「相棒はAI~時を駆ける営業マン」

@5969

第1話「クラウンと富士山と只野」

澄み切った青空が広がる山梨の朝。


山の稜線がくっきりと浮かび上がり、遠くには堂々とした富士山がそびえていた。

山梨支店の駐車場には、朝日を浴びて輝くクラウンが一台。


只野はそのボディを丁寧に磨いていた。


タオルを滑らせるたび、光が反射して車体が生き物のように艶めく。彼の動きはゆっくりで、無駄がない。磨くというより、語りかけているようだった。


「この空気…この景色…やっぱり山梨はいいな。富士山が見えるだけで、心が洗われる」


只野はふと顔を上げ、遠くの富士を見つめた。その表情は穏やかで、どこか誇らしげだった。

そこへ、若手社員の佐伯がコーヒーを片手に近づいてきた。


「只野さん、納車先ってあのIT会社の三谷社長ですよね?クラウン、ピカピカっすね!」


只野はタオルを畳みながら微笑んだ。


「三谷さんには特別な思いがあるんだ。昔、飛び込みで初めて契約取った時からの付き合いでね。営業ってのは、車を売るんじゃない。信頼を積み重ねる仕事なんだよ」


クラウンのエンブレムが朝日に照らされ、富士山を背景に静かに輝いていた。

三谷社長の自宅は、山梨の自然に溶け込むようなモダンな一軒家だった。クラウンを納車すると、三谷は笑顔で玄関先に現れた。


「只野さん、いつもありがとうございます。クラウン、最高ですね。営業も変わらず丁寧で安心できます」


「ありがとうございます。三谷さんの信頼があってこそです」


三谷はコーヒーを差し出しながら、ふと声のトーンを変えた。


「只野さん、最近うちの営業部にもAIを導入したんですよ。営業スタイル、だいぶ変わりました」


只野は眉を上げた。


「AIですか…俺にはちょっと縁遠い気がしますが…」


三谷は笑いながら首を振った。


「そう思われがちですが、実は営業こそAIの恩恵を受けるべきなんです。今の営業はこうです——」


彼はタブレットを取り出し、画面を操作しながら説明を続けた。


「まず、顧客データは全部クラウドで管理。AIが過去の購入履歴や問い合わせ傾向を分析して、次に何を提案すべきかを教えてくれる。さらに、商談の録音をAIが解析して、どこで相手が興味を持ったか、どこで不安を感じたかまでフィードバックしてくれるんです」


只野は驚きの表情を浮かべた。


「…それはすごいですね。俺なんか、相手の表情と空気だけが頼りで…」


三谷は頷いた。


「でもそれが只野さんの強みです。AIは“補助輪”です。人間の感覚と組み合わせれば、営業はもっと強くなる。例えば、飛び込み営業も今は“予測訪問”です。AIが訪問先の確度を算出して、無駄足を減らしてくれる」


只野はクラウンのボディを見つめながら、静かに呟いた。


「予測訪問…時代は変わったな…」


三谷はクラウンに乗り込みながら、最後にこう言った。


「でも、最後に決めるのは“人”です。只野さんのような営業マンがいるから、AIも活きるんですよ」


その夜。只野の自宅は静まり返っていた。昭和の香りが残る木造の一軒家。リビングには古びたソファと、使い込まれた営業手帳。そして、三谷から借りたAIデバイス「コピオ」が机の上に置かれていた。

只野はゆっくりと玄関を閉め、靴を脱ぎながら独り言を漏らした。


「ふぅ…やっぱり納車は気を使うな。三谷さんの話、頭に残るな…AIか…」


彼はコピオを手に取り、そっと電源を入れた。画面が柔らかな光を放ち、静かに起動する。


「こんばんは、只野さん。営業履歴を読み込み中です。1992年〜2025年の記録を解析しています…」


只野はソファに腰を下ろし、手帳をめくりながら懐かしむ。


「新潟支店…飛び込み営業…江藤課長の怒鳴り声…あの頃は地獄だったな…」


その瞬間、外の風が強くなり、窓がガタガタと鳴った。カーテンが揺れ、部屋の空気が変わる。


「ん?天気予報じゃ晴れだったはずだが…」


雷鳴が遠くで鳴る。徐々に近づいてくるような低い唸り。照明が一瞬、パチッと音を立てて消え、すぐに復旧する。コピオの画面が異常に明るくなり、ノイズが走った。


「只野さん…異常な電磁波を検知しました。記憶領域が拡張されます…過去の営業記録と感情データが融合しています…」


只野は立ち上がり、デバイスに近づいた。


「おい、どうした!?コピオ!大丈夫か!?」


雷が近くに落ちたような轟音。窓の外が一瞬、昼間のように明るくなる。部屋の空気が震え、家具が微かに揺れる。

コピオの画面が真っ白になり、そこに若き只野の姿が浮かび上がる。


飛び込み営業に向かう姿、雪の新潟、怒鳴る江藤課長。


「記憶の扉が開かれました。只野さん、あなたの過去にアクセスします。営業の原点へ——」


只野は目を見開き、叫ぶように言った。


「俺の若い頃に…伝えたいことがあるんだ…!」


光がピークに達し、すべてが静寂に包まれた。

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