反撃

 私たち一家が相澤の人形となり、家族ごっこをさせられることになった経緯。それを話し終えた父は両膝と手のひらを床に付き、私たちに向かって土下座をした。


「すまなかった……でもこうするしかなかったんだ……でなきゃ母さんも、仁美も、賢太郎も……」


 そこまで言ったところで父は咳き込む。彼の頭の真下には、涙と鼻水と唾液が混ざった小さな水溜まりができていた。


 きっと、相澤にもこんな風にみすぼらしく命乞いのちごいをしたのだろう。


 スマホから、ぱちぱちぱちぱち、という拍手の音が聞こえてくる。そしてすぐに相澤の低い声に切り変わった。


『良くできました。その後、塩尻一家をもう一度集めるために、哲也さんに手紙を書かせて、家族それぞれが住む家に送らせた。誰も、どこに住んでいるのか哲也さんに教えていなかったみたいだけど、君たちの住所を調べることなんて、僕なら呼吸するくらい簡単にできる』


 私の口から「まさか、そんな」という声が漏れた。力のない、震えた声だった。そんな弱々しい声では、相澤の発言を止めることなどできない。


『みんな、哲也さんを責めないであげてね。確かにすべては彼が蒔いた種だ。でも、もし彼が僕の言うことを聞かなければ、僕が肩代わりした八千万円を超える借金を、君たち家族の誰かが返すことになっていたんだよ。哲也さんは父親として、家族に尻拭いをさせたくなかったんだ。家族を大切に思うからこその判断だったのさ。……僕はお金を他人に貸したことが何度もあるけど、どんな方法を使ってでも全額返済させてきた。君たちが想像するようなことは、僕は全部現実にできる。それだけの力がある。返済できない場合どんな目に遭っていたかは……ご想像にお任せするよ』


 私たちが想像することは全部現実にできる……? だとしたら、こいつは怪物だ。人間の想像を具現化する怪物……。「そんなわけがない」と否定しようとした私に、相澤が言葉を被せる。


『僕にできないことはないよ。すべて思いのままなんだ。……あー、いや、訂正させてほしい。一つだけできないことがあった。死んだ人間をよみがえらせること。生前の写真や映像なんかのデータをAIに学習させて、その人物を擬似的に再現することはできる。けど、それは限りなく本物に近い偽物を作っただけだ。死者を蘇らせたわけじゃない。死んだ人間が元々の肉体のまま、元々の精神のまま復活してこそ蘇ったと言える。いろいろと試したけど、それだけは無理だったんだ』


 死んだ人間を蘇らせることはできない……。そんなこと改めて言われなくても、人類の長い歴史が証明している。一人の人間が持つ力だけで可能なものか。できないことのたとえとしては不適切だ。私はそんな、答えになっていない答えなど求めていない。


 再び否定しようとしたが、大袈裟に思える相澤の発言には裏付けとなる事実がある。父が作った膨大な借金を肩代わりした上で、数億円は下らない大きな家を東京都内に建て、家族四人を何不自由なく暮らさせていた。そんなことを道楽でできるだけの金を、相澤は持っているのだ。


 この家に来てから起きた不可解な出来事。おそらくそれらは、相澤が言う「力」を使ってできることの片鱗に過ぎないのだろう。それらを父の仕業だと思っていた間でさえ私は、「常識では不可能なことでも可能にしている」と感じていたのだ。相澤がその気になれば、本当に何でもできてしまう……。


 父の話にあった、私と母を風俗で働かせるということだって、こいつには朝飯前に違いない。そういうことをさせるための裏社会とのつながりもあるはずだ。


 見ず知らずの男に抱かれている自分を想像し、吐きそうになった。幸い、昨夜から食べ物を口にしていないので胃の中は空だ。何も出てこない。


 しかし、しっかりと朝食を食べた賢太郎は、腰を抜かして股間のあたりを吐瀉物としゃぶつで汚す。彼は借金返済のために腹を裂き、内臓を売り捌くという話をされていた。


 私と母は体をけがさらながらも生きられる可能性はあった。だが賢太郎は、理科の実験に使われるカエルのように切り刻まれ、どう転んでも死んでいただろう。それが相澤という怪物の力によって現実になっていたかもしれないとしたら……私以上にショックは大きいはずだ。


 土下座し続ける父。尻餅をついたまま立ち上がれない賢太郎。二人の間にいる母は曲げた膝を床に付いた姿勢。右手で口を押さえて声を出さずに泣いている。男二人よりは、まだ正気を保てているように見えた。


