第8話 新総統室
その扉は、異様なほどの存在感を放っていた。漆黒の木材に金の装飾が施され、中央には鷲がハーケンクロイツを鋭い爪で掴んでいる。まるで、歴史そのものを掴んで離さぬという意思の象徴だ。
扉の先——新総統室。
そこにいたのは、かつて20世紀最悪の戦争犯罪者と呼ばれた男の血を引く末裔だった。
重厚なカーペットに膝をつき、アウグスト・ヒトラーは、一枚の肖像画を見上げていた。
描かれているのは、第一次大戦の従軍経験を持ち、第二次世界大戦では独裁者として世界を震撼させた、あの男。
だが、アウグストにとっては「祖先」などという単純な存在ではなかった。
それは呪いであり、運命そのもの。
「私は……貴方を恨めば良かったのか?」
乾いた声が、静寂に吸い込まれていく。
幼い頃から、アウグストは地下施設に閉じ込められ、ナチス残党に囲まれて育った。彼らは敗北者の末裔であり、世界に復讐を誓う亡霊達だった。そんな彼らにとって、アウグストは希望であり、道具であり、神聖な血脈だった。憧れと期待は次第に歪んだ崇拝へと変わり、いつしかそれは重荷でしかなくなった。
「それでも……俺に祖先を恨めというのか? 祖国を背負い、戦い、散っていった貴方を……」
苦悩が怒りに変わる。
鋭く伸ばした拳が床を打ち鳴らした。
「そんなこと、できるわけがないだろう!!」
独裁者だろうと、虐殺者だろうと——
あの時代、どの国も同じだった。
生き残るために、誰もが手を血に染めた。
だというのに、全ての罪と悪意をアドルフ・ヒトラー唯一人に押し付けた世界を、どうして許せるというのか。
アウグストは立ち上がると、軍靴の踵を強く鳴らし、重厚なドアを開けた。
目指すは管制室。
そこには、第三帝国の亡霊達が築き上げた新たなの戦場があった。
艦内を進むアウグストの姿を見た兵士達は、次々と姿勢を正し、敬礼する。
その顔には恐れと畏敬が入り混じっていた。
彼は唯の司令官ではない。
歴史そのものを背負い、世界に裁きを下す”運命の子”なのだから。
「そろそろか?」
冷たい声に、通信士が緊張を押し殺して答える。
「はっ、ロシア空軍の戦闘機編隊、接近中!」
艦橋の窓越しに、雲間から迫る点影が見え始める。
MiG-70、Su-114——ロシア空軍が誇る最新鋭機が編隊を組み、巨大飛空戦艦ヴィマナに挑もうとしていた。
だが、それを迎え撃つノクティス第三帝国空軍の戦闘機群は、まるで異次元の動きを見せた。
遺伝子改造を施されたパイロットたち——反射神経、空間認識能力、操作精度、全てが常人の数倍に高められている。
彼らにとって、ロシア機の動きなど遅すぎる標的でしかなかった。
高度一万メートルの蒼穹で繰り広げられるドッグファイト。
Su-114の機動を見切り、MiG-70のエンジンを的確に撃ち抜き、音速の殺戮が進行する。
焦るロシア軍司令部は、ついに最後の手段に踏み切る。
「……核を使うしかない」
通信衛星を介して下された決断。
数発のICBMがシベリアの地下サイロから立ち昇る。
その報告を受けた管制室。
誰もが息を飲んだ。
だが、アウグストだけは微笑んでいた。
「実戦投入だ。核など、時代遅れよ」
艦体中央部が静かに開き、ヴィマナの腹部から、巨大な砲塔が姿を現す。
無数のチューブが絡み合い、まるで生き物の神経網のように艦内システムと直結していた。
「重力砲、目標ICBMロック」
砲手が淡々と手順を進める。
発射されたのは円盤状の特殊弾。
それは核ミサイルの周囲で爆発したかに見えた——次の瞬間、異常が起きた。
核ミサイルから放たれた白い光が、まるで吸い込まれるように消える。
空には黒い渦が生まれ、周囲には雷が走る。
通常兵器では決して起こり得ない、物理法則のねじれが発生していた。
「重力収束完了」
「ICBM、消滅確認!」
ロシア空軍、そしてクレムリンの司令部には恐怖が走る。
新兵器というレベルではない。
根本的に戦争の概念を覆す存在が、目の前にあった。
「まさか……統一場理論を解明したというのか?」
ロシア国防省の技術顧問が、震える声で呟く。
それは長年、物理学者たちが追い求め、決して手が届かなかった領域。
重力、電磁力、強い力、弱い力——全ての力を統一的に操作する理論。
不可能と言われ続けた「神の領域」を、ノクティス第三帝国はついに踏み越えた。
アウグストは艦橋からロシア上空を見下ろしながら、静かに呟く。
「世界よ——お前たちが恐れたものは、まだ始まりに過ぎない」
黒き巨大飛空戦艦ヴィマナ。
その名は、神々の空飛ぶ宮殿——だが今、そこに座すのは、神ではなく人の意志だった。
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