第2話

 王国も夏から秋の季節に移り替わり、吹き抜ける風も乾いたものへと変わる。

 建物に差し込む日光も薄雲に程よく遮られて、心地よい暖かさに包まれていた。そんな季節の変わり目を、廊下に差す日光から感じていると扉から声が漏れる。


「近代における魔術学の立ち位置は学術的な方面に加え、産業的、工業的な応用に長けた魔術研究が盛んになっている。その基盤を作った人物が——」


 講義室の扉を挟んだ先から漏れてくる、近代魔術史学を担当する教員の口頭説明。それを扉に片耳を当てながらソフィーは盗み聞きする。


 そんな彼女の手元には何冊もの記録簿を持っている。しかし、王立魔術学院の学院生の証である制服と群青のローブは羽織っていない。


 可動性重視のトップスとショートパンツを着て、胸元に事務員共通の名札を付けている。金属質の名札には『事務員補佐ソフィー・ジュリアス』と刻まれていた。


 つまり、今のソフィーは学院生ではなく、学院の事務員補佐バイトとして従事している。


「——ということだ。次は教科書百五十頁を開け」


 扉越しに聞こえる教員の指示にソフィーは渋い顔になった。

 学院生になれば、無償で教科書や講義資料など充実した教材が配布される。それらのオプションはあくまで入試を突破した者のみに与えられる特権。


 筆記と実技の審査を受けられもしなかったソフィーには得られるはずもない。夢もまた夢。今も喉から手が出るほど欲しい彼女が扉に付けていた方の逆側から鐘の音が響く。


「今日の講義はここまで、来週までに今回分の課題レポートにまとめてくること。いいな?」


 教員からその言葉が発せられると、聞き耳を立てていたソフィーははっとする。すぐに扉から離れて、学院の事務室へ小走りで向かった。そして、講義室が集まる学院本棟から渡り廊下を挟んだ西棟にある事務室へ到着する。


「お、お待たせしました。頼まれていた書類です」


 事務室についてすぐ、ソフィーはすぐ近くにあった机の上に運んできた書類を置く。すると、木製の席を整列させて、各々業務中の事務員達がチラ見してきた。


「じゃあ、そっちに積んだ書類を図書館に返却しに行って、この次の書類を運んで」


 黒縁眼鏡をかけた頭部の毛量の寂しい初老の男性事務員から淡白な指示がくる。それにソフィーは「わかりました」と渋くなりそうな顔を必死に隠して答える。


 学院新年度を迎えて一週間。入試の実施日から約一か月が経過した。


 本試験を受ける前に落ちたソフィーは、どうにかして学院の中に入ろうと考えた。学内に踏み入れさえすれば、今のように講義内容を部屋の外から聞く事ができる。


 実際に講義内容を見れなくても、わずかにでも話を聞ける場が欲しかった。そんなソフィーは落第してすぐ、学院の敷地へ踏み入れる方法を探した。


 そして見つけたのが、事務員補佐バイト雇用の募集。平たく言えば学院内の雑用係。

 事務室で学院の内外に関わる書類管理も行えない。そのため、給与も事務員より安い。事務作業に必須の資料の保管場所も兼ねた図書館の入館許可のみ。


 そんな状況で、ソフィーには幸せなひと時がある。


「頼むよ。次の資料持ってきたら、もう上がっていいよ」

「はい! ありがとうございます!」


 再び図書館へと移動しようとした矢先、先ほど指示を出した事務員から話しかけられる。その時の言葉に、ソフィーは途端に目を輝かせた。


 返事をしてすぐ、図書館へと小走りで向かい出す。先程と同じ廊下を進む足乗りが弾むと、休み時間中の学院生が次の講義へ移動していた。


 学生証の役目もあるローブの下に着ているモノトーン調の制服。その服装を身に着けた人達が通り過ぎる際に、ソフィーは気付けば目を追っていた。


そんな中、学生の輪の中心にいる彼女の姿に、またも目を奪われる。

一か月近く前に直に見たエミリアは相も変わらず淑やかで美しかった。


「エミリア王女殿下! 本日の『術式法学』での解答も素晴らしかったです!」

「さすが《魔の力と叡智に愛された姫君タイラント・ワイズマン》の名に恥じない聡明さでした!」

「午後の実技演習も期待しています! 王女殿下!」


 彼女を囲っている学院生達は皆、期待と羨望の眼差しを向けていた。そんな周囲の者達に、エミリアは慎ましい微笑みを浮かべて綺麗な唇を開く。


「皆さんにそう仰っていただけると私も誇らしいです。期待に応えられるよう、私もこれから一層精進して参ります」


 王女であるのに、一切おごらず腰の低い謙虚な振る舞いだ。

 魔術の才だけでなく、性格まで素晴らしい一国の姫君。そんな彼女を傍から見ているソフィーは小さく息を吐いていた。


(魔術の才能だけじゃなくて、謙虚で物腰柔らかいとか、神様って不平等だなぁ)


