施設らしく、一階がガレージになっていて……


「あっ、これって」


 半開きになっていたので、ひょっこり覗くと、例の大型魔導バイクが珍妙な赤い車両の横にどーんと置いてあった。

 ここに間違いない!

 そう確信したプリムは小走りに駆け寄るのだが、何かにつまづき転びそうになる。


「はわわわ。こ、これって!?」


 足元に落ちていたのは、いかにも冒険者が身に着けていそうな、粗末な造りの革鎧の一部で、それが点々と転がっているのが判った。

 まるで奥にある二階への梯子に向かい、続く様に。


「うわ~、きったな~い……」


 血や何かの体液にまみれ、ドロドロに汚れたそれを木靴の端でちょちょいとどかし、プリムは奥の梯子へと向かった。

 嫌な予感がした。

 ならず者の冒険者に捕まって、酷い事をされているのではないか?

 あの化け物に捕まって、食べられてしまったのでは?

 もしかしたら、酷いケガを負って、一人動けないでいるのではないか!?

 嫌な妄想にお尻を叩かれる様にして、一気に梯子をよじ登ったプリムが見たものは!!


「ナナナ先輩、大丈ぶーーーーーっ!!? 」


 ちゃぽん。ウィスキーの瓶が小気味良い音を発て、茶色い液体が揺れている。

 薄暗い室内でもはっきりと見えたのは、すっぱだかで仁王立ちしているナナナのあられもない姿であった。


「よお、プリムじゃねーの? 誰かと思ったぜ」

「な、な、なななな、何をしてんですかーっ!?」

「お? 俺を呼び捨てとは、えらくなったもんだなあ~、え? プリちゃんよ」


 片手でラッパ飲みしつつ、残る左手で拳銃を持ち、銃口をプリムに向けていた。

 それはまあ良い。

 匂いが凄い!

 お酒の匂いはまだ判るものの、狭い部屋に汗やら何やら獣染みた匂いやら、春先に香る様な華やいだ香りやら、煙草の匂いやらがむんむんに充満していたのだ。


「何だ、おめぇの知り合いかよ。人騒がせな」


 奥では葉巻をくゆらせてる男が居る。

 思わず顔を隠すプリムであった。

 何しろ男もまた、素っ裸だったから。


「何をしてるんですかあ~、もう~! 心配して来てみれば~!!」

「え?」

「おお、何ったら、ナニだよな」

「「あ~っはっはっはっはっは!!」」


 やだもう下品~!!


 青みのかかった顔を真っ赤にしたプリムは、そのまま転がる様に梯子を降りて逃げ帰る。

 その様を二階の窓から見送るナナナ。

 頭をぼりぼり搔きながら、苦笑い。


「や~れやれ。ちょっとは顔出しとくか」

「おお。後輩想いじゃねーの」


 と太々しく葉巻を燻らすヒデーヤに、酒瓶を突き出しにその手にあった葉巻をひょいと咥えるナナナである。


「へ。そんなんじゃねーよ。敵情視察みてーなもんさ。おめーは、その顔じゃうろうろ出来ねーんだろ? 知ってんぞ。やべえとこ敵に回しちまったってな」

「ん? まあな。ま、やっちまったもんはしょーがねぇさ。さて、どうしたもんか……」

「無責任なヤローだぜ」

「はん。まったくさ」


 自嘲するヒデーヤとせせら笑うナナナ。幾度か酒と葉巻を回しのみ、ぺしぺし小突き合ったりしつつ、ナナナが身支度を整えていく。


「しばらくの間、ここで好きにしてな。その間、水や食い物は運んでやるよ」

「酒もな」

「はは! 葉巻も回してやんよ。後は~……鎧はあたし用なら物入に入ってるけど、あんたにゃ無理だろ? なんか見繕って来てやんよ」

「ありがてえ」

「ま、下手こいて見つかんなよ、っと!」


 するり梯子を伝って滑り降りるナナナは、一瞬でヒデーヤの視界から消えた。

 数日にて、クラン『メルヘンリンク』という城を失ったヒデーヤであったが、その顔からギラついたものは消えずに、依然と満ち満ちている。

 冒険者は死なない。

 ただ、そこに居なくなるだけだ。

 次なる冒険への予感が、ヒデーヤの腹の奥でふつふつと煮えたぎっているのが、当人にも、その場を離れたナナナにも、判っている事であった……


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