第24話「明良のお家を見てみよう」
生徒会による監査が終了したのは、日も暮れかけたころだった。部室のカーテンの隙間からはオレンジ色の光が漏れ、五時を知らせるメロディはとっくに流れ切っている。
「新しいカップルで遊んでいたらすっかり遅くなってしまったな」
氷上はそう言って、はあと溜息をついた。ことあるごとにわざわざ木村たちをからかっていたのは氷上だが、そんなことは棚に上げて、やれやれと腕を左右に広げる。氷上が今の恋人と付き合い始めたとき副会長がどれだけ氷上をイジり倒したのか、明良には知る由もないが、あの様子を見るによほどだったのだろう。
「こういうことしてるから、付き合ってることを頑なに隠そうとする人が出るんでしょうねぇ」
奏がそうしみじみとつぶやいて、椅子から立ち上がる。
「もうそろそろ最終下校だな、帰らねば」
最初に立ち上がった奏に続いてみんな立ち上がり、荷物を持って部室を出る。
「明良くんは恋人とのことは隠しておきたい派閥ですか? それともあけっぴろげ?」
「わざわざ言いふらすことではないと思うが、隠すほどのことでもないだろ」
明良がそう言うと、奏はにこりと笑う。
「ではそういうことで」
「そういう会話は付き合ってからするもんじゃないの?」
前を歩いていた木村が、あきれ顔で振り向いて言う。まったくもってその通りだと思う。
最後に体育館に残ったのは演劇部だったから、体育館を施錠して、それから生徒会室に寄って生徒会二人の荷物と会長の彼氏を回収して、職員室へ。体育館の鍵を返したり、生徒会の方は終礼なんかしたりして、ようやく学校の門を出たのは六時を回ったころだった。
「じゃあ、私と佳孝はこっちだ。またな」
早々に生徒会長とその彼氏が徒歩で駅とは反対の方向へ歩き出す。早く二人っきりになりたくて仕方がないのか、氷上は早足に恋人の腕を引っ張って消えていった。
「さて、じゃあ行こうか」
井上がそう言って、ゆっくりと歩き出す。
「明良くん」
明良がそれに続いて足を踏み出すと、腕を奏に取られる。
「二人っきりにさせてあげましょう。そして私たちも二人っきりになりましょう」
「お、おう」
「そういうわけなので」
奏は振り向く二人に手を振る。じゃあねと二人が笑って去って行って、校門の前に残ったのは明良と奏の二人だけになった。すっかり日は暮れて、向こうの街灯が逆光になって、奏の顔はよく見えない。
「ねえ明良くん、アイスとか、食べたくないですか」
コンビニで奏と二人、それぞれアイスを買って、並んで歩く。奏とこうして二人横並びで帰るのは初めてではないけれど、なんだかいつもとは違うような気がしてしまう。
晩夏というにはやや遅いような気もするが、しかしようやく涼しくなる兆しが見え始め、虫たちのさざめきも秋めいてくるというものである。この音を聞くと、もうすぐ秋なのだなと思う。
「明良くんはバニラモナカですか」
手もとのアイスの袋の上の部分を引っ張って綺麗に開け、奏はあずきバーを口にくわえる。
「いいれふね」
五秒十秒と経っても、ちっとも奏の歯はあずきバーには立たず、しまいにはよだれが垂れそうになってズルっと吸ってみたり。
「全然食えてねぇじゃねーか」
明良も、モナカを口いっぱいに入れる。あずきバーとは違って、柔らかく、口の中で溶ける。あまりに一気に口に入れたものだから、頭がキンと痛くなる。
「ふふ、明良くん、計画性が足りませんね」
奏はそう言いながら、やっとひとかけらあずきバーを食べられたらしい。あずきバーの欠けが、奏の口が小さいことを物語っていた。
「全然食べれてないやつに言われたくないよ」
「いえいえ、私はこれでゆっくり食べることも織り込み済みですから」
奏はそう言うと、二口目も思い切り齧って食べる。
「顎痛くなりそうだな、それ」
「……一理あります。かたいの、好きなんですけどね」
「俺は柔らかい方が好きだなぁ」
「アイスの好みに人体の好みが出てますね」
「何の話?」
