第51話 傀儡

「は? え? 何を……?」

一瞬、親父が何を言ったのか理解できなかった。

だけど、次第に脳が追い付いてきて……

「お前は欺かれたのだ、それ以上でもそれ以下でも無い」

「……そ、……そ、それは、違います」

何とか声を振り絞って出た言葉はか細い。スズメの一声でもかき消されてしまうだろう。

「そんなわけ、無いじゃないですか」

何とか、否定材料を探す。

「もしそうなら、何で、今日まで、何も……」

「それは私の知る範囲では無い」

「……え?」

親父は表情をピクリとも変えず、業務連絡をする様に淡々と話す。

「私はお前たちにどの様な諍いがあったかは知らん。ただ、仲介を引き受けたまでのことだ」

「は?」

わけが分からない。親父がこんなことをわざわざ言うとは思えないのだ。

何か、必ず意図がある。


……


責任を全て俺に押し付ける気か?

それとも、本当に知らない?

いや、希望的観測はやめたほうが良い。

とにかく、この茶番に付き合って、情報を聞き出すのが吉か。


「そうですか。では、それ以外に父さんは何か?」

親父は一瞬深く鼻息を出し、真っ直ぐに俺を見つめる。

「本日の19時、ここに白銀菫、天海瀬奈、曽我浩二、三名が来訪する。その場での論争により、本一件を解決するものとする」

「……それを、俺が受けると?」

どう考えたって俺が不利だ。だが、

「……受けざる、負えない、ですよね」

人質がいる以上、そう言わざる負えない。

俺は右手をポケットに突っ込み、ブツを握る。

「ですが、それは対等な条件とは言えません。俺との論争なんて、結局は無意味です。気が変われば、白銀はいつでも一方的に勝利ができる」

人質を取られている時点で、俺から条件を提示することはできない。それでも、俺はこれに納得がいかなかった。

「……ならば、私を人質に取れ」

「!?」

思わず、表情に出てしまう。

俺はこの男に踊らされているののかもしれない。一目見た感じは完全に祖父と孫、年齢的にも、関係的にも、俺たちは親子なんかじゃ無い。

だから俺もこの男を信用しないし、霊蔵もそれを分かった上で行動している。


俺は今、石壁を前にしている。

恐怖だとか、そんな単純な感情では片付けられない。もっと不動であり、強固な物が、俺の行く手を阻んでいる。

「──何故?」

「確信がある。お前の様な半端者に、私を殺せるほどの度胸は無い」

「……」

自分の膝に視線を移し、カッターナイフをより強く握る。

そうだ、やってしまえば良い。最初からそのつもりだったのだ、今更何をビビる必要がある?

こいつさえいなくなれば、彼女たちを祓える者はいなくなる。だから……!

「……クッ」

無理だ。

免罪符が無い俺に、誰かを殺すことなんてできない。

「その程度の覚悟も無いのなら、敗北もやむを得んな」

親父の口角が少し上がる。

「今夜、19時だ。分かったな?」

「──はい、父さん」

俺がそう言うと、親父は飲みかけの茶を置き、立ち去って行った。


「クソ!!!」

俺の叫びと机の打撃音が、部屋中に響き渡った。


◆◆◆◆◆◆


「頼む、出ていっとくれ。ワシには霊斗がいるんや」

曽我浩二は目の前の女に向かって言い放つ。女は浩二の真正面、テレビの前に礼儀正しく正座をして座る。

霊蔵来訪の数日前、霊斗が悟と接触すると同時に、こちらも動きを見せていた。

「そういうわけにはいきません」

その女、白銀菫は一歩も引かない。

迷いはある、しかし それを見せない。

「霊斗の気持ちも確かに分かります。ですが、杏ちゃんだって辛いんです。霊斗はそれから、目を逸らそうとしている。昨日のやり取り、聞いていましたか? 霊斗は一方的に私を悪だと決め付けた、それは……!」

感情的になりすぎたと自身を抑制し、菫は一度咳払いをする。

自分は不信な行動を多く取っている。疑われるのは、ある意味必然かもしれない。

これに関しては、弁明できない。まだ菫の中で、それを言ってしまう覚悟ができていないのだ。

それを自覚して尚、菫は自分を騙す。

「霊斗は今、周りが見えていない。だから、私たちが止めてあげなければいけないんです」

「だからって何も、んな焦るこたぁねぇだろ。きっと時間が解決して……」

「それは無責任です。時間が解決してくれないことなんて無数にある。私たちが動かなければ、霊斗が危険なんです」

「……」

浩二は何も言い返せない。

怒鳴ることができたのなら、きっと楽なのだろう。これまで自分が押し付けられてきたエゴへの不満を、声とともに乗せられたのなら。

浩二にはそれができない。恐怖しているのだ。


これだけは、使いたく無かった。

だが、彼に協力してもらわなければ始まらない。

菫は、最終手段に出る。

「分かりました、それなら私にも考えがあります。あの誓いのこと、覚えていますか? 共犯者、でしたっけ?」

「!?」

浩二の目が大きく見開かれる。

「ああ、そういえば、おじさんって確か、四人子供がいましたよね。息子さん三人に、娘さん一人。貴方が相当入れ込んでる霊斗は、勿論ただでは済まない」

菫は睨みを利かせる。元より菫は、この様な脅しが得意分野であった。

浩二は強く歯噛みし、拳を握る。肩はプルプルと震えていて、顔は真っ赤に染まっていた。

菫の言葉は破綻している。この件の告発は、彼女自身を犠牲とする、諸刃の剣なのだ。しかし、浩二にとってそんなことはどうだって良い。霊斗を人質に取られたこと、あの日の誓いを蔑ろにされることが許せないのだ。

菫はこの後の彼の行動を予測し、身構える。


十秒後、浩二の唇が切れ、そこから血が滲む。

同時に、浩二は左手を畳に付き、体を押し出して右拳を菫へ伸ばす。

仕事で鍛え抜かれた肉体。事実、浩二は喧嘩慣れしていた。彼が冷静だったならば、菫は成すすべも無かっただろう。しかし、怒りに身を任せた拳の軌道は安直だった。

当たらなければどうということは無い。菫は胴体を軽く反らして避け、反動で立ち上がる。

「貴方に与えられた選択肢は二つ。私に着いて霊斗を救うか、私と敵対して全てを失うか。さぁ、選んでください、曽我浩二」

菫は、狂犬の様に自身を見上げる浩二を、冷淡に見下す。

浩二の怒りは、迷いを隠した菫には届かない。

菫は理解している、浩二は霊斗を見殺しにする様なことを絶対にしないと。

確証があるからこそ、菫は何十秒でも待つ。


根負けしたのは、叔父の方だ。

彼は視線を下の畳に移す。

けして、菫が正しいわけでは無い。絶対の鉄壁を前に、一本の矢は無力だったというだけの話だ。

悔しげに目を瞑った後、彼は目を開き、畳を拳で叩く。誰かどう見ても、それは屈服の意味する物だった。

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