トラックの憂鬱
虚数遺伝子
‶異世界の入り口〟トラック君
「危ない!」
真夜中の道路にまるで溶け込んだかのような人間に、ドライバーが叫んだ。カメレオン的な黒い髪と黒いスーツと黒い靴、完璧にアスファルトと一致している。相手がこちらに顔を向ける時に気付いても、ブレーキを踏むタイミングが遅れてしまい、ドライバーは声を上げた――。
「今日も災難だったな、トラック君」
警察に囲まれた数時間後、ひいひい言いながらやっと
「今日もは笑えない冗談だぜ……」
「冗談で言ったつもりじゃないけど。だいたい人間の勤務時間がおかしいんだよ。俺だって深夜三時に急に起動されて、主の会社に行くこともしょっちゅうあるぜ。あいつら、生き物なのに就寝時間がねえの生きていけるのか?」
車は溜め息を吐いた。
「それで俺達も二十四時間タダ働き……、じゃなくて、今回はどうだったんだ?」
「はあ……、またサラリーマンなんだよな。帰るならせめて人気のある時に帰れよマジで」
俺はぶつけてしまって、まだじんじん痛む箇所を見ながら言う。
「そんで俺のドライバーもすごくショックだったようで。何人目だよもう」
「あーわかるわー。俺の主も何度か壁にぶつけそうになってたんだもん。俺達だって怖い」
「しかも生き物ってさ、俺達ほど頑丈じゃないじゃん? もうね、何度バタバタ倒れる人間を見なきゃならねえって話だよ」
経験の違いからか、車は少し考え込むように見えた。彼は人にぶつけたことはないらしい。俺と同じく深夜で出勤することがあっても、事故を起こしたことは一度もない。そう考えると少し羨ましく思った。
「いや、でも悪い話ばかりじゃないかもよ」
「どういうことだ? ショックもあるだろうし、亡くなった人間の家族が、俺のドライバーに怒鳴りつけたり、号泣したりするのを見た。いいことあるわきゃねえだろ」
「まあ、俺達が見えるものだからなあ」
俺は――首がないが――首を傾げる。車の言いたいことが分からない。
「噂に聞いたのだと、トラック事故で亡くなった人達は全員、異世界転生できるらしいぜ!」
「は?」
話の半分を理解したかは分からない。だからこそ車の言葉に拒絶反応が出たんだと思う。
「トラックだって乗ってるドライバーだって、亡くなった人間達と同じく遅くまで働かされてんだろ? だから神は誰のせいでもないのに失った命を憐れんで、強い力を与えてから異世界に転生させて、その世界で無双させるらしい」
「……お前、何か悪いオイルでも飲まされたか?」
「いやいや、本当だぜ。最近の我が主もその話にハマってる」
「作り話かよ!」
「ああ、こんなものしか愉しみも癒しもないからさ。主も俺も。お前もな」
車の言うことに一理がある。
たまに死後の世界を信じる人間が現れるのだが、鉄でできた俺達に拝めることがない世界の話だから真偽も分からない。だが人間を殺めてしまったことで憂鬱になるくらいなら、異世界があることを信じてみてもいいかもしれない。
トラックの憂鬱 虚数遺伝子 @huuhubuki
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