第36話 恐怖

補足


悟の心不全はⅠ〜Ⅱ度の間という設定です。

(読者の皆様には申し訳ありませんが、私の実力不足故この設定に矛盾が出てしまうかもしれません。なので、そこまで真剣に捉えないで頂けると幸いです)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「君は、誰だ?」

口をついて出たのは淡白な問いだった。

「その質問に、俺が答える必要はありません」

子供は真っ直ぐに私を瞳を見上げる。

その誠実な目線から、あの夢の様な狂気は感じられない。

「それは、どういう意味だ?」

「額面通りに受け取ってもらって結構です」

真面目に取り合う気が無いのか? いや、そもそも、元から不自然すぎるんだ、この怪奇現象自体。なら、俺が正気でいても意味は無い。

「……それは理解した。ただ、一つ聞かせてくれ。君はいったい、何を、どこまで知っているんだ?」

「全てです。あの夢も、怪奇現象も、貴方の個人情報も」

「その、証拠は?」

すると子供は、一度指をパチンと鳴らす。途端に部屋の電気が付く。元からカーテンは開けているため、そこまで変化は無い。

夢でも見ているような感覚だ。実際、夢にいるのかもしれない。

疑問なんて、吐き出せばキリがない。でも、この子供に頼ることでしか対処法が無いのだ。

「そうか、なら話は早い。君が誰かは知らないが、この現象を終わらせる方法を教えてくれ、いい加減気味が悪い」

「承知しました。ではまず、杏さんの部屋へと向かって下さい」

「?」

一瞬脳内に?マークが浮かぶが、それを消し去って俺は頷いた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


二階へと上がった後、左に回り、少し歩いた先の右側の壁に、杏の部屋はある。

子供は先行し、その扉の前に立った。

ドアノブを握り、捻る。しかし、扉を軽く押す前に、子供は横に立つ私を見た。


「幽霊って信じますか?」

「いいや」

「もし貴方の娘さんが、霊となって今、貴方の目の前に立っているとすれば?」

「は?」

言葉の意図など考えない様にしていた。でも、これには反応せざる終えなかった。

「何を……」

「俺の言うことは全て、言葉通りの意味です」

「ふざけるのは大概にしてもらいたいな」

「ふざけてなどいません、事実です」

「それを認めることが解決に繋がると?」

「はい」

俺は理性を働かせて、なんとか体を抑え込む。

「馬鹿馬鹿しい」

「貴方からしたらそうでしょう。しかし……」

「あまり大人をからかうんじゃ無い」

声とは裏腹に、私の心は今、焦燥に燻られていた。この子供は普通じゃ無い、この言葉が嘘かどうかなど関係無く。既に決意したことだ、追い返そうとしても無理だろう。だからせめて、口で対抗する。

「お願いします、悟さん。それでしか、貴方は恐怖を受け入れられない」

「それとこれとがどう関係しているのか、説明できるのか?」

子供は振り返り、背後に立つ男の顔を見る。男は頷き、子供はドアノブから手を離し、私と向き合う。

「覚悟は、よろしいですか?」

「あ、ああ」

少し前よりも更に険しい表情。

ただ事では無いらしい。それは、私も肌で感じ取っている。しかし、私はこの日常を、もう疑いたくは無いのだ。


「貴方の娘、杏さんと瀬奈さんは、三年前に──────」


耳にノイズが走り、上手く聞き取れなかった。

でも、俺の中できっと、何かが切れた。


「ハァ、ハァ、ゥ、ァ、フゥ」

胸が締め付けられる様に痛み、苦しい。

まるで呼吸ができない。

異様に寒い。目眩がする。

「っ」

「っ、悟さん! 悟さん!」

子供が俺の名前を叫んでいる。

俺は子供の言ったことを噛み砕くことができなかった。でも、体には伝わったらしい。さっきからずっと、胸の中で恐怖が渦巻いている。何を言われたのか、多分それは、俺が死の恐怖さえ麻痺してしまうほどの、恐ろしい真実。

もう、手遅れかもしれない。その絶望が喉元まで込み上げてきた時、子供が一層大きく声を出した。


「娘さんに会えなくなっても良いんですか?!」

「!?」

落ちようとしていた俺の意識が、浮き上がり始める。娘に会えなくなる、これがトリガーとなって。俺は父親だ。父親になりたいと思っている。

父親にというのは、どんな地獄行きよりも避けたい事実だった。

限界寸前の魂が、炎を見せる。

全てを燃やし尽くすであろう勢いの、赤い炎。

それは俺を包み込み、力を与える。

意志の力、なんていう綺麗なものでは無い。これは醜い執着かもしれない。

それでも俺は、父親でいたい。


「すまない」

床に片膝を付け、息を整える。

コソコソと、何かを話していると思われる二人。

ある程度呼吸が落ち着き、顔を上げると、子供と目が合った。俺の前に立ち、眉根に皺を寄せている。

「今日は、やめておきますか?」

彼がそう口にするのは自然かもしれない。少なくとも今俺は、生と死の境を彷徨っていた。

素直に休むのが、正解だ。

でも俺の脳内で、一つの言葉が引っ掛かる。


「娘さんに会えなくなっても良いんですか?!」


ここで立ち上がらなければ、父親にはなれない様な気がする。この恐怖が根拠だ。

「頼む、もう一度、チャンスをくれ」

俺は立ち上がり、今度は逆に子供を見下ろす。

子供は瞳孔を大きく開き、疑わしげに俺を凝視する。この空間に、気まずい沈黙が流れる。

「霊斗」

大柄な男が突如、一言だけ呟いた。

れいと、聞いたことが無い。この子供の名前だろうか?

子供は目を瞑り、唇を震わせる。

俺は子供に視線を注ぎ続ける。

「分かりました」

待ち構えていた答えが耳に届き、俺はより顔を引き締める。


「杏さんと瀬奈さんは……」


その先を聞き漏らさないように、全神経を子供へと向けて。


「三年前に」


絶対に、受け止めてやる。


「亡くなっています」





俺を支えていた炎が、鎮火されていく。

全てがどうでも良くなっていく感覚。

正気でなんて 普通はいられない。

でも、さっきの誓いがある限り、まだ倒れることは許されない。


嘘だとか、本当だとかがどうでも良い様な気さえしてきた。

違う、もう分かっているんだ。

この子供は、嘘などついていない。


だがそんなこと、誰が信じる?

俺は自分のことを信じている。

この受け止めざる終えない真実と同じぐらい。



「フゥー」


何かを考えればどちらか片方を信じてしまうだろうと、俺は無心を保つ。

「悟さん、大丈夫ですか? 顔色が悪いですけど」

「大、丈夫だ」

「一度休んだ方が……」

「いや、いい」

休んでしまえば、何かを考えてしまいそうだった。

「そ、そうですか? では、この部屋に進んで下さい」

「何故だ? だ、だって、杏は……」

それ以上先の言葉は出ない。

「見せたい物があります」

二人はドアノブを捻り、部屋へと入る。

俺には疑問に思うほどの余裕も無かった。

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