「母さんは……母さんは、父さんと相澤の関係を全部知ってたの?」


 私の問いかけに、無言でうなずく母。その直後、父と同じように腰を折り曲げ、頭を低く下げながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返した。


 母は、工場が倒産して自暴自棄になった父に愛想を尽かし、賢太郎とともに家を出た。父と結婚してから何十年も工場で働き続け、毎日家事をこなしてきた。子供も二人育て上げた。その努力をすべてぶち壊されたようなものだ。私と賢太郎以上に、父に対して強い憎しみを抱いていたはず。


 そんな母だが、この家に来てからは父に寄り添うことが多かった。それは、父が相澤と交わした約束を知っていたから……。幸せな家族を演じ続けなければ、自分も子供も陵辱りょうじょくされ、最悪の場合、命まで奪われてしまう。そんなことが現実にならないよう自分の憎しみを押し殺して、父とともに相澤の指示に従い続けてきた……。そうに違いない。


 今、両足で立っているのは私だけ。他の三人にその気力は残されていない。泣き崩れる彼らは、出荷される直前の豚のようだ。命の危機を感じているが、抵抗できず、鳴きわめくしかない。


 私が持ちこたえ続けなければ、この家族は正真正銘、相澤に乗っ取られてしまう。ただ、私の足はいつまでも保つわけではない。気を抜けば一瞬にして私も豚に成り下がる。


 そもそも私は、家族のことが大嫌いだ。崩壊してもいいと思ってきた。相澤の脅しに耐えてまで、この家族を「形だけでも自分たちだけの物」と思い続ける意味がどこにあるのか。つらい思いをしながら立ち続け、崖っぷちに追いやられた家族を落ちないよう支える必要がどこにあるのか……。


 心身ともに今にも挫けそうな私に、相澤の言葉が追い討ちをかける。


『君たちの家の近所に、田畑たばたというお婆さんが住んでいたでしょ? 仁美ちゃんは、彼女に腹を立てていたよね? 裏アカにも悪口をたくさん書き込んでいた。すごくうざかったでしょ? だから田畑さんには、お住まいが建っている土地を手放してもらった後に。あの土地、かなり広いくて場所がいいからね。近いうちにデパートを建てようと思っているんだよ。田畑さんを消すことで、君たちの幸せを害する邪魔者を排除しながら地域貢献もできる。一石二鳥だったってわけさ』


 田畑。近所で厄介者扱いされていた老婆だ。私が父に文句を言った数日後、彼女は姿をくらました。そして、最寄駅の近くにあった彼女の大きな家は取り壊された。重機でめちゃくちゃに破壊されているのを見た。


 これらはすべて父がやったことだと思っていたが、違う。相澤が手引きしていたのだ。


 相澤は、ひと吹きするだけで人間を建物ごと跡形もなく消し飛ばせる……そういう怪物。田畑だけでなく、私たち塩尻家全員をこの世から消すことだって容易いはずだ。


 しかも、誰にも伝えていなかった私の裏アカウントまで当然のごとく特定している……。


 私の両足がぶるぶると震え始めた。


『あと、賢太郎くんの漫画が十米社じゅうべいしゃの編集者に評価されて、少年ヤソブでの連載を目指すことになったよね? これも僕が手を回したからなんだよ。ヤソブにどの新作を連載させて、既存作品のどれを打ち切るかは、僕の一存で決まるんだ。三十年くらい前からずっとね』


 この怪物の魔の手は、日本全国の少年少女たちが愛読する漫画雑誌にまで伸びていたのか……。私も賢太郎も、小学校低学年の頃からヤソブを読んできた。つまり、その当時から相澤との間に因縁が生まれていたということになる。


 私の歯ががちがちと音を鳴らす。


『仁美ちゃんは勘付いていたようだったけど、君の転職面接も僕が合否を決めていた。君のお父さんではなく、僕がね。君が望むなら、どの企業でも採用にできるんだよ。海外に本社がある外資系の企業でも、どこでもね』


 この家に来た瞬間から、私に逃げ場などなかったのだ。仕事に没頭することで家族から離れる時間を作れたとしても、相澤の手のひらの上から逃れることはできない。


 私の額にじわっと脂汗が滲む。


『そうそう、風俗の話で思い出した。君たち四人を見続けるのも、いつかは飽きちゃうと思ってね。哲也さんと陽子さんには、一年後を目安に新しい命を授かるよう指示しておいたんだ。自然妊娠した女性の最高年齢は五十七歳で、ギネス記録になっているらしい。ちょうど陽子さんと同じ歳だね。すでに陽子さんのお腹の中では、第三子が育ち始めているかも。その過程もカメラ越しに見せてもらったよ。猫の交尾みたいで、可愛らしかった』


