第17話「運ぶ者」

【更新】毎日5:30/17:30/21:00/長崎・廃村伝奇×記者サスペンス


 第十七話の夕方、相良弓は商店街のアーケードの端で足を止めた。焼き鳥の煙が低く漂い、湿った風がのれんを横一文字に押し広げる。アーケード脇の細い路地、その突き当たりにある古い写真館の裏手に、黒いワゴンが静かに鼻先を向けて停まっていた。側面に小さく、白抜きの互助会ロゴ。近づかないと読めないサイズ。見せたいのか、隠したいのか、設計がどっちつかずの大きさだ。


 後部ドアが音を立てずに開いた。降りてきたのは三十代半ば、身なりは地味、しかし動きが速い男だった。つま先から踵へと重心をすばやく移し、周囲を一度で見渡す眼。名乗りは短く、東條。互助会の搬送課。名刺は出さない。代わりに、薄いラミネートの業務証をちらりと見せる。肩書に「搬送」とあるが、その下に小さく**「名情報管理」**の文字。


「葬祭は運びの仕事です」

 東條は荷台を閉め、両手をポケットに入れたまま言った。声は低く、よく通る。

 「形と情報、両方を滞りなく渡すことが価値なんです。どちらかが遅れると、誰かが泣く」


 弓は頷き、篠目と目を合わせる。篠目はすでにワゴンの荷台に視線を滑らせ、頭の中で棚の配置を写し取っている。弓はノートの左上に取材記録#017と記し、□を三つ描いて5:30/17:30/21:00を塗った。


「“仮置き名簿”が県境をまたいで搬送されるスキームで継続しているのでは」

 弓は角度を変えず、工程だけを問う。

 東條は一拍、言葉を探した。

 「仮の札は、行き先が決まるまでは落としません。家族が**“呼ばれない”ことを望む場合、戒名だけで送る**。俗名は仮置きのまま、施主側へ**“保留”。——それが配慮だと教わって**きました」


 弓は配慮という二文字に、秒のない時刻の冷たい手触りを嗅いだ。帳尻としての配慮。“保留”が永続したとき、それは忘却だ。


「保留が永続したら?」

 東條は目を伏せ、口角だけで小さく頷いた。

 「戻し工程に予算がつかない。**『誰も困っていないなら据え置け』**と……」


 誰も。弓はその代名詞の空洞を見つめた。誰かは困っている。困っていることが見えないから、誰もに変換されるだけだ。秒が落ちると、人は代名詞に要約される。


 篠目は二人の会話を斜めの距離で見ながら、スケッチブックを取り出して荷台を走り描きに写した。ペン先は音を立てないが、棚とケースの寸法が正確に紙へ落ちていく。透明ケース。カード束。バーコード印字のシール台紙。そして、“秒まで打つハンディ時計”。金属のボタンが三つ。針はない。液晶で時・分・秒を刻む。側面のスタンプヘッドに、21:00:00と打てるようになっている。箱の片隅には、予備電池。篠目の筆がそこに濃い影を置いた。


「秒は現場の根性ですよ」

 東條が苦笑した。

 「忘れちゃいけないから押すんです。——押しても、システムには入らないけど」

 「入らない?」

 「Excelの列が**“分まで”で、フリーテキスト欄に秒を打っても**、検索に引っかからない。監査は**“時刻一致なし”で白になる。押したのは現場の自分だけ。画面の向こうではゼロ**になります」


 押した秒が溶ける。弓は胸の奥で第十五話の準教授の言葉を反芻した。〈秒は倫理〉。押した倫理が要約で削られる。現場は押す。机は落とす。その間に人が薄くなる。


「協力はできますか**」

 弓は視線をそらさない。告発を求めていない。工程を求めている。

 東條は肩をゆっくり下ろし、深い息を一つ吐いた。

 「条件つきなら。匿名の現場声としての証言と、搬送ルートの地図。ただし——遺族に会うのはあなた方。運びは影で致します。光に晒すのは、形だけでいい」


 影と光。供す者の役割。記す者の責任。弓は深く頷いた。「引き受けます」


 東條はワゴンの後部座席を開け、薄いクリアケースを二つ取り出した。片方には地図、もう片方には搬送工程のチェックリスト。地図には県境の点線と火葬場、安置所、末寺、互助会支部が色と記号で示され、矢印には小さく分ではなく秒が書き込まれている。〈到着21:03:45〉〈引き渡し21:11:09〉。東條のハンディ時計の打刻だ。


 弓は地図に指を這わせ、矢印の秒を一つずつ読む。人間の指が、秒に触れる。戻すための工事は、ここからはじまる。


   ◇


 互助会の裏手からアーケードに戻ると、弓は篠目のスケッチの角に小さな赤丸を置いた。「この“時計”、撮れる?」

 「撮れる。撮った。押す指も撮った」

 「キャプションは**『押した秒が、システムで溶ける』」

 「それ、強い。本文で工程に変換**しよう」


 信号待ちで、弓のスマホが短く震えた。上園からだ。

 〈仮置き名簿、再整理に入ります〉

 文字は短い。だが弓は、行間に儀式の気配を嗅いだ。延長通知のときと同じ配列。“入ります”は現在進行形だが、期限を告げない。“再整理”は作業だが、工程の公開を約束しない。


「始めたって」

 弓が見せると、篠目は片手でハンドルを軽く叩いた。

 「“始めた”と“進んだ”は別。秒で追うしかない」

 「追う。東條の地図を紙面に置いて、行政の**“再整理”と秒で噛み合わせ**る」


   ◇


 日が沈み、灯りの家へ。道の脇に立つススキの穂が、海の呼吸に合わせて三回・二回の拍で揺れる。扉の前で、二人はいつもの通り足で三回・ひと呼吸・二回を刻み、ノブを回した。


