第2話 タコランパ星人来襲!!

「毎度思うが……君のいびきはどうにかならんのかね。今日のは特に酷い……まるで盛り狂ったメス猫のようだぞ」


 ルーカスはいつまでも止まない音に身を捩って不快をあらわにし、大きな熊のぬいぐるみの顎の下でもぞもぞと寝返りを打った。


 反対に卓也は驚くほどあっさり体を起こした。すぐさま手で髪を整えると、これまた素早い手つきで目やにをこすり落とした。そして、ルーカスを揺り起こしながら、部屋の隅々まで見回した。


「どこ? どこ? ナイスなメス猫ちゃんは」


 テンション高く問い詰めてくる卓也を、ルーカスは寝ぼけまなこで睨みつけた。


「……うるさいから黙れと言っているんだ。メス猫を探すのならば、第七居住エリアにでも行けばいいだろう。それとも、夢にまで見てあんな声を出していたのかね?」


「あんな声って、どんな声さ」


「どんなって……」ルーカスは卓也が起きても鳴り止まない音が、ようやく緊急サイレンの音だということに気が付き、誰かにお尻を蹴られたかのように勢いよく立ち上がった。「大変だ! 燃えているぞ!」


 外から真っ赤な光がレストに差し込み、不気味に部屋を染めていた。


「落ち着けルーカス! 緊急時に点灯するランプの色だ」


 ルーカスをなだめるのと同時に、卓也は自分の心も落ち着けようとしたが、それはあっけなく吹き飛んだ。


 冷静を取り戻そうとした耳に入ってきたのは、火災が発生したと繰り返されているアナウンスだった。


「私の聞き間違いか? 火災が発生しているとアナウンスがあり、緊急時のランプが点灯している。それでも、君は大丈夫だと言っていた。これ以上嘘はないかね……」


「……大丈夫とは言ってない。嘘があるとすれば、第七居住エリアの全員とは寝てない。男だって寝たフリをすることもある。疲れた時とか――そうだろう?」


「そんなことはどうでもいい!! この世に大事なものは三つある。いいかね? 私の命と、祖母の命。あとはとにかく逃げることだ」


 ルーカスは慌ててレストを飛び出ると、出入り口に向かって一目散に走っていった。


 卓也も少し遅れてレストから出た。


 幸い、この博物館に火の手はまだ回っていなかった。


 ルーカスがドアの前に立っているので、卓也は自分を待つ余裕があるのならば、それほどひどい火災ではないだろうと足を緩めて、ゆっくりルーカスに近づいていった。


 しかし、すぐに考えを改めた。冷静に考えれば、ルーカスが自分以外のことを第一に考えることはないし、ルーカスは立っているのではなく、呆然と立ち尽くしていたからだ。


「もしかして、ドアが開かないのか?」


 閉まったままの自動ドアはただの白い壁と化していたが、それはある意味功を奏していた。


 半透明なガラスや透明なガラスのドアだとしたら、向こうの様子がわかってしまい、かえってパニックになっていたかもしれない。


 ドアにロックが掛かったのは、損傷が激しいエリアを一時隔離するためだ。この博物館エリアが無事ということは、通路を挟んだ隣の第八多目的エリアで何かが起こっているということだった。


 第八多目的エリアと博物エリア館は人が寄り付かないので、二つまとめてアニマルパラダイスと揶揄されている場所だ。


 しかし、緊急事態にここに助けが来ないということはありえない。


 ルーカスと卓也は泥棒のように形跡を消して入り込んでいるので、レストの中で寝ているのに気付く者はいなかった。


 眠っている間にドアはロックされ、母船から切り離された小舟が海に漂うようだ。こちらから戻る手立てもなければ、向こうが見つけるのも困難。


 だが、今もっとも安全な場所がこの博物館エリアということに二人は気付いていなかった。


 深い溜め息と、責任のなすりつけ合いの口喧嘩。刻一刻と迫る危機に備えるにはあまりに無意味な時間だった。ヒートアップした二人の耳には「すみません!!」と呼びかけてくる声も入ってこなかった。


「僕に頼るなよ」


「頼っているのではない。命令しているのだ。上司として、部下は私を助けるように動けと。簡単なことだ」


「たしかに簡単なことだ。上司がいなくなれば、助ける必要もなくなる」


「私を倒せるとでも思っているのかね。その小さな体で……」


 ルーカスが半身で構えると、卓也も半身で構えた。


 しかし、二人のへっぴり腰は「あの! すみません!! 助かりたくないんですか?」という大きな声で簡単にお尻を地面につけてしまった。


「助かるかね?」


 いの一番に立ち上がったルーカスは声の主に詰め寄った。


「外側からスキャンしただけですが、このエンジンならば動かせそうです」


 ルーカスは指されたレストを見て顔をしかめた。


「脱出すると言っても、この博物館エリアから出るだけだ。宇宙に飛び出そうという気はない。そんなことを大声で叫ぶのは、世界で一番マヌケがすることだ」


 冷静になれと茶化すように両眉を上げたり下げたりするルーカスだが、「この宇宙船は襲撃に合い、火災発生中。隣のエリアは既に火の海。火の手がこのエリアに回るのも時間の問題かと……」と聞いて顔色を変えた。


