惑星迷子

ぶん

宇宙漂流記編

第1話 宇宙でもっともセクシーな男と、もっとも嫌われた男

「見て、ルーカス」

 と、うわずった声で部屋に入ってきた卓也の声は、今現在、世界中の誰よりも上機嫌なものだった。

「今月の『裸の王様』の特集で、宇宙でもっともセクシーな男に選ばれたのは誰だと思う?」


 卓也は自分の写真が表紙になっている雑誌を顔の横に持っていくと、写真と同じ表情でルーカスを見た。


 どこか遠くへと視線を向けた、にこやかな卓也の笑顔は、端正な顔立ちにあどけなさを残したものだった。


 ルーカスは写真を一瞥して、ペンを置くと、ため息混じりに顔を上げた。


「私が今……何をしているのか、君にはわからないのかね? なら教えてやるが、勉強中だ。昇進試験のための大事な勉強をしているのだ。下世話な雑誌に載ったことを自慢して、私の出世を邪魔するのが君の仕事なのかね?」


 ルーカスは卓也がやったように、タブレット端末を自分の顔の横に持っていった。タブレット端末には、イラストと文章が表示されている。


 卓也はそれを読むことなく、自分が持っている雑誌の背表紙を親指の腹で下から上へと軽くなぞった。


 すると二センチの厚さはあった雑誌が、その四分の一程度の薄いタブレット端末へと切り替わった。


 二本の指を使って画面を拡大させると、再び自分が映った雑誌の表紙をルーカスに見せつけた。


「わけのわかんない文字の羅列を読むより、誰が見てもひと目でわかる。宇宙でもっともセクシーな男を見たほうが有意義だと思わない?」


「人間努力をすれば、必ず報われるのだよ。わかるかね? 卓也君。人生という長い坂道、私は君の何百歩も先を歩いているわけだ。振り返っても、私には君の姿は小さくて見えない。床に落ちて冷えて固まった米粒程度の存在だ。踏めば痛むが、捨てれば記憶にも残らない」


「無駄に背が高いから、足元に落ちている米粒に気付かないだけだろう」


 卓也は諦めてタブレット端末をスリープモードにして机に置くと、机に手をつき、恨みがましい瞳で真っ直ぐにルーカスを見た。


「君が無駄に小さすぎるだけだ」


 ルーカスもタブレット端末を置いて、椅子から立ち上がると、わざと体が触れるほど近づき、卓也のくせ毛がうねるつむじを見下ろした。


 二人の身長はちょうど三十センチ差がある。だいたい頭一つ分ほどの差があるが、椅子に座ると、百九十センチもあるルーカスと、百六十センチしかない卓也の頭の位置はほぼ同じだった。


 卓也はさっさと椅子に座ると、少し乱れた前髪を手で直してから、ルーカスのタブレット端末を起動させて、映し出された文面を画面いっぱいに拡大させた。


 画面には『操縦士試験の日程表』と書かれている。今日の日付だった。


「僕達の仕事は便所掃除だぞ。超巨大探索型宇宙船『方舟』のもっとも底辺な仕事。二、三回掃除を忘れてもなんの問題もないくらいのだ。それをどうやったら、操縦士になれると思ってるんだ?」


 呆れて言う卓也に、ルーカスは真剣な眼差しで返した。


「試験に受かればいい。それに君は便所掃除という宇宙船の中でもっとも底辺の仕事だが、私はトイレットペーパーを替えるという立派な仕事だ。私がいなければ、皆今頃肛門が痒くなり痔になっているか、手から異臭を放つことになる」


「皆ウォシュレットを使ってる」


「私のデリケートなお尻は、ウサちゃんのふわふわ尻尾のような、よく揉んだ紙じゃないと受け付けないのだ。君のようにデリカシーのない者は、水鉄砲でピュッピュっとやっていたまえ」


「ウサギをもっとも酷い方法で虐待して、宇宙船なんか操縦もしたことないルーカスが、なんで操縦士試験を受けようと思ったんだ?」


「考えたんだ。私ももう二十八……そろそろ新たな道を目指してもいい頃だ。卓也、君も二十五だろう。今のままでいいのか?」


 卓也は顎に手を当てて考えたが、それは数秒で事足りた。


「当然。宇宙一セクシーな男に選ばれ、船内から羨望の眼差しを一身に浴びる。目下の目標は現状維持だね」


 なにひとつ憂いのない瞳の卓也とは反対に、ルーカスの瞳は失意にあふれていた。


「……この際だから、はっきり言わせてもらう。嫌われているのだ――君も――私も――この宇宙船にいる皆から」


 ルーカスは落胆に肩を落とし、失望に眉をひそめ、憂愁に表情を暗くして言った。


「……僕もはっきり言わせてもらうけど」と卓也も眉をひそめてたが、すぐに眉間のシワはなくなった。「僕が嫌われてるのは男からだけ。老若男女から嫌われてるのはルーカス一人」


