第四章「破滅の帝国編」第3話「吸血鬼」
その男は、つばのおおきな羽付き帽子を被り、青のローブを身につけ、足の先が尖って上に向いた靴を履いていた。目付きは自信に満ち溢れ、帽子の下は艶のある黒髪である。年齢は20代後半くらいの人間種である。
彼の名は「アントニー・キールズ」
クァン・トゥー王国の勇者英雄隊であり、世界屈指の魔法使いである。
「ああ…フリン!フリン!お前は一体ここで何をしてるんだ?こんな危険なところに、俺のような“大魔法使い“でもいなきゃ、命が幾つあったって…」
そこまで言うとアントニーは、フリンの顎を持ちクイっと上げた。
「足りないぞっ」
フリンは、ふうとため息をつき、アントニーのとんがった靴の上、即ち足の甲あたりを力強く踏ん付けた。
「まったく!相変わらずだなお前は!心配したこっちが損した!」
アントニーは、足を押さえて悶絶している。
「ぐおおおああ!相変わらず冗談の聞かん奴だ!」
サンボラがアントニーに歩み寄り言った。
「久しいなアントニー、無事で良かった。フルシアンはどこだ?」
アントニーは、サンボラを見上げて言った。
「ん?ブラインド・ガーディアンの長が何でフリンと一緒にいるんだ?」
エズィールも歩み寄ってきた。エズィールは、自己紹介しようとしたが、アントニーが制止した。
「待て!ここは危険だ!俺について来い!」
アントニーは、くるっと振り返ると走り出した。
フリンたちはアントニーの後を追った。
神聖ナナウィア帝国の首都アイウォミの都市は、路地が入り組んでおり、かなり複雑な構造であった。灌漑設備や排水設備も整備されており、至る所に水路も通っている。
アントニーは、いくつかの路地を曲がり、水路を飛び越え、地下通路に通じる川沿いの薄暗い小屋の中へ入っていった。
「ここは何の小屋だ?アントニーが寝泊まりしてるのか?」
フリンはアントニーに尋ねたが、アントニーは人差し指を口に当て、床に敷いてあった薄汚れたカーペットを剥がした。
ぶわっと埃が舞い、床が剥きだにしなった。しかし、その床にはよく見ると、鉄で出来た取手のようなものが付いていた。
アントニーは取手を持ち、「よっと」と声を出して床を開けた。床には四角い穴が空いており、そこから梯子がかけられ、地下に通じていたのである。
アントニーは、さっと梯子を伝い下に降りていった。
「足元気を付けろよ」
アントニーはただ一言を発し降りていった。
フリンたちも彼に続いて梯子を降りていった。
梯子を降りると、地下通路があり、そこを通ると少し開けた空間に出た。そこまで来るとアントニーは振り返ってようやく口を開いた。
「大丈夫か?誰かにつけられてないか?」
サンボラは答えた。
「ああ大丈夫だ。後ろを見ていたが、誰も来る気配はない」
「それはよかった。何せこの国は今や“戒厳令“の様な状態なんでね。誰かに見られちゃあっという間にお縄になっちまう」
アントニーは、エズィールを見て話しかけた。
「俺の見間違えかもしれんが、あんたさっきドラゴンになってなかったか?」
エズィールはニコリと笑って答えた。
「さよう、わしはエルフのドラゴン。エズィールだ」
アントニーは、エズィールを見て言った。
「ドラゴンか、凄いな!本当に居るんだな!変身能力があると聞いたが本当だったとは」
アントニーは、エズィールの肩をパンパンと軽く叩くと、さらに奥の通路へと歩き出した。フリンたちも後を続いた。歩きながらアントニーは話し出した。
「で?なぜここにフリンとサンボラ隊長とドラゴンがいるんだ?」
エズィールは事の顛末を語り出した。
「なるほど…通りでサーティマから何の音沙汰も無かったわけだ。とはいえこちらも色々と“ゴタゴタ“があってな」
アントニーは、スレイヤ城にいた従者の言っていた通り、貿易協定が暗礁に乗り上げ、途方に暮れていたところに、ある人物から手紙を受け取ったのだという。
「手紙?あたいらと同じじゃないか」
フリンは、城の外で謎の女性から手紙を受け取ったことを話した。
「ああ、“ぼっちゃま“からの手紙だろ?それは俺も受け取ったさ。外国からの使者に手当たり次第に渡してんのさ。まったく…バレたら自分の身が危ういってのにな」
