第7話
足元で、ニャーニャーと可愛らしい鳴き声がする。
「もう、ごはんの時間? ……待っててね、リリ」
私は慌てて台所へ向かい、キャットフードを器に盛る。お皿を置くと、リリは「遅いじゃない」とでも言いたげに私をちらりと見上げてから、ようやく食べ始めた。
猫が――いや、リリが何を求めているのか。少しずつ、わかるようになってきた。
なかなか懐こうとしないリリに、心が折れそうになる日もあった。
それでも私は、諦めずに世話を続けた。名前を呼び、ごはんを出し、トイレを掃除し、そっと声をかけながら。
ほんの少しでも、リリとの距離が縮まればと願いながら。
ある日、どうしようもない孤独感に襲われ、私は部屋の隅で膝を抱えていた。
すると、リリがそっと歩み寄ってきた。
「……リリ?」
呼びかけると、リリは「ニャー」と、やさしい声で応えた。
そのまま私の顔をじっと見つめ、そして隣に腰を下ろす。何も言わず、ただ、そこにいる。
私はリリを抱きしめた。
堰を切ったように、涙があふれた。声をあげて泣いた。
――そばにいてあげるだけで、いい。
ペットショップの店員さんの言葉が、ふと頭をよぎった。
秋が訪れ、日差しがやわらいできた。
私はリリをキャリーケースに入れ、動物病院へ向かった。
待合室に入ると、見覚えのある男性の姿があった。
「課長!」思わず声をかけてしまう。隣には、奥さんらしき女性がいる。
課長がこちらに気づき、手を挙げながら近づいてきた。
「あれ? 猫、飼ってたの?」
「はい、三か月ほど前から……」
そう答えると、課長は何か言いたげな顔をしたが、黙って自分の猫を紹介してくれた。
薄い茶色の毛に、ビー玉のようなまん丸な目をした猫。
「チャコっていうんだ。」
「かわいいですね! うちのリリも負けてませんけど」
私がそう言うと、課長の奥さんがキャリーケースを覗き込んだ。
「本当にかわいい! リリちゃんっていうの? こんにちは」
綺麗で、どこか優しさのにじむ女性だった。穏やかな課長と、よく似合っている。
「あ、呼ばれたわ。いかないと」
奥さんが私に会釈し、診察室へ向かった。
課長も、「じゃあ、また会社で……」と背を向けかけて、ふと立ち止まった。
「最近、なんか雰囲気変わったなと思ってたけど、リリちゃんのおかげだったんだね」
「えっ? 私、変わりましたか?」
「猫の力ってすごいよ。うちも、チャコにずいぶん助けられたよ」
いたずらっぽく笑って、課長は奥さんの後を追っていった。
帰り道、キャリーケースの中で、リリは丸くなって眠っていた。
ぴくりとも動かない、すっかり安心しきった寝顔を見て、私はそっと笑った。
さっき課長が言ってくれた。
「リリちゃんのおかげで、雰囲気が変わったね」
そんなふうに言われるなんて、少し不思議だった。でも、うれしかった。
診察室の奥へと消えていった課長と、その隣を歩く奥さん。
あの二人の背中が、妙に穏やかで、あたたかくて。
ほんの少しだけ、胸がきゅっとなった。
私も、あんなふうになりたかったのかもしれない。
何気ない会話を交わしながら、並んで歩ける誰かと。
一緒に年を重ねていけるような人と。
――でも、今は。
「帰ろう、リリ」
キャリーの中から、小さく「ニャー」と返事が返ってくる。
私は空を見上げた。
風が、少し冷たくなってきた。
もうすぐ、秋が深まる。
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