第4話 混乱の工房

翌日。

ベートーヴェンの部屋は、戦場の後のようだった。

机の上にはインクの染みだらけの楽譜が散乱し、床には破り捨てられた紙が積もっている。

弟子たちは顔を見合わせてため息をつき、椅子に腰かけていた一人がぼそりと呟いた。


「先生、昨夜どこに行ってらしたんですか。帰ってきてからずっと興奮して、寝ても覚めても譜面を書き直して……」


ベートーヴェンは眼鏡をかけ直し、机に叩きつけるようにペンを走らせていた。

「黙れ!お前は聞かなかったのか!?あのスウェーデンの青年が“Wake Me Up”と歌い上げ、市民を熱狂の渦に包み込んだのを!」


弟子たちは顔を見合わせた。

「スウェーデンの……青年?」

「Wake……何ですか?」


「うるさい!」ベートーヴェンは譜面台を叩いた。

「いいから歌え!この部分だ!“兄弟よ〜”と!」


「いやいや先生、その音程は……ええと……」


「いいからやれ!これは合唱だ!市民の声をひとつに束ねるんだ!スクリレックスがあれほど見せつけたではないか!」


弟子たちはお互いを見て肩をすくめ、恐る恐る声を合わせた。

「スクリ……レックス……?」

「……兄弟よ〜」


「ちがーう!」ベートーヴェンは譜面を丸めて投げた。

「もっと魂を込めろ!床を揺らすつもりで腹から叫べ!昨日のあのワブルベースのようにな!」


弟子の一人がぼやいた。

「先生……“ワブルベース”って何ですか?」


「知らん!だがとにかくすごいのだ!地鳴りのように腹の底まで響く重低音だ!千台のコントラバスで大地を揺さぶるようにな!」


楽団員が恐る恐る手を挙げた。

「先生、この譜面に“ブレイクダウン”と書いてあるんですが……これは何ですか?」


「それはな!」ベートーヴェンは胸を張った。

「音を一度止めて、全員が“来るぞ来るぞ”と身を構えるのだ!そして一斉にドォン!と爆発する!昨日の群衆はこれで狂喜乱舞したぞ!」


「……ドォン?」


「そうだ! お前たちのティンパニでやれ!心臓を直撃するようにだ!」


もう一人が手を挙げる。

「それから先生、“アンコール”って……これは何語ですか?」


「知らん!だが市民が叫んでいた!つまり、もっとやれということだ!」


「……なるほど」


弟子たちは顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。

楽団員の一人が小声で「先生はついにおかしくなられたのでは」と囁いたが、ベートーヴェンの耳には届かない。


彼は譜面にペンを走らせながら、ぶつぶつと呟いていた。

「四つ打ち……ワブル……ドロップ……これだ、これを交響曲に取り込む……!わしにできぬはずがない!」


弟子の一人が思わず突っ込んだ。

「先生!それはもう交響曲じゃなくてクラブミュージックです!」


「ならばこう呼ぼう!」ベートーヴェンは高らかに叫んだ。

「交響曲第九番!“歓喜のアンセム”!」


弟子たちが口をあんぐり開ける中、ベートーヴェンの瞳は燃えていた。

昨夜、彼を揺り動かした重低音の震えは、もう消えていない。

譜面の上に、確かに新しい時代の響きが刻まれ始めていた。

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