第18話「日光を観光しよう」
午前七時。珍しく早く寝たせいか、目覚ましがなるよりも早く、心地よい目覚めを迎える。枕元のスマホを見て、二度寝しようか迷って、やめた。
――せっかく合宿来てるんだもんな。
ゆっくりと起き上がり、コップに水をいっぱいに注いで、それを飲み干す。
明良が寝ていた隣のベッドでは、いまだ目覚めのときを迎えぬ奏が、芸術作品かと見まがうような美しい顔で眠っていた。案外寝相は悪いらしく、掛け布団はほとんど床に落ち、浴衣で寝たせいですっかりはだけて大変なことになっている。だが、もはや今更その程度で動じることもなかろう。なんと大人らしい態度だろうと勝手に感動しながら、しばらく奏の寝顔を楽しむ。
――なんか、いけないことしてる気がするな。
だが、これだけ気持ちよさそうに寝ているというのに起こすのも忍びない。ひとまず床に落ちた布団だけ奏にかけてやって、明良は一度部屋を出てみることにした。
「お。おはようアッキー」
談話スペースには、あまり朝とは似つかわしくない相川と、相川よりは朝の似合う松本、木村が三人で座っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよ。で、どうだったの? 昨日は」
「どう、とは」
「そりゃ奏のことに決まってるじゃんね」
相川と木村が、興味津々と言った様子で、詰め寄ってくる。
「大人になったの? ていうか大人にしたの?」
「何ですか、この合宿ってそういう感じなんですか」
三人が顔を見合わせる。そして、同時にうんと頷いた。
「まあ、大体一組か二組くらいはえっちしてるから」
一番大人しそうな顔をした松本が、ぼそっと呟く。
「そんな合宿があってたまるか」
「いやいや、何事も経験だよ、アッキー。で、どうだったの?」
「してませんよ」
――ギリギリ。
「なーんだ。あっち二人がヤったし、こっちもヤるかと思ったのに」
心底つまらなそうに相川は言って、ソファに深く座った。
「立ってないでアッキーも座りなよ」
そう促されて、明良はようやく空いた一席に腰を下ろした。座面は案外柔らかく、沈み込むような座り心地のソファだった。
七時半ごろになって、佐山が部屋から寝ぐせをつけたまま出てきた。各々おはようございますとか言い合って、明良はなんとなく佐山に席を譲った。
「もう七時半か。アッキー、そろそろかなちゃん起こしてきて」
「あ、はい」
「私らはこっち起こすよ」
おもむろに立ち上がった相川は、福島たちの部屋の方へと歩いていく。
「なんか、どうしよ、二人とも全裸だったら。反応に困るな」
「最悪だよそのパターン」
明良も踵を返して、自分の部屋の扉を静かに開けた。
どうしたことか、奏にさっきかけてやったはずの布団は既にくしゃっと丸くなっており、本人はその上でうつ伏せで寝ていた。
「すごい寝相だな……」
――こんなに寝顔はかわいいのに。
息をするために横を向いた顔を眺めながら、そう思う。
「おい奏、朝だぞ」
少し身体をゆすってやると、すぐに奏はぱちりと目を開いた。
「明良くん…………おはようございます」
いつもよりもいくらか掠れた声を出して、奏はごろんと転がり仰向けになった。さっと上体を起こすと、しばらくぽやぽや虚空を眺めてから、ふと自分の浴衣に目を向ける。
「寝相が、あんまりよくないんですよね」
「みたいだな」
最低限胸元だけ左右の衿を引っ張って隠して、奏はベッドの縁に座った。
「明良くん、お水……」
「はいはい」
水差しからコップに水を汲んで手渡すと、奏は一気にそれを飲み干した。
「うーん、着替えないと。明良くん、ブラとって……あとキャミソールも……」
奏は自分の鞄を指さす。なんとも傍若無人な態度だが。