 父と母が持つ生物としての本能。それが原動力となって行われる営みも相澤が操作していた……。命と、それを作るための行為さえ相澤の意のまま……。


 私の両肩が重くなり、立っていられなくなる。「絶望」がのしかかってきた。


 ごつんという私の両膝と床がぶつかる音がスマホ越しに聞こえたのだろう、相澤は『おっと、すまないね』と言い、慰めるような言葉を吐き始めた。


『確かに、僕は君たちの暮らしをコントロールしてきた。でも、完全に自由を奪ったわけじゃないよ。賢太郎くんが漫画を描くことも、仁美ちゃんが仕事を探すことも許した。それだけじゃない、哲也さんがどうしてもと言うから、彼をいじめていた同級生を見つけ出し、全裸でプロレスをさせてはずかしめたいという希望を叶えてあげた。復讐の機会をあげたんだ。僕は君たちが幸せな家族を演じられるなら、与えることもいとわない。どれだけお金や時間がかかってもね』


「なぜ……そこまでするの……? 私たちはあんたにとって……おもちゃに過ぎないんじゃないの……?」


 私はかろうじて動く喉を震わせた。相澤は、ふんっと鼻で笑う。


『お気に入りのおもちゃだから手間をかけて管理するんだ。それと、僕は塩尻一家に自分の家族を照らし合わせていた。君たち家族を見ることで、僕の実の家族との暮らしを想像していた。君たちが幸せそうに暮らしてくれれば、僕も家族との幸せな暮らしをイメージできる……もう二度と手に入らない幸せな暮らしを……そのはずだったのに……』


 饒舌な相澤が、喋るのを止める。そして五秒ほど間隔を空けて再開した。この「溜め」に、私は嫌な予感を覚える。


『君たちは僕の意に反する行動をした。もちろん、ある程度の自由を与えていたわけだから、何もかも僕の思いどおりになるなんて甘い想定はしていない。までは許容しようと思っていた。けど、それもここまで……。サイクリングのとき、陽子さんは自ら腕を折って、自分だけでなく家族にも不必要な負担をかけた。これがワンナウト。それから、哲也さんは家出しようとした仁美ちゃんを包丁で脅迫した。言葉で説得することもできたはずなのに、暴力に訴えかけた。これでツーアウト。そしてスリーアウト目は仁美ちゃん、君が監視カメラに気付いてしまったことだ。舞台に立つ役者が、観客に意識を奪われてはならない』

 

 野球の審判のようにそう口にした相澤。私たち家族で遊ぶことに見切りをつけたと言いたいのだろう。だからこうしてし、私たちを絶望の淵に追い詰めて上で、突き落とそうとしている……。


 その刹那、私の中で何かが吹っ切れた。一切の逃げ場を失ったことで、恐怖心が敵意へと変わる。今の私はあのときの、捕まって唐揚げにされる寸前のザリガニだ。反撃する以外の選択肢は残されていない。


 消えていた怒りの火が、再び灯った。


 こっちだってお前との縁を断ち切ってやる。殺されようが、何をされようが構わない。今は、この神様気取りでペラペラと自分の都合ばかりを語るいけすかない男に一発かますことができれば、死んだっていい。家族も道連れだ。いや、父も母も弟も、このまま反撃せずにあの世へ行ったのでは、先祖たちに笑われる。死んでしまえば今度こそ、相澤に何もできない。


 殺されるなら、一矢報いてからだ。


 私は床に置かれた父のスマホを握り締めると、両足に力を入れ、ゆっくりと立ち上がった。


 今まで収めていたほこを抜き、命を賭けて反撃するなら、ここだ。ようやく、全力で攻撃するべき真の敵を見つけた。


「相澤……あんたがすごいのはよく分かったよ……。でも私は、もうあんたの言いなりにはならない。どれだけ脅されても、言うことは聞かない。私を、家族を、殺すなら殺せよ! それまでにあんたのことを調べ上げて、全世界に公表してやる! 覚悟しとけよ、この出歯亀野郎でばがめやろうがぁ!」


 私はスマホが唾まみれになるほど怒鳴りつけ、床に向かって思い切りぶん投げた。

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