第1話「雪の郷、薬草の香り」
朝から雪は止む気配がなかった。
窓の外、村は白い毛布にすっかり呑まれて、煙突だけが細い糸のように空へ立っている。
薬草小屋の中も冷たい。煎じた薬草の湯気がようやく指先の感覚を取り戻させてくれる。
干しておいた葉を刻みながら、私は自分の吐く息が白いのを見つめる。
鏡に視線を向けると淡いブラウンの瞳と、髪の少女と目が合った。
薬師見習いになって三年、冬の仕込みはもう慣れたはずなのに、寒さだけは慣れない。
薬草の匂いに紛れて、どこか金属のような、血のような匂いが鼻先をかすめる気がするのは、気のせいだろうか。
戸を開ける音。
雪の反射光と一緒に、白い髪がふわりと揺れた。
「相変わらず、いい匂いね。ここだけ春みたい」
イヴァだ。真っ白なボブヘアに、黒い瞳。
雪の中に立つと、まるで絵本の一場面みたいで目を奪われる。
彼女はいつも、薬草を取りに来るついでに私をからかいにくる。
今日も両手に包みを下げて、わざとらしくくんくんと匂いを嗅いでいる。
「春どころか、手足が凍って動かないけどね」
「その割に指はよく動くじゃない。見習いは板についてきた?」
「板についてるかどうかは師匠に聞いてよ」
軽口を返しながら、私は刻んだ葉を袋に詰める。
イヴァは棚の上の瓶をのぞき込み、指先で薬草をくるりと転がした。
「こういう葉っぱ、絵の具にしたら面白そうね」
「飲むための薬草で遊ばないで」
ふっと笑う彼女の横顔に、雪明かりが柔らかく反射する。
胸の奥が少しだけあたたかくなるのを、私は薬草の湯気のせいにしておいた。
外は今日も騒がしい。
村の広場では、祈祷師イェナが護符を配って歩いているのが見えた。
年配の猟師ルークは、村の男たちと何やら深刻そうに話し込んでいる。
「家畜がやられたって、本当?」
私が小声で尋ねると、イヴァは肩をすくめた。
「さあ。獣の噛み跡だとか、山から何か下りてきたとか、いろんな噂があるけど」
「ルークさんの顔、やけにこわばってた」
「冬は誰だって顔がこわばるわ。寒いからね」
そう言ってイヴァは笑った。
けれどその笑いは、どこか遠くを見ているようで、私には読めなかった。
薬草の束を渡すと、彼女は「ありがと」と短く言って立ち上がった。
白い髪に、乾いた薬草の香りがうっすら残る。
「ねえ、ティナ」
「なに?」
「あなたって、冬の花みたい。冷たそうで、ちゃんと生きてる」
唐突な言葉に返す言葉が見つからず、私は黙ってしまう。イヴァは満足そうに笑って、ドアを開け、雪の中に溶けていった。
窓の外、彼女の後ろ姿を見送る。
白い世界のなかで、白い髪だけが奇妙に浮かんでいる。
雪の下には、何が眠っているのかしら――
そんなことを思いながら、私は薬草の煎じ薬をかき混ぜ続けた。
外の風の音が、ひときわ大きく耳を打った。
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