木のうえで立って見るは、一りの了
@rokuma_tomosiki
出会いの日
第1話 親子依頼
「やっ、君、わたしの子どもになってみないかい?ちなみに父親と母親、どっちがいい?」
「…………は?…」
続く言葉が喉を伝うことは無く、間抜けな声を出したわたしは、そのまま数秒ほど固まっていたように思う。
思う、というのはわたし自身、自分の身体が自分ではないような気がしたからだった。
目の前にいる人物の、言っている内容も意味が分からなければ、その口調もこの場には全く即していなかった。
若い、二十代くらいの銀髪の女が、にっこりと微笑みながら語りかけて来ていた。
わたしよりも絶対に年上なのに、瞳は物心ついたばかりの少年のようにらんらんと輝かせているし、他意も無い純粋な口調で聞いてくるその陽気な声には、なぜだか身の毛のよだつような思いさえしてくる。
その顔や身体には、女のものではない血がべっとりとこびりついている。人一人の者とは思えない大量の血を纏わせながら、それを全く意に介していなかった。
わたしを前にした女の様子は、雨の中遊んで泥だらけになった子供が、ふとかたつむりを道の端に見かけてはしゃいでいるのとなんら変わらない。
こんな場所、状況でなければまだ返事をする程度の余裕はあったはずだ。
そもそも、目の前にいる女はわたしを助けてくれたのだ。今まさに盗賊に叩き斬られそうになっていたわたしを、どこからともなく颯爽と現れたこの女が殺してしまった。
一瞬の出来事過ぎて、わたしは混乱してしまった。武器を持っている様子もなく、鍛えているような風体もしていない。
だというのに、彼女の倍の太さはある盗賊の男の腕が、根元からスパッと斬られている。
綺麗な断面過ぎて、男でさえ何が起こったか分かっていなかった。一拍置いたのち慟哭を上げるその男の首を、女は同じように切っていた。
村の炎に照らされて、銀の髪が眩く照らし映されている。町でこんな髪をしている者に出くわせば、一瞬にして目を奪われるだろう。
熱風に煽られ、ひらひらと舞うその髪の一本一本が、一度だけ見た、行商人が一番自慢していた他国の布糸を思わせる。
透き通るような肌は、比喩でなく後ろの背景が見えそうになるほどだ。薄い布一枚を雑に着、華奢な身体は今にも風に乗って飛んでいきそうであった。
目も鼻も口も、とても整っている。すっきりと立った鼻に、薄く紅をさした唇。整えられた上がり眉からは底知れぬ意志を感じる。
そしてその目。赤と碧、それぞれの目に見つめられると、その透き通る瞳に引きずり込まれそうになる。
「あれ、聞こえなかった?じゃあもう一度言うね?やっ、君、わたしの子どもになってみないかい?ちなみに父親と母親、どっちが…、」
「うる…、聞こえてる、い、います。それよりも、」
何とか絞り出した声をそのままに、わたしは必死に目線を周囲にやった。
盗賊の男たちが、一斉にこちらに向かって来ている。仲間が一人やられたことで異変に気付き、続いて女の姿を確認して集まってきている。
剣や斧、血がこびりついた武器を手に、喉を乾かした動物のように目を光らせながらこちらへと近づいてくる。
そんな男たちの姿を改めて確認し、ふつふつと、わたしの中でくすぶっていた炎が蘇った。
予期せぬ突風に不意をつかれたが、こいつらはわたしの村を壊したんだ。
(村、もそうだけど)
もう見知った声など一切しない炎の中を傍目で見た。家も、畑も、森も、集会所も、唯一自慢できるものだった大浴場も、全ては赤で塗り替えられている。
さっきまで響いていた悲鳴も、嗚咽も、笑声も、業火の爆ぜる音に吸い込まれ、後にはほんの少しの、怒気の籠った声しか残っていない。
この村も、大切、だったと思う。少なくとも生きてはこれた、文句の一つや二つ、言いたくなるような仕打ちではあったかもしれないが、最低限の衣食住は備わっていたのだ。
だけど、どうしてもまず真っ先に、心の多くを占める姿がある。村の誰に対してよりも大きいその感情を、やり場のなくなってしまった感情を持て余してしまっている。
(父さん…、)
最後の姿を思い出すたびに、腹の底で煮えくり返ったような思いが溢れかえる。目の前に広がる全てを壊してしまいたい、鼓動が強く脈打つ、その音がわたしを支配しそうになる。
破壊してしまえと、悪魔のような囁きが聞こえ、わたしは今しがた死んだ男から小さな短剣を奪い取り前に構えた。
誰もわたしに何か目もくれていない。ぼろぼろで、灰塗れで、やけどだらけで血で傷ついていて。
瀕死で倒れそうなわたしのことなど、もはや彼らの視界には映っていないのだ。
「うん、やっぱり思った通りだ。君はわたし好みのいい目をしているね。皆がどこか諦めかけ、あるいは他者の助けを漠然と祈るだけの中、君は自分の意思で生き残っている。わたしの見立ては間違っていないようだった。」
一人、わたしの目を覗き込むようにして、腰を曲げてきた女以外には。
周囲から距離を縮めてくる男たちの姿、気配、音、そういったものをこの女は認知しているのか不安に思った。
真っすぐに、無邪気にわたしを見つめながら、屈託なく女は笑っているのだった。
「なにを、言っているんだ?あんた頭おかしいのか?この状況が、分かっていないのか?わたしもあんたも、すぐに殺されるぞ。」
わたしは思わず、怒りに身を任せて罵声をぶつけてしまった。
(いや、それ以前に。)
この女が盗賊たちの仲間でないという保証などどこにあるだろうかと、わたしは混乱した頭を必死に整理しようと努めた。
男たちとこの女が仲間割れをした可能性だってある。男は明確にわたしを殺そうとしていたが、女はそれを阻止した。
(もしかして…)
子どもになれ、と女は言った。言い回しはよく分からないが、この女はわたしのことを生け捕りにするつもりなのかもしれない。
女の右腕が、わたしの方に向かって伸びてきた。わたしは剣を握った手を振り上げようとしたが、身体は思うように動いてくれなかった。
(し、死ぬ…。)
盗賊たちなんて比べるまでもなく、この女には何かがある。
たたずまいが、その異様な気配が、場に似つかわしくない表情が、全てが普通の人間とは違う。
今しがた男がされたように、わたしも真っ二つに切られてしまう。木こりが木を切るよりも早く、台所で野菜を切るかのようにすっと、何事もなくわたしは殺される。
咄嗟に感じた死の恐怖で、わたしは思わず目を瞑ってしまった。
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