 橙の光が、机の上の新しい影を作っている。透明ケースと同じ規格のトレーが一つ。中に小さな糸巻きが二つ。鉛筆で**「送り」と「戻し」と書き分けられている。送り側の巻きは極端に大きい**。戻しは小さい。糸はどちらも細いが、手に取った感触は違う。弓が指で糸を引く。送りは滑らかに出る。戻しはところどころ引っかかる。繊維の節が抵抗を作っている。


「運ぶ者の手元だ」

 篠目が言う。

 「送りは工程が設計されてる。戻しは工程がない。だから節で止まる」


 弓はトレーの陰に小さな紙を見つけた。鉛筆で短く書いてある。

 〈送りは見えるが、戻しは見えない〉

 その下に、細い矢印。東條の地図の矢印と似た癖。“運ぶ者”がここに来たのだ。互助会の規格のトレー。糸巻き。送り/戻しの体感。現場の指が、灯りの家に編集室を作っている。


「“送り”の抵抗は、滑る」

 弓は糸をもう一度、送りの側で引いてみた。抵抗は一定。設計された摩擦。

 「“戻し”の抵抗は、バラバラ。節の位置が揃ってない。工程を作る前の雑音」

 「雑音こそ戻る道だ」

 篠目が頷く。「雑音には秒が多い。雑に見えるけれど、単位の密度が高い。そこを撮る」


 弓はノートに書いた。

 〈運ぶ者は、秒を押す。だが秒は要約で溶ける。溶けた先を照らすのは、記者の光〉

 〈送り/戻しの抵抗差=工程の有無〉

 〈戻し工程は“節”の整流から始める〉


 机の隅、デジタル時計は今夜も赤い秒を刻んでいる。背面配線は切れたまま。内部電池で21:00:00を呼ぶ。灯りの家は現場の秒で呼吸を合わせ、机の上のトレーと糸に現実の重さを与えている。


   ◇


 社に戻り、弓は紙面構成を組み直した。


 ――見出し:『運ぶ者』

 ――副題:形と情報を運ぶ手——“送り/戻し”の抵抗、秒を押す現場と溶かすシステム

 ――骨子:

 ・互助会の黒ワゴン/東條の一人称——「葬祭は運びの仕事」

 ・仮の札の落とさなさ/配慮と呼ばれる保留/据え置けの文言

・荷台の配置(透明ケース/カード束/バーコード台紙/秒スタンプ)

・押した秒がシステムで溶ける(Excel“分まで”/検索非対応)

・匿名協力(現場声/搬送ルート地図)→遺族対応は記者側

・灯りの家のトレー(送り/戻し)と糸(抵抗の違い)

・ノートの一行〈運ぶ者は、秒を押す……〉

・上園の**「再整理に入ります」**——遅延の儀式の匂い

・見開き:地図の矢印(秒付き)×行政の“再整理”タイムライン


 篠目は、会議室でスケッチを清書に起こしていた。荷台の中を俯瞰で描き、秒スタンプの押し面に赤を細く一滴。人の指が秒を押す瞬間の角度。写真と図の中間。見せるための要約だが、“切る前の秒”の説明をキャプションにつける。

 「キャプション一段目:葬祭の荷台。形と情報、二系統の運び。二段目:秒を押す指。システムに入らない秒」

 「三段目で送り/戻しの糸を入れる。抵抗の差」

 「了解。糸の光は撮れないから、描く」


 デスクは、互助会への公平を担保するためのチェックを入れた。「“影で致す”の文言、入れろ。個人攻撃に見える角度は折れ。工程で持っていけ」

 弓は頷き、本文の冒頭の比喩を一本抜いた。軽い正義の香りは、遅延を正当化する相手に燃料を与えることがある。秒で行く。秒で殴らない。秒で開ける。


   ◇


 送稿前、東條から追加のメッセージが届いた。

 〈“仮置き”の札は、時々“送り”の札と誤交換されます。現場の手落ちでもありますが、札の色が似すぎているという設計の問題もあります〉

 弓は眉を上げ、欄外に太字で書いた。〈色の設計=秒の設計〉。札の色が一秒で識別できるか。一秒の判断で誤りが起きにくいか。工学は倫理。設計は儀式を変える。戻すのは色からでもいい。


 上園からの短い文面は、変わらず淡白だ。〈再整理、着手〉。写真の手引きを運用教育に引用していた前回の報せを弓は思い出す。異分野の要約が互いを正当化する地獄。切ることで伝える。切ることで消す。地獄から橋を渡すのは、工程の開示だけ。


   ◇


 原稿は秒で走った。リードは短く。黒ワゴンから秒へ。押した指から溶ける画面へ。送り/戻しの糸へ。地図へ。上園へ。遅延へ。読者へ。

 結びには、一行だけ置いた。

 〈“運ぶ者”は影で致す。だから、記す者は光を細く真っ直ぐに——秒で〉

 句点は打たない。次の矢印が、すでに地図の端で点滅しているから。


 21:30。送稿。画面が白に戻る。デスクが親指を立て、篠目はスケッチの端に小さな結び目を描き足した。片結び。解ける余地を残した編集。

 弓は胸ポケットの名刺が裏のままであることを確かめ、近況ノートに短く書いた。


 〈“運ぶ者”に会いました。秒を押す指がありました。押した秒は画面で溶けます。送りの抵抗は滑らか、戻しの抵抗は節で止まる——戻す工程は節の整流から。行政は“再整理”に着手。定時で追います〉

 送信。遠い海が、三回・二回。灯りの家のトレーの糸が、脳裏で一度だけ鳴った。


【更新】毎日5:30/17:30/21:00/長崎・廃村伝奇×記者サスペンス

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