第五話

 ハノがひとりきりだと心配だからと、ライナーは出会った日から一緒に寝てくれている。一つの大人用の寝台に、寄り添い合うようにして。

 ライナーと一緒に寝ていると、ハノは怖い事を思い出さずに済んだ。そっと抱くように回された腕の重さもぬくもりも心地よく、程よい眠りをいざなってくれるからだ。

 ただ時々、とろりとした眠りが破られてしまうことがあった。


「……ッは、ッはぁ……ああ……許し、てくれ……もうしない……許して……」


 夜も更け、眠りの中を漂うのを、不意にそんな声で破られることがある。それはたいてい、月も出ていない真っ暗な新月の夜だった。

 声はハノと寄り添うように眠っているライナーから聞こえてくる。抱かれるように巻かれている腕がほどけていて、そっとハノが身を起こすと、ライナーが苦しみうなされている姿があった。


「もうしない! 俺が悪かった! 許して……許して、くれ……!」


 数日に一度、特に月がない夜は特にライナーはこうしてうわ言を言ってうなされることがある。暗い中空に腕を彷徨さまよわせている姿は、何者かから逃げようとしているようでもあるし、助けを求めているようでもある。いずれにせよ、放っておくことが難しいほどに苦しんでいるのだ。


「ライナー。ライナー、大丈夫?」

「ッうぅ、あぁ……許し……て……」


 苦痛に歪むライナーの眉間には深く皺が刻まれ、閉じたままの目はしかめられて一層苦し気だ。息を吸うことも吐くことも儘ならない様子に、ハノの不安も煽られていく。

 ライナーはいつも、ハノが両親や家族を思い出して涙をすれば抱きしめてくれるし、優しい言葉をかけて慰めてくれる。その腕の中はあたたかで、亡き父や母を思い出させる。きゅっと胸が締め付けられるほどに苦しくなっても、ライナーの腕に抱かれて背を撫でられれば、ゆっくりと呼吸が楽になっていくのだ。

 だからハノもライナーの呼吸が楽になればと思うのだが、生憎ハノの腕は小さく、大人であるライナーを抱きしめるには足らない。懸命に腕を伸ばして抱きしめようとしても、うなされてもがく彼に振りほどかれてしまう。

 抱きしめられなければ、どうすればいいのだろう。ハノは懸命に考え、恐る恐る脂汗のにじむライナーの額を撫でた。べたりとする汗ではあったが、不快とは思わなかった。

 手のひらだけでは足らないので、ハノはシャツの袖口でもう一度ライナーの額、頬などを拭う。そうしてハノは、ライナーにいつもしてもらっているようにうなされて荒く上下する胸元をやさしく叩いた。


「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、ライナー。ライナーは何も悪くないよ」


 彼が何を許されたがっているのかは、ハノにはわからない。でも少なくとも、ここにいる彼が悪いことを――例えばあの賊たちがしたようなことを――する者でないことは、ハノが誰よりも知っている。ハノが一番悲しくて苦しい時、いつも傍にいてくれるのは彼でなのだから。

 ならば、いまは自分がライナーに寄り添うべきじゃないだろうか。でもどうすれば……考え悩んだ末、ハノはまだ少し汗ばむ額と頬を撫で、もう一度囁いた。


「だいじょうぶだよ、ライナー……怖くないよ」


 ずっと前、まだ生きていた母や乳母のニーナがしてくれたように、ライナーに触れ、撫でる。その内に段々とライナーの呼吸が緩やかになっていき、落ち着いてきた。

 このままゆっくり眠ってくれれば……と、ハノがそっと息を吐くと、「……ハノ?」と、小さな声に呼ばれた。見れば薄目を開けてこちらを見上げているライナーと目が合った。

 ライナーはハノが自分の頭を撫でてくれていることに気付き、バツが悪そうに顔をしかめる。


「……悪い、起こしてしまったな」


 そう呟くように言いながらライナーは体を起こし、大きく息を吐く。その横顔は暗がりでも沈んでいるのがわかるほどだ。


「怖い夢、見たの?」


 ハノが尋ねると、ライナーは一瞬沈黙し、「……そうかもしれないな」と、ため息交じりに答えた。


「怖い夢……と言うか、怖い記憶、だな……」

「怖い記憶?」

「ああ……俺がやってしまった悪い事……罪の記憶だ」


 ライナーはここに来る前、国境の集落を調査の名の許に襲撃し、人々を襲ったことがあると言っていた。その蛮行に耐えられなくなり、脱走兵となっていまここにいるのだが、時折その当時の記憶がよみがえり、うなされるらしい。それは大体真っ暗な夜の更けた頃が多く、いつも苦し気にしている。


