駕籠の中身

田村 計

第1話

 紅葉の赤もまばゆい秋の空の下、半端者の丑之助は、仲間の寅太郎とともにある屋敷へと向かっていた。

「寅公、本当にそんなうまい話があるのかい」

「疑うんなら来なくていいぜ、丑の字。相手はこの一帯を仕切るお役人様、ほんの二日の仕事で銀二枚も弾んでくださるんだ。お前じゃなくたって相方は見つからぁ」

「待て待て、断るなんて言ってねぇだろう」

半丁博打でスッテンテンにされ、賭場で途方に暮れていた丑之助に寅太郎が声をかけたのは、ほんの一刻前のことだ。割のいい駕籠かきの仕事があるから、手伝ってくれないかとの誘いだった。一も二もなく、丑之助はそれに乗った。ひと稼ぎしたらそれを元手に賭場での負けを取り戻そうと、取らぬ狸でそろばんを弾いたところだった。

 訪れた先は、門構えの立派な屋敷だった。編み笠を被った門番が、ふたりを睨みつけている。うかつな事をしたら、すぐさま槍が飛んできそうだった。

「木下様ぁ、寅太郎でございやす」

 門の内に向かって寅太郎が大声を張り上げた。

「お約束通り参りました。駕籠かきの人足も、もうひとり連れております」

 ややあって、ゆっくりと重い門が開く。

 門の向こう側には、裃をつけた身なりのよい男が立っていた。慌てて丑之助は頭をさげる。この男が、寅太郎の言っていた役人に違いなかった。

「約束の時刻より少々遅れておるではないか」

 少し苛ついた言葉尻で、役人が寅太郎を叱責する。

「申し訳ございません、ちょうど手の空いた者が見つからなかったもので。こいつは丑之助、見ての通り身体も大きく力も強うございますから、急ぎの駕籠にはもってこいの男です」

 口の旨い奴だと丑之助は胸の中でくさした。さっきは誰でもいいと言っていた癖に。

「丑の字、このお方はお役人の木下松五郎様よ。このたびのご依頼人だ」

 そう紹介されて、丑之助は笑顔を浮かべ、いっそう深く頭を垂れる。金払いの良い相手には、せいぜい愛想を振りまく主義だ。

「丑之助と申しやす。力と足の速さには自信がございますゆえ、ぜひお任せいただければ」

 無表情で丑之助を一瞥し、木下が門の中へとふたりを招き入れた。

 中には立派な駕籠がひとつ。丑之助が普段担いでいるような古びた駕籠とは違い、簾は錦の装飾で縁取られ、担ぎ棒にも朱塗りのほどこされた高級品だ。

「この駕籠の者を、ひと山越えた奉行所まで運んでもらいたい。ただし、中は絶対にのぞいてはならぬ」

 見てはならないとはどういう了見だろう。もしや中に乗るのは、自分などが顔を合わせることができないような高貴なお方なのだろうか。

「山向こうにはいくつかお奉行所がございます。どちらへお運びすればよいのです」

 寅太郎が木下に問いかける。

「南側にある、菊の御紋の奉行所だ。また、道は街道ではなく山越えの道をゆくように」

「ははあ、言いつけは分かりましたが」

 奉行所のある町まではふたつの道があった。といってもほとんどの者は山を迂回する街道を使う。少し遠回りになるものの平坦で歩きやすく旅籠も多く立ち並んでいるからで、わざわざ暗く険しい山道を行く酔狂者は少なかった。

 だが、今回は山道を行けという。

「人の多い場所を通って、うかつに駕籠の中をのぞかれては困るからだ。お前たちも決して中の者を見てはならぬ。分かったな」

「へえ、そりゃあもう」

 寅太郎がそう答えた横から、丑之助は口をはさんだ。

「見てはならぬというのは分かりましたが、中の方に話しかけても構わねえでしょうか?」

「話しかけたところで返事はせぬ。お前たちごときと会話をされる方ではない」

「お食事はいかがしたら」

「弁当を駕籠に積んである。気にせずともよい」

「ではもし途中で厠へ行きたいとなったら、中のお方はどうなさるのです」

「いい加減にせよ」

 あきれた顔つきで木下が丑之助を睨んだ。

「では戌の刻と丑の刻の鐘が鳴ったら、駕籠を停めて少しの間御簾を開けて差し上げろ。中は決して見ずにな」

 心の中で丑之助は舌打ちした。これでは誰がのっているのか知りようがないではないか。

 文句のひとつも飛び出しそうな丑之助の目の前に、ぴかぴかの銀が二枚差し出された。

「これは前金の銀だ。お前たちふたりに一枚ずつ。奉行所まで無事に運び終えたら、残りの銀も支払ってやる」

「ははあ! ありがてえ」

 満面の笑みを浮かべると、丑之助はもみ手で銀子を拝んだ。前金とはまったく気前が良い。なんだか見慣れた銀子より大きく見える気がするのも、極上の気分がなせる業というものだろう。とにかく山道を通って奉行所へ向かい、中の者をお奉行へ引き渡せば残りの銀も支払われるというのだから、これ以上とやかく言う必要はない。

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