アラヤ王は、使いを通して手紙をすべての国の使者に渡していた。ケリー公爵の言っていた例の法律が制定されてからは、アントニーがその手紙を回収し、事なきを得ていたというのである。
「なぜ回収を?アントニーは王様の言う通り王妃を助けないのか?」
フリンは首を傾げたが、アントニーは話を続けた。
「ああ、勿論そのつもりだぜ。だが今すぐって訳じゃない。今騒がれちゃせっかくの“計画“がパーてことになるからな」
サンボラが言った。
「“計画“とは?」
その時、通路の先に頑丈な扉が現れた。
コンコンとアントニーが扉をノックすると、扉の小窓が開き、ギョロっとした目が覗いた。すると低い声がした。
「合言葉を…」
アントニーは、静かにゆっくりと話した。
「自由の天地」
すると、扉の奥からガチャリと音が聞こえ、ギギギと軋む音を立てて扉が開いた。
扉の奥から黒装束を見に纏った男が現れた。
「アントニーか。してそちらの方々は?」
アントニーは男に言った。
「彼らはクァン・トゥーからやってきた使者だ。シャーデはいるか?もしくはシイルでもいい」
男は低い声で答えた。
「シイルが奥にいる」
扉を通り、奥へと進むと、洞窟のような大きな空間が目の前に広がった。壁は木枠で補強され、整然と灯りが灯されていた。
十数名の男女が黒い装束に身を包み、何やら地図を広げて話し合ったり、剣や弓矢を整備したりしていた。
するとその中の一人がアントニーたちに気付き、近寄ってきた。
「アントニー!さっきまた魔法を使ったのか?ストリゴイたちが大慌てで逃げてったぞ!…おや?そちらの人たちは?」
アントニーは、軽く咳払いするとフリンに言った。
「フリン、俺は彼からもう一通の手紙を受け取ったんだ。その“おかげで“今ここにいるのさ…」
「へ?」
フリンはその声の主を見た。
その男は爽やかな笑みをたたえ、茶色の髪を後ろで束ねており、黒いレザーアーマーを身に付けていた。腰には剣を差している。年齢は30歳くらいであろうか、長身だが細身でしなやかな体つきである。
アントニーは、その男にフリンたちを紹介した。そして、その男はフリンに手を差し伸べ、握手をした。
「ようこそ!“ランドオブザフリー(自由の天地)“へ!俺の名はシイル。よろしく!」
エズィールとサンボラも彼と握手をした。
「“ランドオブザフリー“?」
シイルは爽やかな笑顔で答えた。
「アハハ!そう!我らこそ神聖ナナウィア帝国を憂い、救おうとしている自由の戦士たちだ!ハハハ!」
アントニーは、吹き出しそうな顔をしてフリンに言った。
「こいつ、ひたすら爽やかだろ?笑っちまうよな!まぁ、いわゆる“レジスタンス(抵抗運動)“ってやつだ」
アントニーの話によると、シイル率いるレジスタンスは、ケリー公爵の圧政が活発化した時に結成されたそうだ。
彼はハンネ王妃と内通し、皇室の内部事情を詳しく把握していた。
当初ケリー公爵は、ハンネ妃とアラヤ王を陰ながら支える立場で皇室に居たそうだが、突如隠居していたはずのランディー伯爵が現れ、ケリー公爵こそ真の皇位継承者だと主張した。ケリー公爵は、次第にその主張に踊らされ、アラヤ王とハンネ妃を失脚させようと画策し始めたそうである。シイルは続けた。
「おかしいのは、ランディー伯爵がなぜ今ここに現れたのかなんだ。彼は既に90歳を過ぎた老人だ。トゥームーヤ皇帝が亡くなったと同時に皇室の教育係を引退したはずなのにな…」
シイルは、そこで一枚の肖像画を取り出し、フリンたちに見せた。その肖像画に描かれているのは、白髪で顔に皺をたくさん刻んだ老人であった。目も虚ろで、白い髭も垂れ下がっている。
「これは誰だ?」
サンボラが尋ね、シイルは答えた。
「これは引退する日の記念に描かれたランディーの肖像画だ。ハンネ妃から譲り受けたんだ」
フリンたちは驚いた。先程城で会ったランディー伯爵は、背筋がすらっと伸び、白髪だが髭は凛々しく、話し方もしっかりしていた気品ある初老の男性といった印象であった。とてもその肖像画に描かれているのが同一人物とは思えなかったのである。
シイルはさらに続けた。
「不審に思った妃が、我々に調査を依頼したんだ。そこで偶然出会ったのが、アントニーたちだった」
