第4話「いっそ、世界から物語なんて無くなっちまえばいいんだ」



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### 小説、願い叶う流れ星


「面白いネタ、どっかに落ちてねえかなあ」


コンビニの灰皿に吸い殻を押し付けながら、俺は濁った空を見上げた。編集者から届いた『進捗どうですか?(圧)』という件名のメールが、スマホの画面で不気味に光っている。うるせえ、こっちが聞きてえよ。


俺は売れない小説家。デビュー作がそこそこ話題になっただけの、過去の人。スランプなんて生易しいもんじゃない。もはや脳みそが完全に干上がって、言葉の砂漠が広がっているだけだ。


自室に戻り、ベランダの窓を開ける。生ぬるい夜風が、書きかけの原稿を虚しく揺らした。もう何日も睨みつけている、空白のページ。


「いっそ、世界から物語なんて無くなっちまえばいいんだ」


そうすれば、俺がこんな惨めな思いをすることもない。

自暴自棄にそう呟いた、まさにその時だった。


空のど真ん中を、今まで見たこともないほど太く、明るい光の尾が引き裂いた。緑色がかったそれは、まるで天の龍が駆け抜けたかのように壮大で、一瞬、夜が昼になったかと錯覚するほどだった。


あまりの光景に、俺は呆然と立ち尽くす。

そして、心の奥底から、どす黒い本音が湧き上がってきた。


「──俺以外の、物語を書くやつが、全員いなくなりますように!」


三回も唱える余裕なんてなかった。ただ一回、本能で、心の底からそう願ってしまった。

流れ星は、俺の邪悪な願いを飲み込むように、水平線の向こうへ消えていった。


「……なーんてな」


馬鹿馬鹿しくなって、俺は部屋に戻り、ふて寝を決め込んだ。



翌朝、世界は変わっていた。


最初に気づいたのは、テレビのニュースだった。昨夜の火球の話題で持ちきりかと思いきや、アナウンサーが淡々と「昨晩、大気圏に突入した飛翔体は、物理法則に従い燃え尽きました。以上です」と告げるだけ。なんの比喩も、感傷もない。


異変は、もっと顕著だった。本屋に立ち寄った俺は、自分の目を疑った。

かつてあれほど俺を嫉妬させ、焦らせたベストセラー小説の棚。手に取った本のページをめくると、そこに物語はなかった。


『雪国。国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。』


その一文は、こうなっていた。


『地名:雪国。地理情報:国境に長大なトンネル有り。通過後の気象:降雪。時間帯:夜間。特記事項:積雪による光の反射有り。』


なんだ、これは。報告書か?

隣で立ち読みしていた女子高生が、友達に話しかけている。

「この地理データ、レポートの参考にめっちゃ使えるー」

「まじ? あたしの歴史の課題、この時代の人口推移データが欲しかったんだよねー」


嘘だろ。

人々は、小説を「データ集」として読んでいた。映画はただの「記録映像」になり、漫画は「動作の連続図解」になっていた。この世界から、「物語(フィクション)」という概念そのものが、綺麗さっぱり消え失せていたのだ。


そして、俺の頭の中には、なぜか昨日までと同じように、ありありと物語が渦巻いている。

願いは、叶ったのだ。

最悪の形で。


「は、はは……」


乾いた笑いが漏れる。

「マジかよ……俺だけが、神になったってことか……?」


家に飛んで帰り、俺は憑かれたようにパソコンに向かった。

指が、勝手に動く。今までが嘘のように、言葉が溢れて止まらない。

たった数時間で、俺は自分史上最高の傑作を書き上げた。


これなら、世界が獲れる。


意気揚々と編集部に原稿を持ち込む。

「読め! これが本物の物語だ!」

編集者は怪訝な顔で原稿を受け取ると、数分後、眉をひそめて俺にこう言った。


「……で、君は何が言いたいんだ? この文章、事実誤認と飛躍した論理が多すぎて、資料的価値が全くないんだが」


絶望だった。

俺は世界で唯一、物語を紡げる人間になった。

だが、その物語を理解できる人間は、この世界に誰一人としていなかった。


公園のベンチで、子供が母親に尋ねる。

「ねえ、お空の雲って、なんであんな形してるの?」

母親はスマホで検索し、答える。

「水蒸気が上空で冷やされて凝結し、その時の気圧と風速によって形状が決定されるのよ」

かつてそこにあったはずの、「うさぎさんみたいだね」「お船みたいだね」という会話は、どこにもなかった。


俺は、とんでもない間違いを犯したことに、ようやく気づいた。

俺が欲しかったのは、一番になることじゃなかった。俺より面白い物語を書くやつを蹴落とすことでもなかった。


俺はただ、自分の書いた物語で、誰かと笑ったり、泣いたり、ドキドキしたり、「面白い」って気持ちを分かち合いたかっただけなんだ。


その夜、俺はまたベランダに出た。

もし、もう一度だけ、あの流れ星が願いを叶えてくれるなら。


「頼む……」


俺は夜空に手を合わせた。


「物語を、みんなに返してくれ……」


返事はない。星はただ、報告書のように、そこにある事実として瞬いているだけだった。

それでも俺は、デスクに戻る。

誰にも理解されなくても、誰にも届かなくても。


失われた物語の温もりを覚えている、世界でたった一人の語り部として。

俺は今日も、空白のページに言葉を刻み始める。

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