駅までもう一、二分というところで、明良も奏もアイスは食べきって、ゴミをどうしようか、なんて笑いあう。結局、ちょっと罪悪感を覚えながら、駅前のコンビニのゴミ箱に捨てた。
駅構内は帰宅ラッシュでひどく混雑していた。ホームに降りると既に快速電車は停まっていて、反対側には中央特快を待つ列が伸びている。
「奏は特快乗るか?」
明良がそう聞けば、奏は首を横にふりふりと振る。
「ゆっくり帰る気分です」
奏はそう言うと、明良よりも先に快速に乗り込んだ。車内は、外の列と比べればいくらか余裕もある。開いているドアとは反対側のドアのところまで乗り込んで明良がつり革を掴むと、奏はその腕を軽くつまむ。
「もうすぐ文化祭ですね」
「早く台詞覚えないと」
「がんばりましょう。私もがんばります」
反対側のホームに特快が滑り込んで、武蔵境から武蔵小金井までの間で降りる人たちは明良たちの乗る電車に乗ってくる。人が増えて、奏の方に近づく。明良が奏に体重が掛からないようにしても、奏はそんなの気にしないで、わざと明良の方に身体を押し付けてくる。
「明良くんって、やっぱりいい匂いしますね」
「こんな満員電車の中で匂いなんてわかるか?」
「わかりますよ、だってゼロ距離で嗅いでますからね」
明良の胸あたりに顔を押しつけ、奏は深く息を吸った。
「でもそろそろやめときます、なんか、ちょっとこう」
奏は顔を明良の胸から離し、さっと横を向いた。特快に追い抜かされてゆっくりと走り出した快速は、武蔵境でいくらか人を下ろしつつ、すぐに東小金井に到着してしまう。
――じゃあ、また明日。
明良がそう言おうと片手を上げ歩き出すと、にっこりと笑った奏がそのまま明良の腕を取る。
「明良くんのお家が見てみたいです」
あれよあれよと奏は東小金井駅のプラットホームに降り立ち、発車メロディーが鳴り響き、電車は出発する。
「ほら、電車も行っちゃいましたし」
「お前、時々そういうことするよな」
「でも、あんま遅くならない方がいいんじゃないのか?」
改札を通り抜けたところで明良がそう言うと、奏はうーんと少し唸って首を傾げた。
「そりゃまあ、早く帰った方がいいんですけど」
奏の目が明良の目を捉える。
「やっぱりほら、今自分がしたいこととか、今しかできないこととか、あとはやっぱり、自分の気持ちを大切にするとか、理由はつけようと思えばいくらでもつけられますし」
「そういうもんか」
「ええ、そういうもんですよ。それに、厳密な門限とかないですからね。夜遊びでもしますか?」
「補導されるわ」
あはは、と奏は笑って、明良の横に立って、明良の帰路を歩く。道はいつもと何も変わらないはずなのに、どうして奏がそこにいるだけでこう輝いて見えるものなのかと、明良は感心してしまう。なるほど恋というのは人生を楽しくするのだろう。その先に何があるのか明良は知らないが、今はこの心地よさに身を置いていたいと心のそこから思える。
「なんか、初めてあったのなんてつい半年前とかなのに、ずっと昔から友達だったような気がするな」
明良がそう言うと、奏はくつくつと笑って、明良の脇腹をつつく。
「人との関係なんて期間じゃないでしょう。大体、明良くんはこの世界で誰よりも飾らない私の姿を見てるんですから。私は明良くんと一緒にいるとき自分を繕う必要をあまり感じてないし、明良くんだってそうだったら私はうれしい限りです」
「そりゃまあ、そんな見栄張ったりしようとは思わないけど」
「それはなによりです」
腹を割って話しましょう、と奏は言って、ふと自分のお腹を見下ろした。そのまま数秒、ブレザーの上からお腹を長め、やがてボタンを外してワイシャツの上から自分のお腹を見ていた。
「どうした」
明良がそう聞けば、奏はふと立ち止まってぽつりと呟いた。
「………………言葉の帝王切開」
「は?」
「帝王切開をしてるってことは、つまりまず孕んでる状態ってことですよね」
「何言ってんの?」
「その言葉を孕んでいるのは明良くんのお陰ですから、つまり実質的には明良くんに孕まされてるってことじゃないですか?」
???????