「船を出せぇぇえ!! 宇宙に飛び出すぞぉぉお!!」


 金切り声を張り上げながらレストに乗り込むルーカスを横目に、卓也は背中を叩いた。


「気にしないで。悪いやつだけど、気にしてたら話が進まないから」






 レストに乗り込んだ三人。そのうち二人は脱出手段が見つかり安堵のため息をついていたが、一人だけ驚愕に目を見開いていた。


「信じられない……生物が住んでるとはとても思えないほど汚れています……」


「安心してよ。住んでるわけじゃない。ご飯を食べ、娯楽に使い、寝るだけの場所だ」


 慣れてくれと笑いかける卓也を押しのけて、ルーカスが叫んだ。


「そんなことより! どうやってエンジンを動かすのかね!! このポンコツを!!」


「エンジンの構造をスキャンした結果。このエンジンの燃料は燃えれば何でも動くタイプのものだと」


 はちまきのような細長いゴーグルを取り外すと、彼の目には頷き合うルーカスと卓也の姿が目に入った。


 二人は「あぁ……『野良犬システム』か」と同時に言った。


「つまりこういうことだ」と得意げな顔でルーカスが姿勢を正した。「雑食でなんでも食べ、すぐに暴れ、よく吠える」


「つまり、燃料は何でも使えて、真っすぐ飛ばない、エンジンの音が凄くうるさいってこと。だから使われなくなった。超巨大探索型宇宙船である方舟は、人間に例えるとグルメであるがその分だけ、血液さらさら、筋肉もりもり、燃費も良ければ寝付きも良い。快適な宇宙の旅を。そして、この方舟も次世代のグルメのために燃料を探しに宇宙を旅しています。っと」


 卓也は補足説明をするように、タブレット端末で博物館エリア資料にアクセスして、文章を読み上げていた。


「あの……焦らなくていいんですか?」


「焦ったほうがいいの?」


「はい……」と視線を外に向けたので、卓也も同じく外に視線を向けると、炎は静かに博物館エリアのドアを溶かし、絨毯のように床を火が這い回っていた。


「ルゥーカァース! なんか燃えるもの!!」


 卓也はようやく迫りくる非常事態に気付き声を張り上げた。


「もう既にやっている!」と、ルーカスは大きなクマのぬいぐるみを背負おうとしているところだった。


「それはメアリーから貰った大事なぬいぐるみだぞ」


「君は外に燃えるものを取りに行く勇気があるというのか? 彼女とは恋い焦がれた。今更焦げカスが一つ二つ増えたところでなにか問題があるのかね?」


「……問題なし。ごめんマリア!」


 卓也は力強く言うと、ぬいぐるみを引きちぎって、自分は頭を担いだ。


「……メアリーではなかったのかね?」


「焦げて灰になったら、性別も人種もどうせみんな同じだろ」


 卓也が肩をすくめると、ルーカスは力強く頷いた。そして、エンジンルームへと駆け込んだ。






 炉にぬいぐるみを押し込んできた二人は、コントロールルームに走った。


「まったく……疲れたぞ……」とルーカスは壁に寄りかかり、「もう……動くつもりはない……」と卓也は床に座り込んだ。


「あの……」


「さっきから、あのあのとうるさいぞ。私達は燃料を入れてきた。君は早くエンジンに火を入れて、このポンコツを動かしたらどうだ?」


「自分でいいんですか?」と触手で自分の顔を指すが、ルーカスは「いいからはやくしたまえ。火の手はそこに迫っている。壁をぶち破り脱出だ」と叫んだ。


 さらにルーカスは、ため息をついてから「なにが原因だというんだ。タコランパ星人の襲撃じゃないだろうな」と、イライラして靴先で床をコツコツとつつきながら言った。


「まさか、ただ通るだけだぞ。惑星には下りないのに攻撃されるもんか」


 卓也はありえないと鼻で笑った。


「そのまさかかと……名称を知らないので確信は持てませんが……」と、申し訳無さそうに一番端の両触手を上げて、敵意のなさをあらわしている存在に、二人とも気付きを見せることはなかった。


