*第四章 恋をした竜人の子

第一話

 どうやら自分は、何かがおかしくなってしまっているらしい。一晩考えてハノが至った考えはそれだった。

 どうしたらいいのだろう……昨日までの騒がしい感情は落ち着きはしたものの、自分の状態に戸惑う気持ちに変わりはない。病気だろうか? という疑問はありつつも、心のどこかでそれは違う、と言い切っている自分もいる。その自分は、なんだかいままでに見たことがない姿をしているようなのだ。

 これって一体――そう寝台の上で昨夜から引き続き掛布を被ってうずくまっていると、部屋の扉がノックされ、開いた。


「ハノ? 具合はどうだ? 昨夜は眠れたか?」


 部屋に入って来たのはライナーで、温められた牛乳の入ったカップを手にしている。ふわりと甘くやわらかいにおいにハノの気持ちが穏やかに撫でられていく。

 それにいざなわれるように掛布から顔を出すと、ちょうどライナーが寝台の縁に腰を下ろすところだった。


「湖で泳いで体が冷えたか? 竜人は人間より丈夫だと聞いていたから油断していたな……」


 そう言いながらライナーからカップを差し出され、ハノは恐る恐る受け取ってそっとひと口飲む。やわらかく甘い味が、昨夜から何も口にしていない体に染み入っていく。

 ホッと息を吐いてもうひと口飲んでいるハノに、ライナーはすまなそうに呟いた。


「昨夜は一緒に寝てやれなかったけれど、だいじょうぶだったか? 具合が悪そうだから添い寝をしてやろうと思ったんだが、ロートがやめておけってうるさくてな……」


 ライナーはそう不服そうな顔をして言い、ため息をつく。昨夜ずっと考え事をしていて気づかなかったが、そう言えばハノは初めて一人で眠ったようだ。

 自分のせいで、ライナーがいつもと違う寝床で休まなくてはならなかったのかと思うと申し訳なくなり、ハノは「ごめんね」とうな垂れる。その頭を、あたたかなライナーの手が触れた。


「気にするな。たまにはのびのび寝台を占領できてよく眠れただろう? 昨日より顔色も良さそうだし」


 そう顔を覗き込んで微笑むライナーの深い色の瞳に、ハノが映し出されている。昨日の服のままで惚けて無防備な自分の姿に、ハノは今更に恥ずかしさを覚えた。


「そ、そんなことない。ライナーがいなくて……寝台が広すぎたよ」

「そうか? 君はまだやっぱり甘えん坊だな」


 そう苦笑しながら撫でられている頭や襟足の辺りが、ほんのりと熱い。そこからライナーの体温が伝わってくるようで、また心臓が騒がしくなる。ああやっぱり、自分は彼といるとヘンになってしまう。

 どうしたらいいんだろう……そう、うつむいていると、急にハノのお腹が大きな音を立てた。すきっ腹に温かい牛乳を飲んだせいで食欲が刺激されたのかもしれない。

 あまりに大きな音でハノもライナーも目を丸くして見つめ合う。そうしてどちらからともなく吹き出し、笑いだしていた。


「そう言えば何も食べていないままだったな。俺も朝食はまだなんだ。一緒に作るか?」


 いままでであれば、作ってやるから一緒に食べよう、という感じの誘いばかりだったが、今日は初めて一緒に作ろうと言われた。手伝いをしてくれでもなく、一緒にやろう、と。

 まるで見えない手を差し出されたかのような晴れやかに気持ちに、ハノはうつむいていた顔をあげて輝かせ、大きくうなずいた。


「うん、一緒に作りたい!」


 ハノの返事にライナーもまた嬉しそうにうなずき、「よし、じゃあ厨房へ行こう」と共に寝台を降りた。部屋を出て並んで歩く屋敷の廊下はいつもと変わらず静かで、窓の外の小鳥のさえずりが響く。見慣れた景色の中に見慣れた彼の後ろ姿があり、それがなんだかとても嬉しくて仕方なく、やけにキラキラして見えた。



 朝食を作るにあたり、手があった方がいいのではないかと思い、ロートにも声をかけたのだが、あっさりと断られてしまった。


「私は料理が不得手でね。食べる専門だ。出来上がったら起こしておくれ」


 などと部屋の扉越しに言われてしまい、その後もノックをして誘ってみたが返事はなかったので厨房には二人で向かう。


「さーて、あの図々しい不届き者の分まで作らなきゃならんのは腹立たしいが……味に文句は言わせないでおこうな、ハノ」


 ライナーとロートは性格が正反対で、頻繁に衝突……と言うか、ライナーが苛立ってロートに苦言を呈することがある。しかしそれでもどちらかが屋敷を出て行くことなく同居生活が続いているのは、ロートの何事にも飄々とした態度を取る姿勢にあるのかもしれない。そうハノは思い、苦笑する。