――まあいいか。
寝起きだし。
奏の鞄をあさって、その中から白いブラと、その近くにあった肌着を取って奏に手渡す。
「うーん、全然目ぇ覚めないです。あたまがぽわぽわ」
下着をつけながら、明良の方を見て奏が呟く。本当に頭が働いていないようで、いつもの下着を着けるだけで随分と苦戦しているらしい。いつまで経ってもホックをつけられずに、パチ、パチと、つけてはすぐに左右に分離してを繰り返していた。
「もう一杯水飲むか?」
「お腹たぽたぽになっちゃう……」
やっとこさホックをかけた奏は、うわあと情けない声を上げながら伸びをして、そのままベッドに倒れ込んだ。
「さて、今日の行程を発表しまぁす。いぇーい」
朝食のさなか、スプーンをマイクに見立てた相川が、唐突にそう言った。もっと健康に気を使えと奏にこんもり盛られた
――置いた……。
「今日はかの有名な日光東照宮に行っちゃいまーすいぇーい」
一人でぱちぱちぱちと手を叩き、相川は、じゃ発表終わりと、またスプーンを手に持ってコーンスープを飲み始めた。
「小学校のころ行きましたねぇ、東照宮」
奏は、パンだけ食べようとしていた明良とは対照的に、栄養やら見栄えやらバランスよく盛りつけられた朝食を口に運んでいる。寝起きの頭の働かなさが嘘のように、なんとしっかりした朝食であろうか。明良なんて、朝食なんてパンだけでいいのに。ようやく最後の草を口に入れた明良は、そんなことを思う。
夕食と同様、ビュッフェ形式の朝食は、その皿を見ればそのひととなりがよくわかる。その上で――
「もっとマシなチョイスはなかったんですか?」
見事に肉類だけが盛りつけられた佐山の皿に、突っ込まずにはいられなかった。
時刻は九時半ごろ。まだギリギリ暑くなりきらない。夏の暑さで最近はあまり聞くこともなかったような気がする蝉しぐれに包まれながら、最初に乗り込んだ奏を追いかけるように明良は車に乗り込んだ。
「明良くん明良くん」
ほかのみんなが乗り込むさなか、奏に引かれて耳を近づけると、奏は少し躊躇うようにして、また小さな声で話し始めた。
「あの、今になって気づいたことがあるんですが」
「うん」
「昨日雨に降られてて一枚下着をダメにしたじゃないですか」
「ああ、そういえば」
そんなことちっとも考えていなかったなと、自分の荷物の内容を思い出す。明良はパンツの予備など用意していない。
「このままだと最終日ノーパンで帰るハメになるってことか」
「いやまあ、別に一度穿いたパンツをもう一回穿けばいい話なんですが、ほらその、汗とか、汗とかで汚れるじゃないですか。汗で」
――どんだけ汗って言うんだ。
そりゃ夏だから、汗くらいかくし、そんなわざわざ強調するほどのことでもあるまいに。
「あとでコンビニとかで買うか? 俺も汗かくしな」
「で、でも、パンツなんて買ってるところ見られたら絶対あの人たちヤったんだって言い出しますよ、まだヤってないのに……!」
車がゆっくりと走り出し、駐車場を出る。途中までは昨日来た方角へ戻るように走り出した。
「つまり何とかしてバレないように下着を調達しようってことだな」
「そうです。だってあの二人と一緒にされるのはちょっとアレじゃないですか」
奏は目線で、福島と三橋の方を指し示す。
「付き合ってもないのにえっちするなんてそんな……! 破廉恥じゃないですか」
「お前、そういうとこ案外ちゃんとしてるよな」
「ちゃんと愛の先に挿入がないとダメですよ、そんなの、当たり前じゃないですか。案外ってなんですか案外って」
よほど持論に拘りがあるのか、奏は腕を組んでふんすと鼻を鳴らした。
そんな折だった。
「あのすいません、コンビニ寄ってもらってもいいですか」
