第31話 縁側
俺は、額の汗を拭い、その女の背中を見つめる。
この蒸し暑さの中、今日もセミの鳴き声は健在だ。夏の使者とでも言おうか。セミが鳴くと、まるで彼らが熱を運んできやがったみたいに、余計体内の水分が抜けていく。
陽光は室内を直接刺し、その明かりはリビングを満たす。冬には有り難いと思える太陽、実際その光り輝く姿は美しい。でも、夏の間だけは、俺は太陽を恨まずにはいられなかった。
自殺願望でもあるのか、女はその光を真正面から受けていた。縁側に腰を下ろしていて、その後ろ姿はとても美しいとは言えない。腰を深く曲げ、俯いている。
俺は縁側に足を踏み入れ、背後から声かける。
「まさか、本当に来るとは思っていなかった」
女はおもむろに振り返り、俺の顔を見上げる。
「来いっつったのはそっちだろ馬鹿」
まぁ、こちらも悪態をついた物言いだったため、言い返すことはしない。それにしたって、最後の一言が余計だとは思うが。
だが、この数時間でこちらもだいぶ思考は冷えた。あくまでも毅然とした態度は崩さない様に心がける。
「杏は?」
「三人ともまだ寝ている」
「謝罪する気はねぇからな」
「謝罪する気は無い」
俺たちの声が重なる。
少しの間が空く。セミは空気を読まず、鳴き続けている。
「それで」
「さっさと座れ。てめぇが上なのは気に食わねぇからな」
「……」
舌打ちの衝動を退け、俺は少し間隔を開けて縁側に座る。
これ以上近づけば、「てめぇ、この期に私を襲おうとしてるだろ。キモいんだよ」とか言われるであろうから。
「それで」
「質問は私からだ」
「……チッ」
衝動を抑えきれなかった。
俺はクールになれと自身に言い聞かせ、女の瞳を見つめる。
「一つ目。何故お前は、ここまで私に構う? 私は霊なんだから飯なんて要らねぇ。ま」
「気に入ら無いんでね、この家に招かれた者を邪険に扱うのは。お前のことは心底嫌悪している。だが、だからといって他と対応を変えるのは、あまりにもガキっぽいとは思わないか?」
「まさか、気でもあるんじゃ?」そう言われる前に、俺は答える。
「──二つ目。何で白銀菫に私の姿が見えていた? あいつは霊媒師とは何の関係も無い」
「それは俺も疑問に思い聞いた。どうやら、彼女自身も過度な緊張状態でその違和感には気が付かなかったらしいが、どうやら見えていたらしい。そもそもとして、多少でも霊の気配を感じていなければ杏を撫でることも困難だろうからな、納得した。
例えば、通常霊媒師は血を薄めないため、他の血筋者と婚約する。しかし、長男以外の兄弟は自分の身分を隠したまま結婚し、子を産む。そうなると、血は薄まるものの霊の存在を感じることぐらいはできるってわけだ。ハリーポッターで言うところの、マグルから魔法使いが生まれるのと同じ原理だと考えてくれれば良い」
「すんなり信用するんだな、あいつのこと。
結局のところ、あいつはお前に対して自身の霊感を直隠していたわけになる。そこんところ理解してんのか?」
「白銀さんは、少なくともお前の百倍以上は信用に足る人だ。そもそもとして、これはミステリー小説じゃ無い。人間の行動に一々論理を見出す何て意味が無い」
「そんなもんかねー」
眩しげに空を見つめる女を横目に、俺は拳を強く握る。こいつは、白銀さんのお陰で今こうしてこの場にいる。それなのに……!
