第12話「未来からのヒント」

夜の帳が静かに街を包み込む頃、只野は自宅のソファに身を沈めていた。

膝の上には、昼間に島野部長から突き返された営業連携プロジェクト案の資料。

ページの端が少し折れているのは、彼が何度も読み返した証だった。テレビも消え、部屋には時計の秒針だけが静かに響いている。


「これ、社長には出さない。台数が減る可能性があるだろ。今はそんな余裕ない」


島野の冷たい声が、頭の奥で何度も反響していた。只野は目を閉じた。資料に込めた現場の声、阿部の言葉、営業マンの疲弊した表情。それらが、まるで波のように押し寄せてくる。

その瞬間、意識がふっと遠のいた。

気づけば只野は、札幌支店のショールームに立っていた。

だが、そこに広がる光景は、彼の記憶にあるものとはまるで違っていた。

ガラス張りの明るい空間。受付にはタブレットが並び、来店客が自分で操作して試乗予約をしている。

壁には大型モニターが設置され、EV車の特徴やライフスタイルに合わせた提案が映し出されていた。


「阿部さん、次のお客様、SNSでEVの投稿を見て来店されたそうです。20代のカップルで、環境意識が高いみたいです」


若い女性スタッフが、笑顔で阿部に声をかける。阿部は、かつて只野が現場の声を聞いたベテラン営業マンだった。だが今、その表情には疲れの色はなく、むしろ柔らかい自信が漂っていた。


「ありがとう。じゃあ、ライフスタイル提案型で話を進めてみるよ。あの二人なら、EVの静音性と維持費の話が響くかもしれないな」


只野は、まるで幽霊のようにその場に立ち尽くしながら、阿部の動きを見つめた。カップルがショールームに入ってくる。阿部はすぐに笑顔で迎えた。


「こんにちは。今日はSNSでEVにご興味を持っていただいたと伺いました。実際に乗ってみると、静かさと加速の滑らかさに驚かれると思いますよ。お二人の生活スタイルにぴったりな車種をご紹介しますね」


「実は、通勤距離が短くて、週末にちょっと遠出するくらいなんです。維持費とかどうなんでしょう?」


男性が尋ねると、阿部はすぐにタブレットを操作し、年間の維持費シミュレーションを見せた。

「このモデルなら、ガソリン車に比べて年間で約8万円ほど節約できます。充電も夜間電力を使えばさらに安くなりますし、補助金も使えます。環境にも優しいですしね」


女性が目を輝かせながら言った。


「すごい…こんなに違うんですね。正直、もっと高いと思ってました」


只野は、その自然な会話の流れに驚いていた。

かつての営業現場では、飛び込み営業で突然訪問し、断られ、頭を下げ、値引きで押し切るようなやり取りが日常だった。だが今、ここには押し売りも、無理な説得もない。顧客が自ら情報を集め、納得した上で来店し、営業マンはその期待に応えるだけだった。

ふと、背後から声がした。


「只野さん、これが“今”です。あなたが信じた営業の未来は、もう始まっています」


振り返ると、そこには誰もいなかった。

だが、コピオの暖かい声は続いた。


「飛び込み営業は、もはや時代遅れです。突然の訪問は顧客の警戒心を高め、営業マンの疲弊を招くだけ。それに、台数だけを追いかける営業は、短期的な成果しか生みません。顧客満足度を犠牲にして積み上げた数字は、やがて信頼の崩壊につながります」


只野は、阿部の背中を見つめた。彼はカップルを試乗車へと案内しながら、軽やかに歩いていた。その姿には、かつての疲弊した営業マンの影はなかった。


「今、札幌支店では“質重視”の営業に切り替えています。台数を追うのではなく、顧客一人ひとりに丁寧に向き合い、満足度と利益率を両立させる。結果として、紹介が増え、リピーターが増え、台数も自然と伸びている。数字は“結果”であって、“目的”ではないのです」


只野は、静かに言葉を漏らした。


「でも…うちの会社は、まだ“台数がすべて”だ。社長も、部長も、数字しか見ていない。現場の声なんて、聞こうともしない」


コピオは、少しだけ微笑んだ。


「だからこそ、只野さんが必要なんです。あなたは現場の声を拾い、未来を見ようとしている。その視点を、諦めないでください。変革は、いつも孤独から始まります」


只野は、夢の中で深く頷いた。目が覚めたとき、膝の上の資料が少しだけ重く感じた。それは、ただの紙の束ではなく、未来への扉だった。


そして、窓の外の雨は、いつの間にか止んでいた。



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