 心の内でそう思うソフィーは、羨望と憧れの眼差しをエミリアへ向ける。

 学院の一学生として実直に邁進する姿は、まさに学院生のかがみ。そう思える程、エミリアは学院入学から学院生教員問わず評価が良い。



 それは、事務バイトをしている最中、小耳に挟むソフィーも彼女の評判を知っていた。そんな王女殿下に見惚れてしまっていると、


「私、これから午後の実技演習の用意がありますので、失礼いたします」


 と、エミリアはそう言って会釈して輪の中から離れていく。

 彼女が通る方へ、人が道を空けて勝手に通路が開かれた。そこを優雅に進んでいき、エミリアはこの場から去る。


 すると、集まっていた他の学生も散っていって廊下の人混みはなくなった。


「は⁉ わたしも仕事しないと⁉」


 この場から離れるエミリアに見惚れていたソフィーはふと我に返った。

 今はまだ業務中。すぐに資料を運ばないと、今日中に仕事が終わらなくなる。それでは学院の事務バイトをする意味がなくなる。


 すぐに気持ちを切り替えて、ソフィーは資料を図書館へと運んでいった。そして、本日分の雑務を終える。


「はぁ~、これで今日の仕事終わった~」


 資料を運び終えたソフィーは再度、本棟から南西に位置する図書館へと到着した。すると、入り口の扉の脇に立つ青銅の甲冑かっちゅうへ胸元の名札をかざす。


 その瞬間、甲冑の顔部分の隙間から微かな光が放たれる。同時、眼前の巨大な扉も開かれていく。図書館の入り口が開いてすぐに、ソフィーは中へと入った。


 視界には広大な空間に幾重もの背丈の高い本棚の数々が並ぶ。数多の棚の中には綺麗に敷き詰められた大量の魔術書。


 それら全て一般市民が目に見る事すらかなわない、稀少な書物ばかり。そして、ソフィーにとっては宝の山が置かれた宝物庫のような空間。


 そんな学院図書館への入館許可を、事務員補佐が得られるのは雇用後に知った。

 ここに来る度に、ソフィーは瞳を爛々と煌めかせる。高揚感で胸が躍り、多幸感に心の奥から満たされた。


 扉が開いてすぐ、奥へと踏み入れたソフィーはそのまま本棚が並ぶ方へと進んだ。


「昨日まではここまで読めたから、今日はここからね」


 棚の前に止まった後、ソフィーは整列する本の背表紙を指で追う。すると、『魔術学の発展による近代魔術史の影響』と記された書物を見つける。


 昨日の開館時間では読めなかった学術書。そして今日の雑務で盗み聞きしていた『近代魔術史学』に関係する本だ。


 偶然とはいえ、今日扉越しに聞いていた講義内容と被る分野を読める。その事にソフィーは口の端が上がった。手を伸ばして目当ての本を引き抜き、胸元に抱える。


 その後、講義中で学生がほとんどいない閑散とした空間に並ぶテーブルへ移動する。そこへ到着したソフィーはテーブルの隅の席へ座り持ってきた学術書を開いた。


 開いた一頁目に著者の前書きが記された文面に目を通した後に次の頁をめくる。その直後、ソフィーの目の色ががらりと変わった。


 先程までの浮き出っている表情が真剣なものへと変貌する。羅列する活字を読み進める速度も速いが、それ以上に読む際の鬼気迫る雰囲気がある。


 ソフィーが本の内容に集中していると、傍から見た者は一同に思うだろう。在籍生なら、そんなに没頭して読むなら複写すればいいだろう。そう考えるに違いない。


 けれど、学院の図書館に蔵書されている学術書の複写は学生以外認可されていない。つまり、バイトの身分でしかないソフィーは図書館内の本を一切複写できない。行ったが最後、解雇だけでは済まない。知的財産の窃盗の罪で即獄中行きだ。


 そんなのソフィーも望まないし、他の手がないわけでもない。それをわかっているからこそ、今ここでしっかり目に焼き付けて頭の中に刻んでいる。


 そして黙々と頁をめくり本の内容を脳内に入力していき、最後の頁にたどり着く。


「ふぅ、読み終わった~」


 小さく息を吐いて小声で呟くと、ソフィーは目の前の学術書を閉じる。そして再び胸の前に抱えると、席を立って本の置かれていた場所へ歩き出す。


 元の本棚へと着くと、元の場所へ本を戻して隣の本を取り出した。そして先ほど座っていた席へと戻っていく。


 座っていた席へ腰かけてすぐ、新たに持ってきた本を開いて、最初から最後まで読む。その後も、頭に刻み込むような集中力で活字を読み進め、最後まで隈なく読了。するとまた本を元に戻して次の本を持っていく。