「なぜ私だけが嫌われなければならないのだ! 私は卓也のように、人の女を寝取ったりはしないぞ!」


 卓也は驚きに目を見開くと、睨むようにゆっくりと細めて、なにも理解していないルーカスを見た。


「三年前の汚物圧縮タンク爆発事件のせいだろう……。メタンが爆発した娯楽エリアは、今でも立ち入り禁止。そのせいで、新設するはめに……。実に一年もの間、起きて、食事をして、仕事に励み、寝るというアンドロイドのような規則正しい生活をするハメに……」


 卓也の恨みがましい瞳に、ルーカスは軽蔑の視線を送った。そして、深い深いため息をついてから、おもむろに口を開いた。


「その一年の間に、第七居住エリアの女性全員と関係を持つから、君は男性諸君から嫌われているのではないのかね?」


「他に何をやれって言うんだよ。娯楽がないから会話を楽しむ。会話を楽しんだら、ベッドに誘わないと失礼だろう。たとえ断られても、口説いたらベッドに誘う。それが大人の責任。汚物圧縮タンクを娯楽施設に置きっぱなしにするような無責任な男じゃない。僕はね」


「あれは私ではなく、光線銃で撃った奴が悪いのだ」


「普通は射撃場の防弾スクリーンの前に汚物圧縮タンクは置かない。言っとくけど、そのせいでトイレ掃除係から、今じゃ誰も使わないトイレットペーパーの補充係に回されたんだぞ」


 ルーカスは「そんなことより」と強気な声で話題を打ち切ると、自分の額を指差した。「今日の午後から、正確に言えば、あと三十分後には試験なのだ。見たまえ……この額の汗。私は緊張すると、汗が止まらなくなるのだ。いいかげん邪魔をするのはやめてくれないか」


 ルーカスはタブレット端末を起動させて再び勉強に入ろうとするが、ページを移動するごとに眉間のシワは深くなっていった。


 なに一つとしてまったく理解していないのに、わかったように「ふむふむ」と相づちを打つルーカスを見かねた卓也は、勉強の手伝いをしながらも「だいたい、なんでそんなに操縦士になりたいのさ」と聞いた。


「当然。憎き『タコランパ星人』をこの手で葬るためだ」


 ルーカスは自分の使命だとでも言いたげに、胸を拳で二度、誇らしげに叩いた。


「そんなに嫌うような異星人とも思えないけど」


「ついこの間も、奴らに攻撃されているのだぞ」


「だって、彼らの支配星域を無理やり進んでるのはこの船じゃん。このまま通り過ぎれば、威嚇攻撃だけで済むって」


「わかっていないようだな、卓也。奴らが襲ってきたせいで、船内は急激に揺れた……。複数の地震が一度に起きたかのような大きく不規則な揺れ、船体にも火がついた。船内は大慌てだ……。その結果――どうなったかわかるか……。見るも無残な光景だ……。お尻を拭いていた私の指は、トイレットペーパーを破り、肛門に不時着するはめになったんだぞ。君にはわかるまい……絶望の淵に立たされた私の気持ちが」


「さっきも言ったけど、皆ウォシュレットを使ってる……。それじゃあ、あとで。またいつものとこで」


 卓也が時間を確認して、もう試験の時間になると伝えると、ルーカスは慌てて立ち上がって部屋を出ていった。


 しかし、一度戻り顔だけを部屋に入れると、申し訳無さそうな顔で卓也を見た。


「言い忘れていた。私は昇進試験に受かり、もういつものところにはいない。君が地球で私がこの宇宙船方舟だ。つまり私は何万光年も遥か彼方にいるということだ。卓也……悪く思うな」


 ルーカスが自信満々にニヤリと笑ってから去っていくのを見送ったあと、卓也はしばらく時間を潰してから部屋を出た。






 廊下へ出た卓也は、外側観測スクリーンになっている透明な壁から、外に広がっている暗くも輝く景色を見つめた。


 数十万の恒星が密集し光を放つさまは、五年前の地球から飛び立った時にはこの世でもっとも美しい光景だと感じられたが、一年も経たずに飽きてしまっていた。


 そもそも、この船にいるほとんどの人員は『徴星制度』という、新たな星を見つけるための組織を作るために、一定の年齢に達した国民を宇宙船の船員として徴集する制度で集められて者達だ。


 様々な国の人間が集められ、この方舟には実に三十万人もの人々が暮らしている。


 五年の間に一度も顔を合わせたことがない人も当然いる。というより、八割は名前も知らない。


 もはや一つの街と呼んでもいいような宇宙船の中で、実際に何をしているかといえば、振り分けられた仕事をこなし、食べて遊んで寝るという地球と変わらない暮らしだった。


 新たな星を見つけるというのは、地球に持ち帰る資源を見つけるということであり、利用できる資源を見つけるまでやることもないし、帰ることもない。


 もともと志願したわけではない卓也は特にやる気もなく、仕事もせずに遊び歩くか、情事にふけるか――博物館エリアで一日を過ごすかだった。


 博物館エリアというのは娯楽施設の一つで、宙から一つの船が落ちてきて、西暦から宇宙暦に変わった日から作られた小型宇宙船の展示と、資料を映し出すための中型の無重力スクリーンがいくつか、ふわふわと海を漂うクラゲのように浮いているだけだ。


