月面都市で、きみと。
kei
第1話 月に、一緒に。
私立大学で工学を修めたあと、狭山晴彦は就職を機に地元に戻ることにした。まず驚いたのは、同級生の葛西陽一もまた地元に戻ってきたことだった。
葛西と狭山は小学校から高校を卒業するまで同じクラスが続き、部活動こそ違ったものの、お互いに成長の過程をほとんど知っている。
高校を卒業してからは顔を合わせる機会がなかったが、自分はどうとしても、葛西は首都で職を得るか、あるいは博士課程まで進むかするものだと思い込んでいた。
学生のころに使用していたものをそのまま使い続けるわけにもいかず、名刺入れをモールで選んでいると、右から懐かしい匂いがした。
狭山がつい顔を向けると、あのころと変わらない量の多い黒髪に、心配になるほど白い肌の葛西が同じく名刺入れを眺めていた。思わず目を見開いてしまう。
「葛西?」
「狭山?」
一瞬でわかってくれて、ひとりでに心がふわふわとしてしまう。
変わらないなあ、と、葛西は笑顔を作ったが、どこか疲れているように見えた。
そのまま食事を共にすることになった。ぱりぱりの羽がついた餃子を食べながら、初任給が入るまできついよなあ、といいながら、あの店は変わらない、あのコンビニは駐車場になった、などと他愛もない話をする。
さりげなく目線を落とし、葛西の指を確認する。右にも左にも、指輪はなかったことに、少し安心してしまう。
葛西には、高校のころに彼女がいた。セルフレームの黒い眼鏡をした、身持ちが堅そうなひとだな、という印象だけがあった。どんなひとかまでは特に聞かなかった。どこまで関係が進んでいたかも知らない。知りたくなかった。
胸が、痛かったから。
彼女をつくるようなひとが、こちらを向くことがないと、わかりたくなかったから。
それでも、狭山は眼鏡を買い替えるときにセルフレームを選んでしまい、似合うな、と言われて少し気持ちが浮いてしまうような、家に帰ったあと、ばれていやしないかと怖くなってしまうような日々を過ごしたものだった。
「こっちに他に知り合いも戻ってきていないし、食事、また一緒に行ってくれないか」
と誘ってきたのは、葛西のほうだった。それが意味するすべてのことが、祝福に見えた。
もちろん、と言って、連絡先を交換する。彼は、タイムラインに何も投稿していなかった。眼鏡をかけた犬の、よろしく、というスタンプを送る。似ている、と、今度こそ葛西は笑った。
店を出る。満月だ、と葛西がいうので見上げると、大学のころに見上げていたときよりも大きく、明るく見えた。あの月にも都市があるという。教科書で見たが、実際に行ったことはなかった。
またな、と言って握手して別れ、まだ物が少ないアパートに帰る。ずっと、手がしびれているような気がした。
食事だけではなく、さまざまなところにふたりで出向くようになるまで時間はかからなかった。ふたりとも好きだった漫画の原画展に行ってはグッズを買い、映画を見ては感想を共有した。
一年ほど経つと、陽一、晴彦、と呼び合うようになった。
親友の距離感。こうしていられるなら、十分だと思うことにした。
仕事の話も、家族の話もせず、ただ目の前のことを共有して楽しむ。自分がそうであるように、彼にも話したくないこともあるだろう、と思い、自分から話そうとしないことはあえて聞かないことにした。
そういう関係が三年ほど続いたころ、葛西は突然、仕事を辞めた、と話した。
「理由、なにかある?」
「いろいろあって」
それきり押し黙る。狭山のほうにも話さなければいけないことがあった。
「僕も話さないといけないことがある」
「なに?」
「月に、仕事で行くことになった。いつ帰ってこられるかわからない」
葛西は、薄く口を開け、目を見開いた。それが絶望の顔に見えて、薄暗いよろこびといえるものが、狭山の胸のなかに広がってしまう。
これは、これを逃したら、もう機会はないかもしれない。
「もし、陽一がいいなら、一緒に月に行かないか」
離陸中の往還船の隣の席で目を瞑る葛西を見て、夢のようだ、と思う。提案にすぐに食いついてくれたことも、一緒に部屋を調べて、シェアハウスすることになったことも、地球の家の荷物の処理をお互いに手伝ったことも、葛西の月面都市での求職活動の目途を立てたことも、あまりにも時間がなかったので嵐のようだった。
新生活が待っている。そこに、いないと思っていた葛西もいる。生きてみるものだ、と思う。
地球が窓から見えて、葛西を少し揺らすと、ゆっくりと目を開けた。
「なに、晴彦?」
「地球が見える」
指さした先を、葛西は素直に見る。
「青いな」
「青いね」
「天国、って雲のうえにあるってイメージあるだろ」
ここからは見えないな、という葛西の目は、宇宙の果てでも見ているように、遠いところで焦点を結んでいるようだった。
軌道が安定したら、割り当てられた個室に移動する。数日ののちに、月面に到着する予定だ。地球ほどの重力ではないが、慣性力があり、移動には困らない。部屋につくと、それぞれの寝台で一休みすることにした。
照明を落として、おやすみ、と言った後、しばらくしてから、晴彦、と呼び掛けてきた。
「ありがとう」
起き上がると、葛西はもう目を閉じていた。
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