第6話

 あれから何年経っただろう。俺はまだ、あのメールが忘れられない。大学四年の春、内定をもらえるはずだった中央テレビから、突然、取り消しの連絡が届いた。理由の記載もなかった。単位は無事に取れていた。

 思い当たるのは、あれだ......。


 テレビ局が、事実から目を背けてどうすんだよ。


 正しいことを発信したつもりだった。なのに、それが「内定に関わる事案」だったなんて......。その時は、考えもしなかった。


 インターンでお世話になった先輩から連絡があった。

「なあ真帆、残念だけど、この前のブログのあれさ......」

 話があるまで「そんなの嘘だろ」って思っていた。でも、あの発信が内定を不意にしたんだってはっきり聞いた。俺は後悔なんてしていない。そんな発信もできない会社に入ったところで、窮屈に決まってる。


 そして俺は、名古屋のケーブルTV局に就職することになった。だから、俺は徹底的に世の中の悪を暴いてやろうと思っている。特に、市民の善意を裏切るような案件にはアンテナが高い。少しでもひっかかることがあれば、取材を申し込むようにしている。これは──「仕事の勘」ってやつだ。


 ある時、俺を落とした中央テレビのイブニングニュースに、ふと目が止まった。

「ゼロ番地のポスト 投函した届かない手紙に返事が!」

「戦争で死んだ夫から返事が届く」

 どういうことだよ! スピリチュアルか? 

 笑わせんなよ。胡散臭い話を取り上げて、善良な市民が信じちまったら、どうすんだ?


 令和の時代に「インチキ商売」やってるんじゃないか? そう直感した。

 だったら、俺が暴いてやる。あのポストの「正体」ってやつをさ。俺を落とそうとしたこのテレビ局への、復讐も兼ねて。


 なのに、何度メールをしても、ポストの所在地の「杜の町」商工観光課から返信は来なかった。焦り始めた時、後輩がこの町出身だと思い出した。その後輩とは疎遠になっていたんだが......。二、三日迷った末、意を決して天野明生に久しぶりに電話をしたんだ。彼は、大学当時と変わらない屈託のない話しぶりで、俺は久しぶりに思い出した。