三橋が唐突に声を発する。後ろの席でこそこそ話していた明良と奏はそれに驚いてビクリと身体を震わせるくらいには急だった。
「飲み物とかなら用意あるぞ」
「あ、いえ、昨晩下着を盛大に汚してしまったもので」
「…………ああ、そっちね」
奏と目を見合わせる。
「チャンス」
車はほどなくしてコンビニに止まった。日光みたいなところにありがちな、茶色一色に塗られたコンビニだった。
「私たちも行きましょう」
しれっと、三橋と福島が車を降りた後ろから一緒になって車を降りる。まるでみんなで降りるのがあたり前ですよ、みたいな顔をして。
「どうしましょう、カムフラージュに雑誌でも買いますか」
「エロ本か」
遠巻きに、三橋と福島が買う様子を伺う。二人は特に迷うこともなく下着の袋を手に取って、レジの方へ歩き出した。その隙に明良たちもさっと売り場の前に立つ。なるほど迷わないわけである。下着は男女それぞれ一種類ずつしか用意されていないのだ。さっとそれを手に取り、とりあえず売り場を離脱する。
「やっぱりこれだけ買うのはアレですね。そうだ、なんか買っても怪しくないものを――」
そこで、奏が動きを止める。
「どうした」
「ご、ゴムが置いてありますよ、明良くん。ごくうす……」
「中学生か」
適当に甘ったるいフレーバーティーを手に持ち、それぞれで買うと時間がかかるからと、明良が二人分の下着を買って奏に手渡す。
「あれ、何、二人も本当はヤったの?」
「わあっ!?」
ちょっと時間を開けて車を降りてきた相川が、鞄に下着をしまう明良と奏の前に立ちはだかった。
「いや、昨日の夜散歩してたらめっちゃ雨降ってきたんですよ」
「ああ、だから地面濡れてるのか。まあ、下着を買った理由は別にどっちでもいいけどね。でもヤってた方が面白いよ」
――全然どっちでもよくないだろ。
車に揺られて田舎道を走ること三十分弱、車は東照宮の駐車場に到着した。流石に夏休みともなると観光客は沢山いて、駐車場はほぼほぼ満車だった。
午前中から午後にかけて一行は日光東照宮とその近辺を隅々まで楽しんだ。小学校のころに通ったような気がする参道や、三猿やら陽明門やら、なんだか見覚えがあるようなないような諸々を見物し、奥の宮への階段で下半身を破壊され――佐山は下半身の崩壊を危惧し最初から登るのを諦めていた――筋肉痛の気配が忍び寄り、鳴き龍の声を聞き、とにかく一行は日がな一日日光を日光たらしめる部分を楽しんだ末、もはや歩く体力さえも残されていないような始末だった。
「はあ、さっきここで車降りた気がするんだけどな」
空も赤らみ夕さり、各々ぐちぐちと文句を言いながら車に乗り込んでいく。いつもの座席に座った明良も、例にもれず既にふくらはぎがパンパンに膨れ上がっている。普段から運動をしていないわけじゃないはずなのに、こうも足が疲れているのは、きっと自分が思っている以上に観光を楽しんだからなのだろう。
――そこに。
奏がいるのも、楽しんだ理由なのかもしれないなと、奏の横顔を見ながらふと思う。
「? どうかしましたか?」
「いや、まあ、なんでもない」
「なんですか、えっちなことでも考えてたんですか。もう、他のみんなもいるのに」
ちらちらと前の席に座るみんなの様子を伺いながら、奏は小さな声でそう言った。それから少し明良に近づいて、耳元で小さく呟く。
「そういうのは、お部屋に帰ってからにしましょう」
「…………なんか、感傷に浸ってたのがバカみたいじゃねぇか」
「おや、感傷ですか。めずらしいですね。いっつもドライなのに」
「………………そうか?」
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