「また嘘じゃないか卓也! 火災じゃないも嘘、タコランパ星人は攻撃してこないも嘘。次はなんだ、私がアホだとでも言うつもりか」


「それは本当のことだから、今のこの流れでは言わない」


 卓也が冷静に反論すると、ルーカスは心底残念そうに舌打ちをした。


「威嚇攻撃の先にたまたまあったタンクに、高濃度のメタンガスが保存されており、それに引火したせいで火災が……。本来襲撃の意思はなかったのですが……」


 卓也は呆れと怒りに両眉を寄せて、ルーカスを睨んだ。


「またルーカスのせいじゃないか。あちこちに隠して、それを忘れるなんて、リスのつもりか?」


「リスではない。支配者だ。この宇宙船に、私しか知らない秘密があると思うとワクワクするだろう?」


 ルーカスは同意を求めるように両手を広げたが、卓也からの色よい返事はなかった。


「他にどこに隠したんだ……」


「そうだな……そんなことより、脱出のことが優先だ。いったい何をしている?」


 ルーカスは一向に景色の変化が怒らないモニターを睨みつけて言った。


「それが……さっきからスイッチを入れてるんですが……火をつけてきましたか?」


「教科書に乗っている遥か昔のストーブのように、自分で火をつけるのか? 仮にも宇宙暦が始まってから出来た宇宙船だぞ」


「元の燃料が空ですから、燃えにくい繊維が使われていて、火がつきにくいのかと……」


 聞いた瞬間、卓也は炉があるエンジンルームに向かって走り出した。


「あの……それで、その……メタンガスタンクは他にどこに?」


「メタンガスタンクというより、ただの汚物タンクだ。糞処理施設でも処理不可能のような糞の塊が詰まって熟成されているだけ。もちろん恨みがある人物のもとにしか置いてない」


 ルーカスは満足気ににっこりと笑う。


「それは……多いですか?」


「いいや、微々たる人数だ。たったの二、三百人といったところだ。三十万人もいる方舟の中では取るに足らない数字というやつだな」


 ルーカスが先程より気持ちのいい笑顔を浮かべた瞬間。大きな爆発音とともに、レストの機体が持ち上がった。博物館エリアをピンボールのようにぶつかり、跳ね回っていると、先程より巨大な爆発音がなり、壁に穴が空いた。


 それと同時にエンジンは火を吹いた。空気の流れが後押しをして、レストはあっという間に宇宙へと投げ出された。


 ほっとしたのも束の間。目をつぶるほどの閃光と、ご機嫌な赤ちゃんが振るマラカスの中身になったかのようなメチャクチャな衝撃。それと、もう一生聞くことはないであろうほどの爆発音が同時に襲ってきた。






 三人はそのまま三日も気絶していたのだが、同時に目を覚ますと、まるで今しがた起こった出来事のように時間が流れ出した。


「なになに!? 今の衝撃! どうなったの!?」


 燃料のぬいぐるみに火をつけにいっていた卓也が慌ててコントロールルームに入ってきた。


「ルーカスさんの糞で、巨大宇宙船と私の一族が全滅しました」


「私だけの糞ではない! あれは皆の糞だ! だいたい君は誰だね」


「あの言いにくいので……察してもらえると」


 操縦席から立ち上がると、長い八本の触手に、水まんじゅうのようにぷよぷよした大きな頭。それに少し不相応な小さな目を持つ者は、ルーカスと卓也に向き直った。


「……なんだ、長い足の自慢か? 私は誰だと聞いているんだ。私の足が二本なのは、それで十分機能しているからなのだ。君のように八本も足がないと歩けないような軟弱者とは違う」


 ルーカスは張り合うように近づき、あまり長くない足をスラリと伸びる触手に近づけた。


「たぶん……彼は自分がタコランパ星人だって言いたいんだと思うよ」


 卓也の言葉に、ルーカスはバカにしたため息をついて振り返った。そのせいで、タコランパ星人が肯定の頷きをするのを見逃してしまった。


「卓也君……タコ型の宇宙人なんて言うのは、過去に流行ったおとぎ話だ。ショックなのはわかるぞ。私も、八年前。祖母に、三びきのこぶたさんが実在しないと聞かされた時には、恥ずかしながら大泣きしてしまったからな」


 ルーカスは慰めるような表情で卓也の肩に手を置くと、卓也もまったく同じ表情でルーカスの肩に手を置いた。


「あんまり口に出して言いたくはないけど、そのタコから取った蔑称がタコランパ星人なんだけど……。嫌われてたから、誰も教えてくれなかったんだろう」


 ルーカスは聞きたくもないと頭を振って卓也の話を遮ると、鬼のような形相でタコランパ星人に詰め寄った。


「そこのタコランパ。よくも私に傷をつけてくれたな」


 タコランパ星人は申し訳無さそうに視線を逸らしたが、話し出す時にはしっかりとルーカスの目を見た。


「自分を嫌っているのが伝わっているのですが、自分にはなにを傷つけてしまたのかはわかりません。気持ちか……名誉か……もしかしたら家族かもしれません」


「違う! 私の肛門をだ!」


 不意の言葉に呆気にとられ、目が点になって硬直してしまったタコランパ星人の隣に立った卓也は、彼の背中――というよりも後頭部を叩いた。


「気にしないで。悪いやつだけど、気にしてたら話が進まないから」

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