 アイツといると、俺は、自分を見失ってしまう。明生と話をするだけで、自分の横島な気持ちが浮かび上がってくるからだ。

 明生は、人の気持ちの「明」を読み解き、俺は、人の気持ちの「暗」を呼び覚ます。


「三浦さん、何か進展あったんですか?」

「おっ、何でわかるの? ちょうどいいところに」

 事務所に入って来た深沢は、俺の隣の席でノートPCを開いた。

「メールは来てないぞ!」


「ええっ? せっかく連絡付いたと思ったのに、残念です」

「メールは来てないけど、電話が来た」

「あっ、そうなんですか? 早く教えてくださいよ」

 深沢は、唇をとがらせた。

「来週の月曜日に取材に行く。ちょっと遠いから早朝の出発になる」

「ひょっとして車?」

「決まってるだろ。機材もあるんだし、車でしか行けない」

「じゃあ、月曜日の夜から宿を二部屋、取っておきますね」

「頼む!」


 取材用のカメラを準備している俺の背中に向かって、深沢が叫んだ。

「来ましたよ! 例の人の返信」

「あの、『ゼロ番地のポスト』に投函して返事をもらったおばあさんか?」

「ええ、取材にお越し下さいって。えっと先方の都合のいい日時は......明日ですって」

「万障繰り合わせても行かないとな」

「三浦さん、そこまで忙しくないじゃないですか」

「深沢!」

「冗談ですって」


 俺は、他の場所にも取材交渉を始めた。

「もしもし、中央テレビ報道部さんですか? あのニュースの件で、お話を伺えないかと思いまして......」

「その件の取材はお断りしています。番組方針に基づいて構成された報道内容で、事実に基づいています」

 名乗ってもいないのに、相手は溜息交じりに言った。乾いた音で電話が切れた。


「舐めてるな」

 落とされた相手に、今さら頭下げるのもシャクだ。ま、中央テレビに取材なんかしなくたって、脇を固めてやるよ。


「じゃ、俺は『杜の町』のアンテナショップに取材に行ってくる」

「三浦さん、どうしたんですか? まるで『杜の町』に取り憑かれてますよ」

「逆だよ、逆! 俺が『杜の町』に取り憑いてんの」

「はあ......。そういうことにしておきましょうか」

 深沢と話してると、ホントに調子が狂う。なんだかアイツの口車に乗せられてる。


 車で三十分の郊外にその店はあった。「杜の町」アンテナショップの看板が見えた。俺は、駐車場に車を停め、早速「杜の町 交流ステーション」というブースに入った。


 トウモロコシのスープに、トウモロコシソフトの試食が並んでいる。真夏日の移動で暑くてたまらなかった俺は、迷わず、トウモロコシソフトを試食することにした。ミルクの風味に、とうもろこしの甘さがほんのり効いている。後から追い掛けてくるような淡い味わいに、鼻に抜けるトウモロコシの香り。


 思った以上に美味しく仕上がっている。文句の付けようがなかった。トウモロコシソフトを舐めながら、壁のポスターに目をやると「『ゼロ番地のポスト』を知っていますか?」と記されている。ポスター中央の写真に写っているのは手紙を投函したことのある小さな女の子だった。


 そのポスターの下には、その女の子が「母親からの返事と信じている手紙」のコピーが置かれていた。

「よかったら、御説明しましょうか?」

 振り返ると、やわらかい雰囲気の店員だった。

「この子、去年の春にね、お母さんを亡くしてね。それからずっと手紙を書き続けていて、やっとゼロ番地のポストに投函する番が巡ってきたんです」


「投函する番? って何?」

「今は、投函したい人が多くて、人数制限をさせて頂いてるんですよ」

 インチキの匂い発見だ。「ふざけんなよ」って言いそうになる自分をどうにか押さえている。

 俺はそこにあった「亡くなった母親から幼い我が子へ届いた」とされる手紙を読んだ。


***


かなちゃんへ


おたんじょうびのケーキを買って帰れなくて、ごめんね。

ずっと、ずっと、ママとケーキをまっていてくれたとしって、なみだがでました。

あのひ、ケーキやさんからかえるとちゅうで

ママはこうつうじこにあってしまいました。

かなちゃんとおなじくらいのおんなのこも、

なくなってしまったの。

ママがかなちゃんにしてほしいことは、

たったひとつです。

「しあわせになること」

だから、ママは、かなちゃんのこころのなかにすむことにしました。

いつもいっしょだよ。

そのしょうこに、かなちゃんは、

にがてだったトマトをたべられるようになっているはずです。だから、たべてみて。

トマトはママのだいこうぶつ。

それをかなちゃんがたべることができたら、

かなちゃんはママといっしょにいるってことなの。

いつもあなたのことを みまもっています。


だいすきです ママより


***


 俺は不覚にも、この手紙を読んで、うるっときそうになった。そんな訳、ないじゃないか。死んだ人から、手紙なんて届く訳がない。そこにあったベンチに腰掛けて、ただ呆然としていた。放心状態と言ってもいい。

 なんだ、この感情は。

 かなちゃんは、本当にいるのか?


「お客様、『杜の町』緑茶をお持ちしました。よく冷えていますからぜひお飲みください」

 先ほどの店員が用意してくれた緑茶は、深々とした緑色で、渋みを感じる良い香りがした。冷たさも心地良く、緑茶は俺の乾いた心を潤してくれるようだった。


「あの、このかなちゃんっていう女の子は本当にいるんですか?」

「はい、もちろんですよ。ネットで検索するとかなちゃんの現在の様子もわかります」

 店員がタブレット端末で見せてくれたのは、あどけない表情の女の子だった。まだ四・五歳に見える。俺は妹の子供を思い浮かべた。姪っこは今度小学校に入学する。姪っこよりも小さい。こんな幼い我が子を残して逝ってしまった母親の気持ちを想像したらたまらなかった。


