第22話:始まりの村と未来への誓い

 溝の底で身動きが取れなくなったロックベアの巨体は、俺たちにとって、思わぬ副産物をもたらした。

 その岩のような毛皮は、なめせば最高の防具や防寒具になるだろう。

 肉は、硬くて大味だったが、燻製にして保存食にすれば、冬を越すための貴重な食料となる。

 そして、その強靭な骨や爪は、『万物創生』スキルを使えば、これ以上ないほど強力な武具や工具の素材になった。


 ロックベアとの死闘(という名の一方的な罠ハメ)から数週間。

 俺たちの防壁建設は、驚異的なペースで進んでいた。

 グレイが立てた緻密な設計図に基づき、俺がその超人的な身体能力と『万物創生』スキルを駆使して、それを現実のものとしていく。


 森から切り出した巨木は、スキルによって鋼鉄並みの強度を持つ建材へと生まれ変わる。

 地面から掘り出した石や土は、錬金術のように頑丈な石壁へと再構築されていく。

 俺一人で、巨大なクレーンと熟練の職人集団、そして資材工場を兼ねているようなものだった。


 その常軌を逸した光景を、グレイは最初は驚愕の目で見守っていたが、やがてそれにも慣れ、諦めたような、それでいてどこか楽しそうな表情で、俺の作業を手伝ってくれるようになった。