アントニーが話し出した。
「俺とフルシアンは、確かにそのランディーとかいうやつが裏でケリーを操っているのではないかと直感していたんだ。俺たちの協定が突然破談にされたんだからな。そして、城の外でシイルに手紙を渡された俺たちは、ここへ案内された。そこでその肖像画を見てさらに疑念が湧いた。フルシアンは、レジスタンスのもう一人『シャーデ』と共にランディーの家を尋ねた…」
すると、フリンたちの後ろから声がした。
「…すると家には何も無かった。いや、それどころか使用人すら一人も居なかった。娘や息子たち、家族さえもな…」
フリンは振り返った。そこには、ハーフエルフの男性が立っていた。その後ろには、赤い髪の女性が立っている。
「フルシアン!」
フリンは、そのハーフエルフに抱きついた。
彼は、勇者英雄隊の弓の名手「フルシアン・スロヴィアク」であった。
フルシアンは、比較的若いハーフエルフであり、アントニーと同じくらいの年齢であった。身長はさほど高くなく、フリンと同じくらいである。長く濃い緑色の髪の毛を後ろで束ね、背中には獅子の頭の飾りが付いた弓矢を背負っていた。
その後ろの女性は、シイルと共にレジスタンスを率いているリーダーの一人「シャーデ」である。
彼女は、人間種の女性で年齢は20代後半くらい、赤い髪だが男性のように短く切られており、シイルと同じ黒のレザーアーマーを着用している。腰にはレイピア(細身の剣)を差している。
フルシアンは、フリンたちに話を続けた。
「久しぶりだな。で、さっきの続きだけど…」
フルシアンは、ランディー伯爵の家の様子を語った。
元々ランディー伯爵の家は、広大な農地を所有しており、小麦や、葡萄、オリーブなど沢山の農作物を栽培していた。使用人も数多く、家族は妻、娘が一人、息子が二人いたという。
フルシアンは、まず荒れ果てた果樹園や畑を目にした。使用人は一人も居らず、それどころか、まるで突然どこかに連れ去られたかのような状況であったという。何故ならば、家のテーブルには食事が並べられ、使用人が干したであろう洗濯物も掛けられたままだったというのである。
「おかしいのは、腐敗した食事があるのにも関わらず、ネズミ一匹居ないってことなんだ。不気味だろ?そこで、ある地下室の出入り口を見つけたんだが、そこで何者かの気配を感じたんだ」
シャーデが話を続けた。
「家での調査はそこで終わり。その後私たちは近くの集落へ行き、聞き取り調査をしてみたの」
シャーデの話によれば、ある日突然ランディーの家から灯りが消え、昼間は誰も外に出なくなったという。しかも、夜中にその家の近くを通った多くの人が「ある者」を目撃しているのだというのだ。
「それは、何だ?」
エズィールは尋ねた。シャーデは、胸元から一つの紙を取り出した。そこには、真っ黒な人影と、赤く光る二つの目が描かれていた。
「これは、目撃者に描いてもらったその者の姿よ」
エズィールは、それを聞いて顎を触って考えた。
そして、口を開いた。
「うーむ、ランディー伯爵の邪気の強さ。そしてその不可解な自宅の様子。どうもこれはおそらく吸血鬼の仕業ではないかのう。しかも上位の吸血鬼だな」
フルシアンは、エズィールを見て言った。
「上位の吸血鬼…」
「たしか、古い伝記には“ヴァンパイア“とかいう名前であったかのう。だとすると合点がいくが…」
シイルは頷いてエズィールに言った。
「やはりな。我々もそうだと思っている。ランディー伯爵はヴァンパイアになって、家族や使用人たち、また家畜やネズミでさえも食い尽くした。
しかもあのストリゴイたちを手懐け、高い知能を持ってケリー公爵を操れる魔物といえば、ヴァンパイアくらいしか思いつかないんだ」
シャーデが続けた。
「だが、何故なの?ランディーがヴァンパイアならば何故今なの?トゥームーヤがいる時に出て来てもおかしくはなかったはず…」
サンボラが話し出した。
「やはり魔王の影響なのか、しかしトゥームーヤ皇帝が亡くなったのは、魔王が復活するだいぶ前だな…」
エズィールが言った。
「おそらくランディー伯爵は、その肖像画が描かれたあとにヴァンパイアになったと思う。何者かによってランディー伯爵は、ヴァンパイアにされてしまったと考えた方が自然だな」