(何のかんの言っても、ライナーもロートを嫌っていないんだよなぁ)


 そんな大人二人の絶妙な関係を羨ましく思う反面、自分とライナーとの関係を振り返り、ハノは野菜を洗う手が停まる。

 ライナーにとって、やはり自分は幼いままでしかないんだろうか、とも。昨日の湖できれいだとか裸体を見て慌てられたりとかしたものの、結局一晩立てば幼い頃と同じ対応になっている気もする。変わらない安心がありはするものの、いつまでも子ども扱いでいたいわけではない矛盾した気持ちがある。


(なにより、なんかライナーの近くに行くと、心臓がうるさいんだよな……やっぱり、僕は病気なのかな?)


 病気かどうかの判断をどこでどうしたらいいのか、ハノにはわからない。父の蔵書を見てもそれが正解だとは思えないし、なによりここには医者がいないのだから。


「……ロートなら、わかるのかなぁ」

「あの魔法使いがどうしたって?」


 考え事が口をついてしまい、それが独り言になっていた。不意にライナーに声を掛けられてハッと我に返ると、ハノが洗った野菜を手にしたライナーが苦笑してこちらを見ている。


「なにか気になることでもあるのか? 俺でよければ答えるぞ」

「あ、うん……えっと……」


 気になることは、たくさんある。どうしてライナーといると心臓が騒がしくなるのか、恥ずかし思う気持ちが突然湧くのか、子ども扱いされるのがイヤなのに、変わらない態度に安心したりするのか。

 聞きたい言葉が喉の奥に詰まって、上手く出てこない。野菜は泥を落としてピカピカになっているのに、置けの中から野菜を持つ手をあげられないでうつむいてばかりだ。

 散々考え抜いた挙げ句、ハノは小さな声でようやくぽつりと尋ねた。


「えっと……朝食、何作ろうかな、って思って……」


 些細でどうでもいいとさえ思える言葉に、ライナーは優しく微笑み、「そうだな、何がいいだろう」と一緒に考えてくれる。

 いつだってライナーは、ハノの言葉を無下にはしない。子ども扱いをして口煩くなることはあっても、冷たい態度もとらず、正面から向き合ってくれる。その誠実さがハノにはとても嬉しく、彼に無意識に惹かれていくのだ。


「野菜のミルクのスープと、パンはどうかな」

「ああ、いいな。食糧庫にまだ塩漬けの肉があったと思うから、それも入れよう」


 それならあの図々しやつに文句を言わせないだろう、とライナーが笑い、ハノも嬉しそうに微笑んでうなずく。

 そうしてまずはパン作りから始め、二人で粉をこねたり成形したりして窯で焼く。その間に野菜や肉を刻み、ミルクで煮込み、スープを作っていった。


「ハノ、鍋の火加減を見てくれ」

「うん、ちょうどいいよ」

「ああ、いいにおいがしてきたな……そろそろ窯からパンを出すか」

「僕がやるよ。ライナーはお皿出して」


 ハノが率先して力仕事を引き受けたり、微調整の必要な作業をやったりしていると、ライナーがふわりと微笑みを向けてくる気がした。まるで眩しそう見つめられ、なんだか照れ臭い。


「……なに?」

「ハノも随分大人になったなと思ってさ」

「そ、そりゃ僕は人間で言えば十八だし……」

「それもだけど、何だろうな……仕草とか振る舞いとか。そういうのが随分大人っぽくなったなと思ってさ」

「そ、そうかな……」

「このパンだってよくできてる。美味そうだ」


 そう言って天板の上に並ぶパンを指して微笑むライナーに、ハノもまた微笑んでうなずく。


「誰かと共にする食事を丁寧に作れるということは、一緒に食べる相手を想っているということだ。それは優しさと思いやりの欠片が入っているとも言える」

「優しさと思いやりの欠片……」

「そういうのは、心もきちんと大人になっていないと出てこない者だと、俺は思う」


 ライナーの言葉にハノが天板に並ぶ自作のパンを見つめる。意識をして作ったわけではないが、そう言われると一層美味しそうに見えてくるし、心なしか誇らしげにも思えた。

 まっすぐにハノを見据えて告げられるライナーの言葉が、目の前のパンのようにハノの胸の奥でほこほことぬくもりを放っている。


「さて、料理もできたし、そろそろロートを呼んでこようか」

「うん」


 微笑み合い二人揃ってロートの部屋へと向かう。途中ぽつぽつと他愛ないことをしゃべり、窓の外の鳥を眺める。そうしているひと時を、ハノはずっと続けばいいと思いながらゆっくりと歩く。

 静かで二人しかいない明るい空間の中、ハノはかけがえがない瞬間を噛み締めていた。



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