 この日、俺は家に帰って、もう一度「杜の町 ゼロ番地のポスト」で検索をした。出てくる話は皆、一様に「美談」として取り上げられている。俺は、やっぱり疑うしかなかった。不思議な夢を見たような気持ちで眠りに就いた。



 翌朝は、事務所に行かず、直接、取材をすることになっていた。市営住宅の一角にその老婦人の自宅はあった。呼び鈴を鳴らすと、中から声がして、すぐに玄関のドアが開いた。


「ごめんなさいね、わざわざ自宅まで来ていただいて。足が悪くてね、あまり遠くへは行けないのよ」

 七十代だろうか? 部屋へ案内された。居間にはローテーブルが置かれ、座布団を勧められた。老婦人は、台所から湯飲みと急須を運んで来た。

「私のところにお客様が来たのは何年ぶりかしら。もう十年くらい誰も来ていないの」


 老婦人の声には、客人を迎えた嬉しさが滲み出ていた。急須に、ポットのお湯を注ぎ、緑茶を淹れてくれた。

「どうぞ、これは『杜の町』緑茶です」

 俺は、アンテナショップでのことを思い出した。前は冷たい緑茶だった。熱い緑茶を飲むと、深い香りで頭が冴え渡るような気持ちになる。

「『ゼロ番地のポスト』の話を聞かせて頂けると聞いてありがたいです」

 社交辞令的な言葉が、するすると出てきた。


「主人は、もう三十年前に亡くなったんです。......でもね、『ゼロ番地のポスト』に手紙を書いたら、返事が届いたんですよ」

「それは......誰から、ですか?」

「私もね、亡くなった人から手紙が届くわけがないっていうのはわかっているのよ。でも、主人以外には考えられない」


 老婦人は、机の引き出しから大切そうに手紙を取り出した。そこに綴られた筆跡は、彼女が見せてくれた生前の夫の手帳の文字と、ピタリと符号している。

「そんな、馬鹿な!」

 そう呟いた俺に、老婦人は、ただ微笑んだだけだった。

「どうして?」

「私にもわからないんです。この手紙を信じることしかできなくて」

 俺はこれまで科学で証明できるものしか信じてこなかった。だが、これは説明できない。『ゼロ番地のポスト』から届いた返事には、昨年の夏の消印がある。誰かが、成り代わって作ったようなものではなかった。


 気付いたら俺は、老婦人に身の上話をしていた......。

 取材していたはずだった俺が、いつの間にか語っていた。ずっと誰かに聞いてほしかったのかもしれない。俺らしくもない。


 だけど、このポストの話。何なんだ? 真実がどこにあるのか、知れば知るほどわからなくなる。


 老婦人の自宅を後にする時、目元には、微かな光が揺れていた。

「もしかして、ポストのこと疑っておられるかもしれませんね。でも、それでもいいんです。わたしにとって、本当に必要な言葉をもらえたんですもの」

 ゼロ番地のポストという迷宮に、俺は迷い込んでしまいそうだった。


 月曜日の早朝、俺と深沢は機材を車に積み込んで「杜の町」へと向かった。車窓から見える景色は、商業施設の並ぶ街並みから、どこまでも続く山間地の山々に変わっていた。車で三時間ほどの場所にあるその町は、遠州の古都と呼ばれている。連なる山々の風景に包まれて、助手席の深沢は眠っていた。


「明生、元気そうだったな」

 ハンドルを握りながら、俺は、昨日の電話を思い出していた。

「真帆先輩、宿が素泊まりになってましたけど、こちらでサービスしますから是非『杜の町』の旬を召し上がってください」

 やっぱり明生って変わってねえな。気遣いができる奴だ! 


 いつしか、「杜の町」に入っていた。この町は、深い森の中にある。俺はその迷宮に、どうやら迷い込んでしまったようだ。 










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