傷病

 昔から、家族の中で私だけ食の趣向が合わない。私は玉ねぎが大の苦手だが、家族は「残りの人生で一種類しか野菜を食べられないとしたら何を選ぶか?」と質問すると、全員が「玉ねぎ」と答えるくらい好物だ。


 一方、家族では私だけが山芋を好んで食べる。他にも色々と味覚の違いがあり、食事を作る母をいつも困らせていた。


 ザリガニの唐揚げについても、私と家族との間で味の感じ方に差異があるようだ。約二十年前に食卓に出されたときと同じく、父と母と賢太郎は美味しそうにぼりぼりと頬張っていた。


 私は父の圧力を受けながら頑張って二匹食べた。当時と比べて、私の味覚は多少変化しているはず。しかし、美味しいとは微塵も思えなかった。





 その夜、悪夢を見た。私の腹を切り裂き、おびただしい数のザリガニが泥水とともに飛び出す。泥水はぷつぷつと泡立ちながら沸騰し、ザリガニたちを揚げ物にする。私の腹の上で始まる地獄の調理。鳴かないはずのザリガニが「ピギィィィッ」と耳をつんざくような悲鳴を上げた──。


 汗だくになりながら目を覚まし、ベッドの上で上半身を起こす。同時に、酷い吐き気に襲われた。手で口を押さえながら自室を飛び出て、両親の部屋の前を走り抜け、階段を下り二階のトイレへと駆け込む。その勢いのまま便器に頭を突っ込んで、胃の中の物を吐き出した。


 吐いた物の中に、赤いはさみが見えたような気がした。


 出す物を出して自室へ戻る。再び寝ようとしたが、その後も三度吐き気をもよおし、その度にトイレへと向かった。私の体が、ザリガニをこれでもかと拒絶している。相性最悪だ。今後は我が家に限らず、別の場所でザリガニ料理を振る舞われることがあっても絶対に食べないと心に誓った。


 やがて部屋の窓から光が差し込む。結局ほとんど寝付けないまま朝を迎えてしまった。


 吐瀉物としゃぶつとともに体から流れ出た水分を補給するため、ふらふらとした足取りで一階へと下りる。


 キッチンで母が朝食の準備をしていた。とんとんとん、とリズム良くキャベツを刻む手を止め、私のほうを見る。


「おはよう、仁美」


「おはよう……」


「顔色悪いわね。熱でもあるんじゃない? 体温測ったら? 薬もあるけど」


「いや、大丈夫。ちょっと寝付けなかっただけだから……」


 あんたが作ったザリガニ料理のせいでね、と付け加えたくなったが、口をつぐむ。母なりに私たちを喜ばせようと腕をふるったのだ。その気持ち自体を踏みにじりたくはない。


 料理は家事の中で最も大変な作業だろう。毎食メニューを考えなければならないし、そのメニューを形にする調理のスキルが必要になる。私は一人暮らしをしている間、その手間の多さから料理だけはサボってきた。コンビニ弁当やインスタント食品、外食に頼ることが多かった。だから、母が料理をやってくれることのありがたさはよく分かっているつもりだ。


 しかし私はこの直後、母に気を遣ったことを少しだけ後悔する。


「夜、四回もトイレに行ってたでしょ? いつもより二回以上多い。やっぱり体調が悪いんじゃないの? 心配なら、病院に行ったら?」


 母は昨夜私がトイレに行った回数を数えていたようだ。確かに私の部屋から二階にあるトイレへ行く際、父と母の部屋の前を通る。足音が中にいる母に聞こえていても不思議ではない。


 だが、私が悪夢から目覚めて最初にトイレへ駆け込んだのが深夜零時。最後にトイレから自室へ戻ったのが朝方四時半ごろ。その間、母はずっと起きていて、聞き耳を立てていたのだろうか。


 それに「いつもより二回以上多い」という口ぶりからして、昨夜だけでなく私がこの家に来てから毎晩トイレに行った回数を数え、平均まで出していたようだ。監視されているみたいで気味悪い。


