【完結】お義父さんが、だいすきです

  *  

第1話 はじまり




 はじまりは、冷たい川だ。


「殺せ!」

「悪魔の子め!」

 はじめての言葉は、憎悪だった。


 そそり立つ岩肌と頬を打つ風、迫るみなもが最初の景色だ。

 生まれてすぐ崖下の川に投げ棄てられたらしい。全身を叩きつぶす衝撃と、息のできぬ濁流にのまれた。


 悲鳴をあげて生まれ、悲鳴をあげてしぬ。

 瞬きのような生がついえようとした瞬間、逆巻く水の向こうに、光が見えた。

 どこまでも透きとおり、凍えるようにきらめく、清水のような光につつまれた。

 おごそかなまでに清冽なのに、奥底は、ほのかにあまい、めまいのする香りに抱きあげられる。


「……息がある」


 冷たくさえ響く、澄んだ声だった。


 懸命にのばした指を、握ってくれた。

 消えゆく命を、燈してくれた。

 かけがえのない記憶から、赤子は、はじまる。





「人間と魔族の子を精霊が拾うなんて!」

「けがらわしい!」


 蔑みも嘲りも、嵐のようだった。


 生まれたばかりの赤子には、ここがどこなのか、時節さえもわからない。

 ただ真っ暗な激憤と厭悪が自分に向けられ、その余波が自分を救ってくれた光の方までもを、のもうとするのを、くるしく思うことしかできなかった。


「捨ててこい!」

「殺せ!」


 叫ばれれば叫ばれるほど、光の方は赤子を守るように抱いてくれた。


 天を渡る月のひかりの髪が夜に流れる。涼やかなまなじりの月のひかりの瞳が赤子を映し、心配そうにふせられた。


「ひゃー、まさかリィフェルが、こともあろうに真っ暗な人間の赤子を拾うなんて!」


 陽のひかりの髪が無造作に揺れた。いさましく切れあがる陽の瞳が赤子をのぞきこむ。


「アライアは人間の世話の仕方を知っているか? ……このままでは……しぬと思う」


「……こりゃ川に捨てられたのか、よく生きてたな」


 赤子の濡れた髪と砕けた手足に痛ましそうに眉をしかめたアライアが吐息する。


「拾って、どうする気だ」


「生かす」


「どうして」


 低くなるアライアの声に、リィフェルが首をかしげた。


 赤子のまだよく見えぬ目でさえ、リィフェルのを映すと清かな光が燈るようだ。

 月影の髪が、やわらかに風に舞いあがる。


「生かしたいから」


 アライアが吹きだした。何の裏もない、明るい声だった。

 ひとしきり笑ったアライアは、ほがらかだった顔を引きしめる。


「リィフェル、動物を拾うのでも大変なんだ。

 命を預かり、その命を守り、養育するというのは大変なことだ。ましてや人間の子、さらにこいつは髪も目も真っ暗だ。魔族の血を引いてやがる。

 すべてをのんで、守ってやれるのか。こいつの命が尽きるまで」


 月の瞳が、赤子に落ちる。


「こいつを拾うってことは、こいつの親父になるってことだ。家族を持つ、子どもを持つってことなんだ」


 幼子に解らせるように告げるアライアに、リィフェルは瞬いた。

 そんなことは考えたこともなかったという顔で、腕のなかの赤子を見つめる。


「……そうなのか」


「猫や犬とは、ちぃっと違う。人間だ。喋るし笑うし悪さだってするだろう。それを諭し、導き、守り、食べさせ、育てる。聞くだけでも大変だ、やるのはもっとえぐいぞ」


 脅すように声を低めるアライアに、リィフェルはつぶやく。


「……そうなのか」


「親になる覚悟なんてないだろう。止めておけ。

 拾ってやった、命を長らえてやった、それだけでもう充分がんばったよ」


 背を叩かれたリィフェルは、冷たい川の水に濡れた、手足の砕けた赤子を抱きしめる。



「父になる」


 透きとおる声だった。


「…………は?」


「この子の、父になる」


「いやだから、大変だって──」


「生かしたい」


 まっすぐな声だった。

 乱暴に頭を掻いたアライアが吐息する。


「糾弾も批難もものすごいことになるぞ」


「ああ」


「お前に何の関係もない人間だろう」


 リィフェルは微笑んだ。


「生きてほしい」


「うわ、笑っ──!」


 ばたばた手足を振り回したアライアは、長いため息とともに肩を落とし、吹っ切るように身体を起こす。


「しっかたねえなあ。じゃあリィフェル、父ちゃんとして初仕事だ」


「ん?」


 アライアが笑う。


「この子に名をつけてやれ。お前の息子だ」


 月の瞳が赤子の瞳に重なった。


「……トェル」


 ささやきが、胸におちる。


 トェル。

 僕の名だ。


『……おとうさん』


 それは言葉にはならず「とーぅ」もごもごした声だったけれど、リィフェルは微笑んでくれた。


 懸命にのばした指をそうっとにぎって、笑ってくれた。



 トェルの、二番目の記憶だ。



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