「あ、明良くんとえっち……」
「いや、普通に違うだろ」
はあ、と奏はため息をつく。
「我ながら、最近ちょっと迷走気味です」
明良の家までは、駅から徒歩十分もかからない。そういうわけで、どういうわけだか奏を伴った明良は今、もう十余年暮らす馴染みの自分の家を見上げているのだった。
ちらりと横を見れば、明良と同じように奏も家を見上げていた。明良にしてみれば、特別なところなんて何も無い、普通の家だと思う。四人家族で過ごすには丁度いい家。
「私、将来は一軒家がいいです」
何がそんなに気に入ったのか、奏はそう言って明良の肩に手を置いた。ぐいと顔が近づいてくる。
「私、将来は一軒家がいいです」
「……そうか」
「――何家の前でイチャイチャしてんの? もう付き合ったの?」
「ぎゃっ!」
「あ、雅ちゃん。お久しぶりです。まだです」
「実の妹に《ぎゃ》はないでしょ、《ぎゃ》は。奏ちゃんとはなんか、あんま久しぶりな気がしないね」
毎日LINEしてますからねと、奏は雅を抱きしめた。
「女子の距離感ってやつだ」
「なんか、わざわざ口に出しちゃうところがね、アレだよね、お兄ちゃんて」
「アレってなんだよ」
「それで、なんでこんな時間にうちに?」
雅がそう言うと、奏は雅から離れ、また明良に並んだ。ふわりと奏の香りが鼻をくすぐる。
「特に深い理由はないんですが、たまたま東小金井で降りたので」
「ホントなんか、すごいね、奏ちゃんって」
雅はそう言って奏と明良の間を通り抜けて、家の門を開けた。
「とりあえずお兄ちゃんは女の子を家の外でそのままにしとかない方がいいと思う」
「たしかに」
雅について玄関の扉をくぐると、母が居間の方の扉から顔を出す。
「おかえりー、あ、奏ちゃんいらっしゃい」
「急にすいません、お邪魔してます」
「それは全然いいんだけどね、今ウチの人がパンツ一丁でアホ面晒して爆睡かましてるから居間はちょっとダメかもー……うんダメだコレ、絵面が汚いわ。どれくらいうちにいる?」
「きたな! なんでよ、服着て寝てよ」
玄関で止まっている明良たちとは違って、すぐに居間に入っていった雅の声が聞こえてくる。
「あっ、すぐお暇しますので!」
「まあ三十分くらいゆっくりしたら? 明良の部屋で」
「あ、明良くんの部屋……!」
「俺不在で話が進んでいく」
「いいでしょ、別に奏ちゃんにエロ本見つかってもダメージないんだから」
「全方位に失礼だろそれは」
「へぇ、ここが明良くんのお部屋ですか。普通ですね」
部屋に入るなり、奏はそう言った。
「普通の部屋で悪かったな」
明良の部屋にあるのは、普通のベッドと、普通の勉強机と、あとは本棚に小説やら漫画やらが詰め込んであるくらい。あとは、クローゼットの中に最低限の私服が入っている。普通かどうかは知らないが、変な部屋ではないだろう。
「見てもいいですか?」
奏はそう言って部屋の真ん中まで進むと、やにわに地面に顔をつけるとベッドの下を覗き込んだ。
「おい」
そのスピードの何たるか、明良が声を掛けたときにはすでに奏はベッドの下に手を突っ込みガサガサと漁っているではないか。自分がスカートを履いていることなど忘れて、すっかり太ももの付け根あたりからは黒い布地が覗いている。形を見るに、パンツではないだろう。
「あ、ほんとにあった」
「おいこら」
「でもほら、男の子のお部屋に来たならこれをやるより他ないじゃないですか」
身体を起こした奏は、胸の前にばーんと掲げる。
「えーっと、さすがにR-18ではないですね、さすがにね、だって私たち、まだ成人してませんからね。でもなんか、そういうところで日和っちゃう感じが、ね、こう」
「無理にコメントすんなよ」
「……はい」
奏はそう言うと、いそいそとベッドの下に明良のソシャゲ同人誌をしまい込む。折しも、扉がコンコンと叩かれ、お盆にオレンジジュースを乗せた母が入ってくるではないか。
「奏ちゃん、一応明良も年頃の男の子なわけだから、誘うのもほどほどにね」
「あっ、ちがこれは別に誘ってるとかでは」
「はいはい」
奏の主張は意にも介さず、母は明良の勉強机に二つコップを並べる。
「晩御飯とか食べていくなら、親御さんに連絡したりとだけど、どうしたい?」
会話の間に挟まって、明良はテーブルのコップを両手に持って、右手のコップから飲んで、左手のコップは奏の方へと差し出す。それを受け取った奏は一口それを含んで、それからゆっくり口を開いた。
「そうですね、あんまり遅くなっても迷惑ですから、すぐにお暇します」
「わかった。じゃ、明良、ちゃんと送ってね」
「そりゃまあ」
それだけ言って、母は部屋を出ていく。部屋に残された奏と二人見つめ合って、それからしばらく。
「なんか、変な感じですね、明良くんのお部屋に居るの」
奏はぽつりとそう呟いた。
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