第36話 恐怖
補足
悟の心不全はⅠ〜Ⅱ度の間という設定です。
(読者の皆様には申し訳ありませんが、私の実力不足故この設定に矛盾が出てしまうかもしれません。なので、そこまで真剣に捉えないで頂けると幸いです)
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「君は、誰だ?」
口をついて出たのは淡白な問いだった。
「その質問に、俺が答える必要はありません」
子供は真っ直ぐに私を瞳を見上げる。
その誠実な目線から、あの夢の様な狂気は感じられない。
「それは、どういう意味だ?」
「額面通りに受け取ってもらって結構です」
真面目に取り合う気が無いのか? いや、そもそも、元から不自然すぎるんだ、この怪奇現象自体。なら、俺が正気でいても意味は無い。
「……それは理解した。ただ、一つ聞かせてくれ。君はいったい、何を、どこまで知っているんだ?」
「全てです。あの夢も、怪奇現象も、貴方の個人情報も」
「その、証拠は?」
すると子供は、一度指をパチンと鳴らす。途端に部屋の電気が付く。元からカーテンは開けているため、そこまで変化は無い。
夢でも見ているような感覚だ。実際、夢にいるのかもしれない。
疑問なんて、吐き出せばキリがない。でも、この子供に頼ることでしか対処法が無いのだ。
「そうか、なら話は早い。君が誰かは知らないが、この現象を終わらせる方法を教えてくれ、いい加減気味が悪い」
「承知しました。ではまず、杏さんの部屋へと向かって下さい」
「?」
一瞬脳内に?マークが浮かぶが、それを消し去って俺は頷いた。
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二階へと上がった後、左に回り、少し歩いた先の右側の壁に、杏の部屋はある。
子供は先行し、その扉の前に立った。
ドアノブを握り、捻る。しかし、扉を軽く押す前に、子供は横に立つ私を見た。
「幽霊って信じますか?」
「いいや」
「もし貴方の娘さんが、霊となって今、貴方の目の前に立っているとすれば?」
「は?」
言葉の意図など考えない様にしていた。でも、これには反応せざる終えなかった。
「何を……」
「俺の言うことは全て、言葉通りの意味です」
「ふざけるのは大概にしてもらいたいな」
「ふざけてなどいません、事実です」
「それを認めることが解決に繋がると?」
「はい」
俺は理性を働かせて、なんとか体を抑え込む。
「馬鹿馬鹿しい」
「貴方からしたらそうでしょう。しかし……」
「あまり大人をからかうんじゃ無い」
声とは裏腹に、私の心は今、焦燥に燻られていた。この子供は普通じゃ無い、この言葉が嘘かどうかなど関係無く。既に決意したことだ、追い返そうとしても無理だろう。だからせめて、口で対抗する。
「お願いします、悟さん。それでしか、貴方は恐怖を受け入れられない」
「それとこれとがどう関係しているのか、説明できるのか?」
子供は振り返り、背後に立つ男の顔を見る。男は頷き、子供はドアノブから手を離し、私と向き合う。
「覚悟は、よろしいですか?」
「あ、ああ」
少し前よりも更に険しい表情。
ただ事では無いらしい。それは、私も肌で感じ取っている。しかし、私はこの日常を、もう疑いたくは無いのだ。
「貴方の娘、杏さんと瀬奈さんは、三年前に──────」
耳にノイズが走り、上手く聞き取れなかった。
でも、俺の中できっと、何かが切れた。
「ハァ、ハァ、ゥ、ァ、フゥ」
胸が締め付けられる様に痛み、苦しい。
まるで呼吸ができない。
異様に寒い。目眩がする。
「っ」
「っ、悟さん! 悟さん!」
子供が俺の名前を叫んでいる。
俺は子供の言ったことを噛み砕くことができなかった。でも、体には伝わったらしい。さっきからずっと、胸の中で恐怖が渦巻いている。何を言われたのか、多分それは、俺が死の恐怖さえ麻痺してしまうほどの、恐ろしい真実。
もう、手遅れかもしれない。その絶望が喉元まで込み上げてきた時、子供が一層大きく声を出した。
「娘さんに会えなくなっても良いんですか?!」
「!?」
落ちようとしていた俺の意識が、浮き上がり始める。娘に会えなくなる、これがトリガーとなって。俺は父親だ。父親になりたいと思っている。
父親にというのは、どんな地獄行きよりも避けたい事実だった。
限界寸前の魂が、炎を見せる。
全てを燃やし尽くすであろう勢いの、赤い炎。
それは俺を包み込み、力を与える。
意志の力、なんていう綺麗なものでは無い。これは醜い執着かもしれない。
それでも俺は、父親でいたい。
「すまない」
床に片膝を付け、息を整える。
コソコソと、何かを話していると思われる二人。
ある程度呼吸が落ち着き、顔を上げると、子供と目が合った。俺の前に立ち、眉根に皺を寄せている。
「今日は、やめておきますか?」
彼がそう口にするのは自然かもしれない。少なくとも今俺は、生と死の境を彷徨っていた。
素直に休むのが、正解だ。
でも俺の脳内で、一つの言葉が引っ掛かる。
「娘さんに会えなくなっても良いんですか?!」
ここで立ち上がらなければ、父親にはなれない様な気がする。この恐怖が根拠だ。
「頼む、もう一度、チャンスをくれ」
俺は立ち上がり、今度は逆に子供を見下ろす。
子供は瞳孔を大きく開き、疑わしげに俺を凝視する。この空間に、気まずい沈黙が流れる。
「霊斗」
大柄な男が突如、一言だけ呟いた。
れいと、聞いたことが無い。この子供の名前だろうか?
子供は目を瞑り、唇を震わせる。
俺は子供に視線を注ぎ続ける。
「分かりました」
待ち構えていた答えが耳に届き、俺はより顔を引き締める。
「杏さんと瀬奈さんは……」
その先を聞き漏らさないように、全神経を子供へと向けて。
「三年前に」
絶対に、受け止めてやる。
「亡くなっています」
俺を支えていた炎が、鎮火されていく。
全てがどうでも良くなっていく感覚。
正気でなんて 普通はいられない。
でも、さっきの誓いがある限り、まだ倒れることは許されない。
嘘だとか、本当だとかがどうでも良い様な気さえしてきた。
違う、もう分かっているんだ。
この子供は、嘘などついていない。
だがそんなこと、誰が信じる?
俺は自分のことを信じている。
この受け止めざる終えない真実と同じぐらい。
「フゥー」
何かを考えればどちらか片方を信じてしまうだろうと、俺は無心を保つ。
「悟さん、大丈夫ですか? 顔色が悪いですけど」
「大、丈夫だ」
「一度休んだ方が……」
「いや、いい」
休んでしまえば、何かを考えてしまいそうだった。
「そ、そうですか? では、この部屋に進んで下さい」
「何故だ? だ、だって、杏は……」
それ以上先の言葉は出ない。
「見せたい物があります」
二人はドアノブを捻り、部屋へと入る。
俺には疑問に思うほどの余裕も無かった。
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