 超大型の宇宙船に乗船しているのに、今更わざわざアンティークと化した小型宇宙船を見に来る者はおらず、施設としては失敗だ。

 おそらく次回の徴星制度の時にはなくなっているだろう。そもそも、今度地球に戻った時には、この船時代がアンティークと化しているかもしれない。


 それほどに人類は今怒涛に発展を遂げている。


 だが、卓也にはそんなことは関係ない。当然、小型宇宙船の歴史にも興味がない。用があるのは小型船の中でも初期に作られたものだった。


 名前を『レスト』と言い、船体の三分の二がエンジンで出来ている着陸船だ。


 卓也は外壁の小さなパネルを手際よく開けると、中のハンドルを回し、手動でドアを開けて中に入り込んだ。


 中はとても博物館に飾ってあるとは思えないほど、生活感があふれていた。


 勝手に他の小型船から外して持ち込んだ椅子や机。それに食べ物や雑貨を持ち込み、別荘のように第二の部屋として使っていた。


 女の子からの貰い物である大きな熊のぬいぐるみをソファー代わりに背中を預けると、昨夜から床に置きっぱなしにしていて、既に湿気たクッキーに手を伸ばした。


 一枚まるごと口に放り込み、袋に残ったクッキーのクズを指先に押し付けて丹念に拾い集めて食べつくし、新たなクッキーの袋を開けていると、きびきびとした間隔の短い靴音が博物館内に響き渡った。


 迷うことなく、スピードを緩めこともなく、規則正しい靴音はレストでくつろぐ卓也のもとまで一直線に響いてきた。


 それがルーカスの足音だと確信している卓也は、顔を上げることなく「何万光年も先から、地球に帰還した気分はどう?」と皮肉たっぷりに聞いた。


 ルーカスは気持ちを落ち着けるために深呼吸してから「実に清々しい気分だ」と、同じく皮肉たっぷりに返してから、「……ハワードがいたからな」と爽やかに言った。


「うそ? 胸が大きくて、腰がくびれてて、お尻も大きい。あの美人のエイミー・ハワード? 彼女がいるなら、僕も受ければよかった……」


「胸が大きくて、腰がくびれていて、お尻も大きく、ついでに腕も太い。ハワード・ルイスだ」


「なんだ……男じゃん。それも自信家でマッチョマンで、人をからかうのが趣味の嫌味な奴。どうせ難癖つけられたんだろう? 僕もよくやられる」


「案の定……オマエには一問もわからないだろうとでも言うように、ブルドックみたいなニヤけた口元で私を見てきたよ」


「で、諦めて早々に出てきたわけだ」


 卓也は時計を見て試験が終わるには早すぎるのを確認すると、呆れと同情を併せ持った瞳でルーカスは見たが、視線の先にいるルーカスはニヤリと自慢げに口角を上げた。


「いいや、全問わかったみたいな顔をして退出してやったのだ!」


 上機嫌に笑いを響かせるルーカスに、卓也は「……やるじゃん! ルーカス!! イエーーイ!!」と立ち上がって騒ぎて立てた。


 ルーカスが笑うと、卓也が騒ぎ立て、それに気を良くしたルーカスが更に笑うと、また更に卓也は騒ぎ立てる。


 そんなことを何度か繰り返した後、急に二人のテンションは波風立たない水面のように静かになった。


「なぜいつもこうなるのだ……」


 ルーカスは床に座り込むと、重いため息を落とした。なに一つ答えていないのだから、試験に受かるわけもない。ハワードの冷やかしの視線がむしろ助け舟になったくらいだ。そのおかげで。恥をかく前に試験会場から退出できた。


「お子様用宇宙百科事典で勉強しようってのが、そもそもの間違いじゃないの?」


「それしか絵が載っているのがなかったのだ」


「だいたいどうやって、試験を受けたんだよ。トイレの掃除係から操縦士なんて、あまりに途中の段階をふっ飛ばしすぎてる。……もしかして脅したのか?」


「いいや、違うぞ。実に簡単なことだ。百五十回論文を書き、そのうちの五十回を修正され返却され。残りの九十九回は無視される。最後の一回は、つい先日のことだ。論文とともに私がつい先日タコランパ星人にいかに酷いことをされたか再現したところ、熱意が認められ、試験を受けられるということになったのだ」


「やっぱり脅したんじゃないか」


「熱意が伝わったのだ。試験の結果は……神のみぞ知るだ」


 ルーカスはなにか間違いが起きないかと目を閉じ、希望的観測をこめて天を仰いだが、そんなことはありえないと自分でもわかっていた。


「紙の臨んだ尻だろ。二つの意味で破れたんだから、そろそろウォシュレットに慣れたら?」


「君もしつこいぞ。まったく……」


 二人はそのまま話し込み、レストの中で眠ってしまった。これはいつものことだ。規律違反になるが、誰も二人を起こしに来ることはなく、いつもそのまま朝まで眠っている。


 しかし、今回二人が目を覚ましたのは、目に映る世界が赤色に変わり、目覚まし時計代わりのサイレンが船内に響き渡った時だった。

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