第36話『脱出』
パタパタと叩く乾いた音が響く。
ダンジョンの薄暗がりの中、うっすらと見えるコエーヨの大きな影に人々が群がり、何かを確かめる様に手を伸ばし、それぞれに声をかけていた。
「いやあ~、俺はてっきり死んだかと思ったぜ~!」
「なんだよ~、どうなってんだよ~?」
「どこかケガしてないかい?」
「あは、あは、あはははは……いきなり兄ちゃんがぶつかって来てぇ~。あれ? 兄ちゃんは? ヒデーヤ兄ちゃ~ん!!」
のほほ~んとコエーヨが大声を上げるが、返事は無い。
「きっと、先にいっちまったんだよ。お前の兄ちゃんは」
「え~……そんなあ~……」
そんな巨漢に見合わぬ子供っぽい反応に、ドッと皆は笑い声をあげた。久しく忘れていた様な、そんな安堵の笑いだ。
「じゃあ、急いで追いかけないとな?」
「う、うん! 追いかげないとね!」
「あははは! そうだそうだ!」
「そうだよ!」
「さあ、行こうぜ、兄ちゃん!」
「え? 俺は兄ちゃんじゃないよ~」
そんなやり取りで、更にドッと笑いが起こった。
初めて出会った時に『化け物』呼ばわりして、恐れ慄いていたのが嘘の様に。
「コエーヨさん……良かった……本当に、良かった……」
少し離れた場所で、一人佇むプリムはそんな光景にぽろぽろと涙を流していた。
衝動的な何かに突き動かされる様に、嗚咽が止まらなかった。
幸いな事に、この薄暗がりと騒ぎが、そんなプリムの様子を覆い隠してくれている。
そしてプリムは気付かなかった。
別に二つの人影が、そんな騒ぎを少し離れた位置で、じいっと見つめているのを。
「良かったよお~……」
ぐしぐしと目元を擦り、はらはらと涙を流しているプリムを、誰かがその手を引いてくれた。ふわり、神殿で嗅ぎなれたお香の香り。
顔を上げれば、二人のシスターがプリムの手を左右から引き、たちまちコエーヨの前に引き出すのだ。
近くに来ただけで、プリムにはコエーヨの持つ熱量を顔で感じる事が出来た。
「さあさあ、プリムちゃん」
「言いたい事があるんじゃないの?」
何か弾む様な声で、シスターたちが即して来る。
何を期待されているのだろうと、どぎまぎしちゃうプリムであったが。
「あで? プリムちゃん?」
「ひゃう!? ……コ、コエーヨさん……」
それだけ言うのに精一杯。恥ずかしいやら嬉しいやら、後ろからシスター達もぐいぐい押して来るし、とにかく焦った。焦ったので、とりあえずみんなと同じ様に手を伸ばした。
ぽんと軽く叩く。
分厚い筋肉。その熱さと弾力から、ホッと安堵の息を漏らす。
「良かった……良か……ふえ、ふええええ、良かったよぉ~!」
「あで? あでで? なで泣いてんの? ねぇ、何で?」
これにオロオロするヒデーヤ。目の前のちっちゃな女の子に、どうすれば良いのかオロオロするばかり。そんな様に、大人たちはますます笑いを高め、こうなるともう止まらなかった。
◇ ◇ ◇
ますますガララと崩壊が激しくなるダンジョン。
コエーヨの小脇に抱えられたプリムが、未だめそめそと泣き散らしている中、不意に空気が変わった。
外気が涼しい。
転がる様に、一人、また一人と這い出ると、何か巨大な質量が崩れ落ちていく重苦しい音が、巨人の悲鳴の様に、辺り一帯を満たす。
見れば、街の建物が、まるで生き物であるかの様に、うねうねと蠢き、ゆっくりと沈み込んでいくのが、満天の星空を切り取ったかの様な影の動きでそうと伝わって来た。
辺り一帯には、建物から飛び出して来た人々に満ちて、プリムらの有様は別に不思議なものではない様で、誰も関心を払う事は無かった。
「何て事……」
「と、とにかく、全員居るか!?」
息を呑む人々は、その顔ぶれを確認しようとしたが、もう誰が誰だったか、あまりの人ごみに収集がつかない。
「兄ちゃん……兄ちゃーーーん!! ヒデーヤ兄ちゃーーーーん!!!」
コエーヨの幼さを帯びた野太い声が、わんわんと響き渡るのだが、それに応える者はついぞ現れ無かった。
そして、そそくさとこの場を離れる二人が。
「くくく……剣の結界がボロボロだ」
「とにかく、今はどこかに隠れなければな」
「「かかかか! バカな人間どもだ!」」
金属がきしむ様な乾いた笑いを放ち、宵闇へと消えゆく二つの影。
剣の結界。人々の住む街を、アビスの化け物の侵入から守る為のもの。それが、広範囲の滑落、地盤沈下により大きく損なわれてしまった。
結界が穴だらけになったのだ。
だが、そこに住まう人々は、その事を未だ知らずにいた。
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