 彼が指示を出し、俺が実行する。

 その連携は、まるで長年連れ添ったコンビのように、完璧だった。


 そして、俺がこの村に来てから二月が経つ頃――

 村は、その姿を劇的に変えていた。


 村の周囲は、高さ5メートル、厚さ2メートルはあろうかという、堅固な木の壁でぐるりと囲まれていた。

 壁の外側には、深さ3メートルの空堀が掘られ、底には鋭く尖らせた杭がびっしりと並んでいる。

 唯一の入り口である門は、ロックベアの骨で補強された、巨大な跳ね橋式の門構えだ。

 壁の四隅には、弓矢を放つための見張り櫓まで設置されている。


 もはや、ただの村ではない。

 それは、難攻不落の「要塞」だった。


「……信じられん……」


 完成した防壁を見上げ、グレイが感嘆のため息を漏らした。


「たった二月で、一個師団でも落とすのは困難な城塞を築き上げるとは……。お前は、本当に何者なんだ、カイト」


「言ったでしょう。ただの狩人だって」


 俺は、肩をすくめて笑った。


 この村での生活は、俺が当初思い描いていた「静かなスローライフ」とは、少しだけ違うものになっていた。

 予期せぬ来訪者、強力な魔物の襲撃、そして壮大な防壁建設。

 だが、不思議と、そのことに不満はなかった。


 グレイという、信頼できる仲間との出会い。

 力を合わせて、自分たちの手で安全な場所を作り上げていくという、創造的な喜び。

 それは、孤独では決して味わうことのできない、新しい種類の充実感を俺に与えてくれていた。


 その日の夜、俺とグレイは、完成したばかりの見張り櫓の上で、ささやかな祝杯をあげていた。

 酒はもちろん、森で採れた果実を発酵させて作った、俺の自家製だ。


「乾杯」

「ああ、乾杯だ」


 木の杯を軽く打ち合わせ、俺たちは星空の下で果実酒を呷った。

 甘酸っぱい味が、心地よい疲労に染みた体に染み渡る。


「……これから、どうするんだ?」


 しばらくの沈黙の後、グレイが静かに口を開いた。


「この要塞は完成した。俺の傷も、もうすっかり癒えた。……そろそろ、俺はここを去るべきだろう」


 彼の言葉に、俺は少しだけ胸がちくり、と痛むのを感じた。

 グレイは、この村で初めてできた、俺の「仲間」だった。

 彼がいなくなるのは、正直、寂しい。


 だが、彼には彼の人生がある。

 引き留めるのは、俺のエゴだろう。


「……そうか。どこか、行く当てでもあるのか?」


 俺がそう尋ねると、グレイは少しだけ遠い目をして、星空を見上げた。


「俺は、ある人物を探して、旅をしている。かつて、俺が仕えていた王国の、唯一の生き残り……幼い姫君をな」


 彼の口から語られたのは、陰謀によって国を追われ、今は素性を隠して生きているという、元騎士の壮絶な過去だった。


「必ず、姫君を見つけ出し、そのお方を守り抜く。それが、俺に与えられた最後の使命だ」


 その瞳には、揺るぎない覚悟の光が宿っていた。

 俺は、それ以上、何も聞かなかった。


「……分かった。達者でな、グレイさん」


 俺がそう言うと、グレイはふっと笑みを浮かべた。


「ああ。……だが、行く前にもう一つ、お前に言っておきたいことがある」


「なんだ?」


「この村だ」と、グレイは眼下に広がる、俺たちの手で作り上げた要塞を指さした。


「この場所は、いずれ、多くの人々が集まる場所になる。俺が保証する」


「……どういう意味だ?」


「世の中には、お前や俺のように、居場所を失い、安住の地を求める者たちが大勢いる。戦乱で故郷を失った者、理不尽に追われた者、ただ静かに暮らしたいと願う者……。そんな彼らにとって、この絶対安全な要塞は、まさに希望の光そのものだ」


 グレイの言葉は、俺にとって、全く予想もしていないものだった。

 俺は、ただ自分のためだけに、この場所を作った。

 ここに、誰かを招き入れるなど、考えたこともなかった。


「いずれ、この村の噂は、どこからか人々の耳に届くだろう。その時、お前は彼らを受け入れるか? それとも、拒絶するか?」


 それは、俺のこれからの生き方を問う、重い問いかけだった。

 俺は、すぐに答えることができなかった。


「……まあ、焦って答えを出す必要はないさ」


 グレイは、俺の葛藤を見透かしたように、優しく言った。


「お前は、お前の信じる道を行けばいい。ただ、覚えておけ。お前がこの手で作り上げたこの場所には、それだけの価値と、可能性があるということを」


 その言葉は、不思議と俺の心にすとんと落ちた。

 俺が作り上げた、ただのサバイバルの拠点。

 それが、誰かにとっての「希望」になりうる……?


 俺は、自分の村を、新しい視点で見つめ直していた。


 ◇ ◇ ◇ 


 翌朝、グレイは旅立った。

 俺は彼に、保存食と、ロックベアの皮で作った頑丈なマント、そして何よりも効果的な「女神の涙」を数個、餞別として渡した。


「……世話になったな、カイト。この恩は、一生忘れん」


「あんたもな、グレイさん。あんたがいなけりゃ、この壁はできなかった」


 俺たちは、固い握手を交わした。

 言葉は少なかったが、男同士の確かな友情が、そこにはあった。


 遠ざかっていくグレイの背中を見送りながら、俺は一人、門の上に立っていた。

 再び、静寂が村に戻ってきた。

 だが、以前感じたような、心を蝕む孤独感は、もうどこにもなかった。


 俺の胸の中には、グレイが残してくれた、温かい何かと、そして新しい「可能性」という名の種が、確かに芽生えていた。


(ここから、始めよう)


 俺は、朝日に照らされて輝く、自分の村を見渡した。

 畑の緑、頑丈な壁、そして、その中心に立つ、我が家。

 その全てが、愛おしく、誇らしかった。


 ここは、追放された俺が、偶然見つけただけの廃村じゃない。

 俺が、俺の力で、未来を築くための「始まりの場所」だ。


「始まりの村」


 ふと、そんな名前が口をついて出た。


 これから、この村がどうなっていくのか。

 グレイが言ったように、本当に人々が集まる場所になるのか。

 それとも、俺は一人、静かにスローライフを送り続けるのか。


 未来は、まだ誰にも分からない。

 だが、どんな未来が待っていようと、俺はここで生きていく。




----------

【あとがき】


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