 ザリガニ料理の件もそうだし、母は私に嫌がらせをしようとしてるのかもしれない。家で家事をし続けるだけの日常に退屈して、その憂さ晴らしをするために……。


 そうだとしたら、母を気遣って言葉を選んだ自分が滑稽こっけいに思える。嫌味の一つを言っても、ばちは当たらないだろう。


 だが、母の真意を確かめる間も、言い返す間もなく、父と賢太郎がキッチンへと下りてきた。そのまま朝食の時間が始まる。


 幸いなことに、メニューはバタートーストとベーコンスクランブルエッグ、そして数種類の野菜を使ったサラダというありふれたものだった。昨夜の余り物で作ったザリガニの唐揚げ丼なんかを出されていたら、私は意識を失って二度と目を覚まさなかったに違いない。





「今日は父さん、油絵を休もうと思うんだ。で、みんなでサイクリングをしに行こう! 最近、台風のせいで天気の悪い日が多いから、今日みたいな晴れは貴重だぞ!」


 トーストを頬張りながら、父が提案する。提案というより、決定事項の伝達だ。生活のすべてを父に支えてもらっている私たちに、父の提案を却下する権利など存在しない。父がサイクリングをしようと言うのなら、口答えせず自転車にまたがるだけだ。


 毎日狭い個室でキャンバスに向かっている父にとって、サイクリングは有意義だろう。外の新鮮な空気を吸えば気分転換になり、絵を描く活力をみなぎらせられるはずだ。


 けれど、無職同然の私にとっては無意味。そんな活力など、今の生活には一グラムたりとも必要ない。欲しいのは、何もせずに時間を浪費する「ダラダラりょく」だけだ。


 そもそも私は、サイクリングに楽しみを見出せるようなアクティブなタイプでもない。子供の頃から家にいるほうが好きだ。その気質は今も変わっていない。どうせ時間を使うなら、冷房の効いた部屋で布団にくるまりながら、スマホで『コマンドー』の映画でも見ていたほうがよっぽど楽しい。


 しかも、今の私は体調がかんばしくないのだ。できることなら、動きたくない。


 サイクリングをやりたくない理由はいくらでも挙げられる。しかし、どれだけ御託ごたくを並べても、絶対的な権限を持つ父に歯向かうことなどこの家では許されない。それは私だけでなく、母と賢太郎も同じだ。


「いいんじゃない? よくやったわよね、サイクリング。最後にやったのは……仁美が小学五年生のときだったっけ? ほら、仁美、転んで左腕の骨にヒビが入っちゃって。救急車を呼ぶことになっちゃったのよね。覚えてる?」


 また昔を懐かしむ母。彼女が言ったサイクリングでの出来事は、私もよく覚えている。私の人生で唯一の骨折体験だからだ。利き腕ではなかったが、一ヶ月ほどギプスをしたまま暮らすのはとても不便だった。


「もう転ぶ心配はないだろ? なぁ、仁美? それとも、念のため補助輪を付けるか?」


 父の冗談に私は「馬鹿にしないでよ」と、偽りの半笑いを浮かべながら返した。





 私が子供だった頃よりも、レンタル自転車事業が拡大したように感じる。いや、今は「シェアサイクル」と言うのか。スマホ一台で手続きが完了し、人を介さず自転車を借りることができる。そんな場所が、日本全国にいくつも点在している。


 家から徒歩十分ほどの場所にある駐輪スペースで、小ぶりな車輪の赤い電動自転車を四台借りた。父、私、賢太郎、母という並びで縦一列になり、暑い日差しが照りつける中、漕ぎ出す。


 この順番は、昔のままだ。違うところがあるとすれば、私たちの年齢が上がっていること。そして母が乗る自転車のハンドル部分に最新の三六○度カメラが装着されていること。自転車に乗ったまま私たち家族を撮影できるようにと、父が事前に購入していたものなのだそうだ。値段は聞いていないが、安くとも五万円はするだろう。気合いの入れように、私は若干引いた。


 どこに向かっているのかは分からない。私たちはただ、父が進む方向へ着いていく。まるで某ゲームに登場する赤、青、黄色のカラフルな小型生物だ。


 自転車の行き先一つも自分の意思では決められない。すべての決定権は父が握っている。このサイクルリングは、私と賢太郎と母の現状を表しているように思えた。


 一時間ほど漕ぎ続けたとき、突如私の視界がぐらりと歪む。太陽の強い日差しと、昨晩眠れなかったことがたたったのだろう。一瞬意識を失いかけ、バランスを崩す。父の言うとおり補助輪を付けておけば良かった、と思ったときにはもう遅い。自転車ごと横転した。


 後ろを走る賢太郎と母が、自転車に急ブレーキをかけて止まる。私が転んだ音を聞き、前を行く父も自転車を止めた。


 全く意図していなかったが、これでは家族で最後にサイクリングをしたときの再現だ。


 父、母、賢太郎が私に駆け寄る。心配そうに私の顔を覗き込んでくるが、昔と違って今回は大したことはない。


「大丈夫。転んだだけ。けど、ちょっと疲れちゃったみたい。少し休憩させて」


 私はそう言い、立ち上がる。痛みがあるのは擦りむいた右ひざだけで、他には感じない。傷からは血が流れ出ているが、深くないことは痛みの具合でなんとなくわかる。


「これ以上はやめておこう。自転車を返しに行くから、賢太郎は仁美の自転車を持ってきてくれ。母さんは仁美についてあげててくれ。帰りはタクシーだな」


 父が母と賢太郎に指示を出す。その表情には微かに動揺が見られる。心配してくれるのはありがたいが、大の大人が狼狽うろたえるような怪我ではない。


 つい父の顔色ばかりうかがってしまう私だが、今この場で最優先に注視すべきは、母のほうだった。


「血が出てるじゃない……救急車を呼びましょう」


 母は父と比べ物にならないほど焦っていた。顔が青ざめている。ポケットからスマホを取り出し、今にも一一九のボタンを押そうとしていた。


「大丈夫だよ、母さん。擦りむいただけだから。救急車を呼ぶような怪我じゃない。それにこんな怪我じゃ、救急車は動いてくれないよ」


 と、私は母を制した。軽い怪我だと伝わるように、できるだけ落ち着いた声音で。


 母は通報する手を止めたが、「どうしよう、どうしよう、やっぱり救急車を……」と慌てふためき続ける。裕福な暮らしと膨大な金を得たことで消え去ったと思っていた母の極度の心配性は、まだ根強く残っていたようだ。


 彼女がどれくらい心配症かというと、私たち姉弟が小中学生の間、学校に行くときには必ず催涙スプレーを持たせていたほど。不審者対策としてだ。父を実験台にして使い方までみっちり習った。


 私はそれが当たり前だと思っていたが、高校一年生の春、催涙スプレーで武装しながら登下校している同級生など一人もいないことを知った。そのときに受けたカルチャーショックは、骨折よりも衝撃的だったのを今でも覚えている。


 母は、他の親と比べて子供に対して過保護に接してきた。


 賢太郎がマザコンになってしまった原因の大部分は、母が必要以上に気にかけていたことにあるだろう。私も、小学校高学年くらいまでは「子供思いなお母さんだ」と好意的に捉えていた。だが、思春期を迎える頃には鬱陶しく感じるようになった。


 昔からそんな調子の母だが、今の彼女の様子は「心配性」や「過保護」という言葉でさえ適切ではない。もっといびつで重たい感情を私に向けている。この感情を表現するのにぴったりな言葉を私は知らない。ただ「異様」ということだけは言える。


 私の自転車を起こした賢太郎が「大袈裟だよ、お袋」と、援護射撃をしてくれた。そう、とにかく救急車を呼ぶような怪我ではないのだ。自転車を返却して、私の傷を洗って、コンビニで絆創膏を買って貼れば終わり。それだけの、取るに足らない事態なのだ。


 私と賢太郎の言葉を受けてもなお、母の狼狽ろうばいは止まらない。相変わらず「どうしよう、どうしよう、もし怪我が悪化したら……念のため救急車を……」と、セキセイインコのようにぶつぶつと繰り返している。


 説得しても無駄だと感じたのか、賢太郎は母から視線を外すと、スマホで近くの返却場所を検索し始めた。父は、歩行者の邪魔にならないよう自分の自転車を歩道の脇に寄せ、スタンドを立てている。


 そのとき、ゴボキッという鈍い音が私の鼓膜を揺らした。音は母のほうから聞こえた。父と賢太郎も、その音が聞こえたようだ。私とほぼ同時に、母へ視線を向ける。


 路上にしゃがみ込む母。その左腕が、手首とひじの中間辺りで内側に折れ曲がっていた。人間の腕の構造から考えて、本来なら曲がらない部分である。


「か……母さんの腕……折れちゃった……これなら……きゅ、救急車……来てくれるわよね? ……ついでに仁美も……びょ、びょ、病院に……運んでもらいましょ」


 母は左腕を地面に押し当て、足で思い切り体重をかけて自分の腕をへし折ったのだ。


 私の背中を冷たい汗が伝った。

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