ヴァンパイアは、高い知能を兼ね備えた上位吸血鬼の一種であり、“不死性“があると言われている。即ち人類史が始まってから生きている伝説の存在であり、人間や動物の生き血を吸って生きている。また、自らの血清を人間の体内に注入すれば、ヴァンパイアとして生まれ変わらせることもあるという。
フリンが言った。
「じゃあ一体なぜこの国にヴァンパイアが現れて、ランディー伯爵を操ってるんだ?」
「うーむ…」
エズィールは、顎を撫でながら考えている。
その時、シイルはエズィールに尋ねた。
「さっき言っていた魔王って何だ?詳しく話を聞かせてくれないか?」
エズィールは、魔王の復活と、なぜ今ここにいるのかを彼らに伝えたのである。
シャーデがその時語り出した。
「これはこの国に伝わる伝説…いや、噂の一つなのだけれど、過去にストリゴイを放ってこの国を混乱に陥れた謎の組織があったの…」
シャーデはストリゴイが大量に現れ、神聖ナナウィアの存亡の危機を招いた事件があったことを伝えた。それはかつてサンボラが神聖ナナウィア帝国にいた時代の話であった。シャーデは、その時まだ子供であったそうだが、親やまわりの人たちの噂を耳にしたのだという。
その謎の組織は、古来からの邪神を信仰の対象とし、時折り不気味な儀式などをして住民から忌み嫌われていたが、ストリゴイの集団が現れた時に、その出所がそこであったのが発覚したのだという。
「たしか、その組織の名前は“エニグマ“…」
エズィールは、その名前を聞いて目を開いた。
「エニグマだと!?」
フリンはエズィールを見た。
「何なのさ?そのエニなんとかって…」
エズィールはゆっくりと口を開いた。
「それはかつて魔王が名乗っていた名前の一つだ…」
「な、何だと!?ではその組織は魔王と深く関係しているのでは…」
「ランディー伯爵がヴァンパイアにされたことにも繋がってくるかもしれんの…」
シイルは、改めてフリンたちに話した。
「いずれにせよ、この国はヴァンパイアの手によってこんな有様になってしまった。クァン・トゥーの英雄隊の皆よ。そしてエルフのドラゴン、エズィール殿。どうか我々に力を貸して欲しい!」
シイルはそう言うと、フリンたちの前で跪(ひざまず)いた。シャーデやまわりのレジスタンスの人間たちもその場で跪き、胸に手を当てたのである。
「にゃにゃっ!?」
フリンは困惑している。その時、エズィールがゆっくりと話し出した。
「実は先程の話だが…我々もどうかそなたらに力を貸して欲しいのだ」
シイルは顔を上げた。
「どうか、そなたらと共に土の民を救い出したい。北の収容所に入れられておるそうだ。魔王封印するには彼らの力が必要なのだ」
シイルはゆっくりと立ち上がって言った。
「なるほど、確かにエズィール殿の言う通り、これはもはや我が国だけの問題ではないな。魔王の影響が深く関わっているかもしれん!いいだろう!我々もそなたらに手を貸そう!」
シャーデは立ち上がり、フリンたちに話しかけた。
「では、双方協力体制を取りましょう!二手に分かれるのよ!」
シャーデの提案により、レジスタンスとフリンたちを二手に分けての作戦が練られた。
一つは、ランディー伯爵の暗殺及び、アラヤ王とハンネ妃の救出。この部隊にはフリン、フルシアン、シイル、サンボラを中心に構成された。
そしてもう一つ、北の収容所にて土の民の救出である。そこには、アントニー、シャーデ、エズィールを中心に部隊が構成されたのである。
事態は一刻を争う。幽閉されているハンネ妃も、北の収容所に収監されている土の民たちも、いつ殺されるか分からないからである。
シイルは、この作戦名を、神聖ナナウィア帝国の言葉で“希望の砦“という意味の「ガンマ・レイ」と名付け、入念な作戦が練られたのである。
ーそして、作戦決行の日を迎えたのであった。
魔王の群勢が再び襲来するであろう残りの期間は、およそ残り14日間である。
この日は、サーバス王国にガラたちが到着する前の日であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます