第24話 納涼祭 中
外は薄暗くなってきていた。いよいよ夏祭りの雰囲気が出てきて、人混みも凄い。濁流、というのは言い過ぎかもしれないが、それぐらい人の流れの圧力が強かった。
だから俺たちは、流されるままに歩く。
さて、どうしたもんか。
このまま闇雲に歩いていても、逆効果な気がする。じゃあどうする?
──そうだ、携帯! いや、そういえば俺、白銀さんのメアドも何も、知らないんだった。そもそも、彼女が携帯を使っているところすら見たことが無い。
さて、また振り出しに戻ってしまったが……
「……」
杏ほ、こちらをチラチラと見ている。
そうだな、連絡手段が無い以上、杏を最優先に立ち回ろう。
俺は歩きながら話しかける。
「何か食べたいものとか、ある?」
しばらくの間があった。杏は俯き、黙っている。
数秒後、杏はゆっくりと顔を上げ、俺の瞳を見つめた。顔色を伺うかの様に、不安げに、されど目を逸らさずに。
そうして杏は、人差し指で一つの屋台を指した。
そこではカチューシャが販売されていた。
動物の耳がついていて、その耳の部分がキラキラと光り輝いている。この暗闇の中であるため、少し目立っていた。案の定、女の子たちが列を成している。
俺は杏と手を繋いだまま、流れから逸れ、そのカチューシャを購入しに行った。
「どれが欲しい?」
「──猫さんの」
俺はそこの店主に話しかけ、猫耳のカチューシャを購入する。
そして、それを杏の頭にハメた。
そのことを確認する様に、猫耳部分を触る杏。
すると急に、顔をパーっと明るくした。
「気に入ったか?」
まぁ、自分に似合っているかどうかは確認の仕様が無いがな、と心中で呟く。
しかし、杏は素直にコクっと頷いた。
正直、この赤と青が交互に点滅する耳とか、あまりにも安っぽいが、まぁ本人が幸せならばそれで良いだろう。
……しかし、その顔はすぐに曇った。
俺の顔を見た後、顔をハッとさせて後退りながら。すぐに目を逸らした後、また目を合わせ、逸らす。後はその繰り返しだ。やっぱり、恐怖を取り除くには至らなかったらしい。
──それでも、着実に進歩していると信じたい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この空間は、あまりにも静かだった。
いや、実際はこの人集りだ、喧騒は嫌というほど耳に入ってくる。
そういうことではないのだ。さっきまでは、あの二人がいた場所。でも今は、俺たち二人だけ。
ここに来る前までは、常に一人だった。一人でも問題が無かった。
しかし、あの二人と関わる様になってから、それを違和感と認識する様になってしまったのだ。
非日常であるはずなのに、それが日常になってしまうほど、俺はあの空間が気に入っていた。
だから、静かだった。俺は何度も杏に向かって球を投げるが、杏の投げ返した球はバウンドして地面を転がり、俺の目の前で止まる。
そしていつしか、俺たちの間に言葉は消えた。
こうしていると、途轍も無い不安が押し寄せて来る。叔父と、白銀さんといる時には無かった……いや、誤魔化していた恐怖。
何をどうすれば良いのか、全く見えてこない。
まるで、深夜に森の中を一人、草木をかき分けてただひたすらに進んで行っている様な感覚。
ゴールは無く、その体は枝に引っ掻かれ傷ついている。
これまでは、ゴールがあるから良かった。ゴールがあったから、どれだけ苦難な道でも希望が見えた。でも今はそれが無い。
そもそも、杏の未練が無くなったとして、どうなる? 殺すのか、この子を?
今だからこそ言える。俺は杏を、祓うことができない。
あの夜なら、まだやれたかもしれない。でも、もうここまで来てしまったのだ。俺には、杏と共に遊んだ記憶、食卓を囲んだ記憶、そして杏の笑顔が刻まれている。それは、杏とて同様だ。
それを祓うなんて、俺には到底無理だ。でも、他の人に押し付けるのはもっと嫌だ。
だから今は、突き進むしか無い。その先にあるのが、幸福でも、不幸でも、はたまた破滅でも。
「なぁ、杏。やっぱり俺のこと、怖いか?」
そんな分かりきった質問をしてしまった。
まさか俺は、あれだけミスしておいてまだ希望を抱いているのだろうか?
馬鹿馬鹿しい。
「……」
ほら見ろ。杏も黙り込んでいる。
無駄なんだ、全て。一度地の底に沈んだ信用を再び回復させるなんて、俺では無理なんだよ。
ならば、この葛藤全てが、無駄なのか?
そうかもしれない。いや、そうなんだ。
何を迷う必要がある。俺は除霊を生業とする霊媒師であり、杏は霊なんだ。
何で霊のためにこんな、悩まなければならない?
おかしい。これはおかしい。
この手を離してしまえば……そしたらどうなる?
答えは簡単だ。この濁流に流され、二度と戻ることはできない。
それなら……
「っ!」
直後に聞こえたのは、息を呑む音だった。
俺は右手に違和感を感じ、首を傾ける。
──いない。杏がいない。
すぐに状況を理解し、俺は目線を目の前の人混みに向けた。
一瞬だけ、杏のポーチが目に映った。
俺は群衆の中をかき分け、押しのける。
「すみません! どいて下さい!」
脳内が真っ白だった。
何をするべきかなんて考える余裕も無く、無心で進み続けた。
だが、掻いても掻いても、その少女の姿は見えない。
きっと、俺が一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、一秒にも満たない時間、手を緩めてしまったのだろう。
あんなことを考えてしまったから。
──ならば、この葛藤全てが無駄なのか?
それに対して、俺は何も返す言葉を思いつかなかった。悩んで、悩んで、悩んで、それでも答えが出なかったのが、今の俺という結果だ。
だからいつしか俺は、悩むことを放棄していた。
否、放棄しようとしていた。でも、俺の意志はあまりにも軟弱。それでまた、悩んでしまう様な道に逸れてしまった。
結局この思い出巡りも、気を紛らわすための行為でしか無い。
あの夜、俺は答えが出せなかった。祓えたわけでも、祓わないと心に誓うこともしなかった。いつかは出てしまう答えを、見ないようにしていた。
何かをしないと、気がおかしくなりそうだった。あいつの件以降、悩んでこなかったツケが回ってきたみたいに、一斉に俺に襲いかかった。
だからこうやって、自分の有耶無耶な行動に意味を持たせるしか無かった。
それだけ、俺は悩むことが嫌だったんだ。
ああ、でも、ここで俺もまた波に流されれば、この悩みごと綺麗さっぱり洗浄されるかもしれない。そしたら、また悩みの無い、あの日々に戻れる。だから、だから……
っ! そんなことをして何になる。正しいかどうかなんて分からない。いや、間違っているからこそ俺はこんなに悩んでいるのだろう。
でも、それがどうした。人間ってのは、必ず正しいことをしなけりゃならん生物なのか?
俺の答えは否だ。例え間違っていても、俺はそれに価値を見出したんだ。
杏の笑顔が好きだ。杏の声が好きだ。杏の優しさが好きだ。
俺がここで諦めてしまえば、そんな俺の思いが、全て否定されてしまう。全てが無駄になってしまう。それだけは嫌だ。
「グッ!」
人波を掻き分けて進む。
自分でも、自分を正気とは思えなかった。
でも、正気でいたらきっと、俺は迷ってしまう。
だから脳内を空っぽにして、突き進んだ。
──見えた!
杏は人にぶつかり、押され、困惑しながらも何とか立っている様子だ。
俺は更に速度を上げる。
ただ、その一点を目指して。
人の声なんて気にならなかった。
どれだけ人に疎まれようと、一人の少女の手を握れるのなら良いと、本気で思った。
自分の意志を剣に変えて、その合間を突き抜ける。今度こそ、ちゃんと迷うことができる様に。
進む、進む、進む、進む。
無心で進み続ける。その先に何が待っているかなんて考えることも無く。
ただ、進んだ。
そして……
少女の手首を、ガシッと掴む。強引だが、そうしなければまた離してしまいそうだったから。
「っ!!」
杏の顔を見ている余裕は無かったが、ただその色が、驚愕に染まっていることだけは想像に容易かった。
「杏、行くぞ」
ここは危険と判断し、俺はとある場所を目指し、歩き始めた。
今度こそ、その手を離さぬように。
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