落ち着け、俺。ここで言い争ってもどうにもならないだろ。あの夜の二の舞いになるだけだ。
「次は俺からだ。お前の目的について」
「それは前にも話しただろ。私は杏を」
「白銀さんもその話は信じていた、だから俺も疑わないことにする。俺が言っているのは、未練のことについてだ。杏を攫う目的ができたのは、天海家での事件がきっかけ。つまり、悪霊として生まれるためにはそれ以前に強い私怨が無ければならない。で、俺は……」
「別に、わざわざ言う必要はねぇ。どうせもう、分かってんだろ?」
「──そうだな」
少し考えれば分かる。今の彼女の言葉で、確信も得た。なら追及する必要は無い。
「そんなことを考えた理由は? 実の親だろ、それが何故……」
「親も結局のところは他人だ。家庭の事情に口を挟む必要はねぇだろ?」
「それも、そうだな」
個人的には気になる。でも、これを知ったところで俺にメリットは無く、俺たちの下した判決が覆ることは無い。
だから俺は、口を噤んだ。
「ともかく、今のお前の目的は、杏を救うこと。で、良いんだな?」
「そうだ。私は、杏を生かしてやりたい、姉としてな。それだけだ」
「良い姉だな、とでも言った方が良いか?」
俺は嫌味っぽく聞いてみた。
すると、女は自嘲気味に笑う。
「別に。私が未熟だなんてことは自覚している。私は馬鹿だからさ、それであんな方法しか思いつかなかったんだ」
「なら、是非とも一度、俺に謝罪して欲しいもんだな」
「白銀菫や杏には、申し訳無いと思っている。だが、私がお前に謝るのは、お前が自分の過ちを認めた時だ。お前の価値観を認めることなんかできないんでね」
「そうか。……分かって欲しいとは言わない。俺も、お前があんな凶行に走った理由も、私怨のわけも理解できないからな。俺は自分が間違えているなんてこれっぽっちも思っていない。お前も、それは同じだろ?」
俺はそう言って立ち上がり、女に背を向ける。
「今日の夕食時、一度情報の整理と、天海家の事情を聞きたい。絶対に、来いよ?」
「わーってるって」
癪に障る返答しかできないのか、という言葉を呑み込み、俺は振り返る。
女とは目が合わなかった。
「俺はお前を許したつもりも無ければ、仲間だとも認めない。ただ、同士としては認めてやる」
「その上から目線の物言い、ムカつくな」
「お互い様だ」
認めたくは無いが、本当に認めたくは無いが、俺たちの気質は似ているのかもしれない。
そう思った直後。
「お前、なんというか、歪だな」
「は?」
意味の分からない言葉が俺に直撃する。
歪、そんなことを言われても、一体何が歪なのか……
「お前は、自分のやってることに間違いが無いと確信してるんだよな? なら何で、杏だけは生かそうとする? あいつのことだけ特別扱い?
いや、本当にこれっぽっちも迷いが無いなら、そもそも出会った直後に杏を殺している筈だ。
お前、もしかしてさ」
……その先の言葉を、聞きたくは無かった。容易く想像することができるから。
でも、俺の口は固まって動かない。
「こんなこと、やりたく無いんじゃないか」
「──そうかも、しれないな。でも、こういうのはやりたいかやりたく無いかの話じゃ無い。俺がやらなくちゃいけないんだよ」
あんな悲劇はもう御免だ。
だから俺は、そうやってまた自分を偽る。
俺がやらなければいけないんだって。
「まぁ、そういうもんなのかな。お前の事情なんて知ったこっちゃねぇが」
だけど。そう言って、女は言葉を続ける。
「一つ、忠告だ。白銀菫には、気をつけた方が良いと思うぞ」
「………………根拠は?」
俺は静かに問い質す。
「お前も言ってただろ。人の行動に一々論理を見出しても意味が無い、と」
つまりは勘ということか。
ならば、俺の返答は一つしか無い。
「その汚ぇ口を閉じろ。俺の手が出ん内にな」
俺はそう吐き捨て、立ち去った。
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補足
ハリーポッターにおいて、マグルの魔法使いが生まれる理由は、スクイブにあります。スクイブとは、純血、もしくは半純血にも関わらず、魔法の使えない者のことです。なので、大体スクイブはマグルに紛れて生活し、結婚をします。それで稀に、魔法の使えるマグルが生まれるわけです。
(ハリーポッターそのものを知らなかったらすみません)
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