「命じられるままに殴ったやつらから殴られたり、吊し上げられたりする……そんな夢だ」

「……ツラい?」

「ツラい、か……いや、これは俺が背負うべき罰なんだろうから、そういうことは言えないな」

「どうして?」

「どうしても何も、俺は悪い事をしたんだから、罰を受ける。それだけのことだ」


 そうハノの言葉に返すライナーのひっそりとした笑みは悲し気で、泣いているようにも見える。泣かないで、と言いそうになるほど痛みのにじむ顔だ。

 ハノはその笑みがまるで自分にも刺さるようで苦しくなり、涙がにじみそうになった。自分のことではないのに、自分のことのように、それ以上に、ライナーが無理に笑おうとしているのが悲しくてツラい。

 だからなのか、ハノは無意識に手を伸ばし、うな垂れているライナーの頭を抱きしめていた。


「……ハノ? どうした?」

「……じょぶ、だよ、ライナー……僕が、いるからね」

「ハノ? 泣いてるのか?」


 自分が泣いたところで、ライナーのツラい記憶が変わるわけでも癒えるわけでもない。ましてや犯した罪がゆるされるわけでもない。それぐらい、幼いハノにもわかっている。罪を犯したら罰を受ける。それは生きていくうえで絶対に事であることも、知っている。

 だけどどうしても、ハノはライナーを赦したい気持ちでいっぱいになり、想いが目からあふれそうになっていた。言葉にしようにも口を開けば涙になってしまいそうで、ただただ彼を抱きしめるしかできない。いつもハノを慰めてくれる彼に同じことをしたいのに、どうしたらいいかがわからない。わからないから、やはりこうするしかないのだ。

 小さな腕の中でライナーは最初こそ戸惑っていたが、ハノがあまりにきつく抱きしめて放さないからか、観念したように力を抜き、そっと背に腕を回してきた。


「……ありがとな、ハノ」

「……うん」


 そうしている内に二人はまた寝台に抱き合うような形で横になり、そのまま眠りに落ちていった。寄り添うようにして眠りに落ちていったせいか、その夜は随分と穏やかな眠りだった気がする。



 ハノが目を覚ますと、珍しくライナーはまだ眠っていた。兵役の頃のクセで深く眠ることがあまりないといつも言っていて、ハノが目覚めるのを待っていることが多いのに。

 もしかして、具合でも悪いのだろうか……一瞬そんな不安が過ぎり、ハノは恐る恐る名を呼ぶ。


「……ライナー?」


 緊張した声でそっと呼ぶと、ライナーは少し間を置いてゆっくりと目を開けた。ハノの姿を目にすると、穏やかに、そしていつも通り微笑んでハノの頬に手を伸ばしてくる。


「……おはよう、ハノ。昨夜は悪かったな」


 掠れているがいつもと変わりない様子の声に、ハノはホッと安堵するとともに、不安だった気持ちと緊張していた体の力が抜けていく。その途端にぽろぽろと涙がこぼれ始め、ハノは慌てて目元を拭う。


「あれ、何だろ……涙、出てきちゃう……」

「ハノ……」

「ごめ……なんか、ライナーが起きてくれたの、嬉しくて……」


 取り繕うように笑おうとしても、涙が止まる気配はなく、ハノはシャツの袖でグイグイと乱暴に目元を拭う。涙なんていくらでも見せてきたはずなのに、なんだか今日はとても恥ずかしく思えてしまう。いつものようにライナーが目覚めてくれたことが嬉しくて、ホッとして、そのままを伝えただけなのに、泣いてしまうなんて。

 照れ臭いような恥ずかしいような思いでうつむいていると、ライナーがそっと頭を撫でてくれた。顔をあげると、昨夜も苦しげな表情など影もない、元気そうに微笑む顔がこちらを見ている。


「ハノのお陰で、怖い気持ちが和らいだよ」

「……本当に?」

「ああ。ハノがやさしく抱きしめてくれたから、苦しくなかった」


 ありがとな、と言いながらハノの目元を拭ってくれる指先はあたたかで、今日もライナーがハノの傍にいることを実感させてくれる。それだけのことが、とても嬉しくてハノは涙目のまま微笑み返す。

 ライナーはその表情を眩しいものを見るように見つめ、やがて指先を話していく。


「さて、朝食を作って食べるとするか」

「うん、そうだね」


 どことなくまだ名残惜しそうな気配をライナーから感じながら、しかしどうしてそう感じるのかがわからないまま、ハノは寝台をゆっくりと降りていった。



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