 そんな繰り返し作業をしていると、図書館に鐘の音が鳴り響いた。


「もう今日の講義全部終わりか。ここにいるとあっという間に時間が溶けるよ」


 学院の講義が全て終えるのを知らせる鐘の音。それに気づくと、図書館の窓から差し込む日も紅く染まっているのが目に映る。


 この後は学院生も図書館へ来るものも増える。学院生でないソフィーがこれ以上長居するわけにもいかない。そう思うと、荷物を担いで席を立った。

 机の上に積んでいた書物を棚へと締まって、ソフィーは図書館から退館する。


 その後、速足で学院の校舎から離れて、学院の門を潜って外へ出た。学院生は原則、日中以外の学内の敷地から出入りは禁止されている。けれど、ソフィーは学院生でないので、夕暮れだろうと敷地から離れても咎められない。


 そんな彼女は学院都市エイワスシティの中央の大通りを進む。


 昼間は学院生が出歩いて賑やかな街並みだが、今はその店舗も店じまいの時間。王都であれば、この時間帯からさらに賑わいを見せるところだ。けれど、大半の客である学生はこれから寮に戻る時間帯。学院都市にとっては一番閑散とする時間。


 今日が学院の休校日の日曜日であれば、この時間も学生の外出が認可されて賑わう。けれど、今日はまだ木曜日。客がいないのに店を開け続ける意味もない。


 日が沈んで薄暗くなる中、設置型の光魔術の街灯に光が点灯しだす。人気のない通りを進んだソフィーは、都市中央から離れた集合住宅区域コモンズエリアへ着いた。


 王都の街並みと変わらない、学生も利用する風光明媚ふうこうめいび中央区域セントラルエリアとは雲泥の差。

 中流区域カジュアルエリアより外側の場所は控えてに言っても、粗悪な建物ばかり。今にも解体が推奨されてもおかしくない建物が多く並ぶ宿舎の一つへソフィーは入る。


 歩く廊下からギシギシと腐って軋む音が響いた。今にもドアノブの外れそうな扉を開きたソフィーは借りた部屋へ帰宅する。


「はぁ~。やっと帰れた~」


 大きく息を吐きながら、ソフィーは自室へ戻ってすぐに奥にある机へと向かう。宿舎の廊下と同じ、歩く度に今にも床が抜けそうな軋む音を鳴らしていた。天井も雨漏れのせいかシミができているし、壁には亀裂が入って抜けかけている。


 それでも、学院都市で働く人間の暮らす賃貸物件の中では格安。バイト生活で薄給のソフィーには雨風を凌げる、願ってもない部屋だった。


 物は古いけれど、しっかりした机とベッドもある。これなら学院都市へ訪れる前とさほど変わらない暮らしだ。


 机の前に着いたソフィーはすぐに椅子へ座る。整理された机の上には、質の良くない白紙と、黒のインク瓶、ペンが置かれていた。机に着いたソフィーは机上の自動魔力感応機構のランプに微量の魔力を注ぐ。そして机の周りが明るくなると、


「よし! さっそく複写しようっと!」


 と、気を引き締めて羽根ペンを手に取った。インク瓶の蓋を開けてペンの先に黒のインクを付けると、まっさらな紙へ文字を書く。紙の上でペン先が擦られていく音と共に、速筆とは思えない美文字を記す。


 そんなソフィーは、図書館で本を読む時と同じ表情になる。真剣な面持ちで紙へ自身が記憶した学術書の内容を書いていった。


 ペンを走らせる音のみが部屋に響く。机の脇には時間と共に文字が羅列された紙が積み上がる。そしてしばらくすると、ソフィーが奔らせたペンが止まった。


「ふぅ。今日読んだ本全部複写できた~」


 息を吐いた直後、椅子の背もたれに上半身を預けて呟いた。

 頭の中に記憶していた内容を全部写し終えた達成感と充足感で全身が脱力する。すると、途端に眠気が襲ってきた。


「ふわぁ~。眠……。明日も早番なんだった……。もうねよっと……」


 睡魔に襲われると、ソフィーは机の傍にあるベッドへと力なく飛び込む。宿舎に元々置かれていた古いベッドは体重がかかった直後、軋んだ音を鳴らした。けれど、脳と体の疲労が溜まっていたのか、それを気にする余力もない。


 そんなソフィーは寝間着に着替える前に、夢の中へと誘われた。

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