第21話:森の主と見えざる一撃
グレイが村に滞在するようになってから、数日が過ぎた。
彼の傷は驚異的な速さで回復し、今ではもう普通に動けるようになっている。彼は、俺の作る特製軟膏を「女神の涙」と呼び、畏敬の念すら抱いているようだった。
俺たちの間には、奇妙な協力関係が生まれていた。
朝、俺が防壁の資材となる大木を森から担いでくると、グレイは口をあんぐりと開けて驚き、昼には、元騎士の知識を活かして、効果的な防壁の設計図を地面に描き、俺に助言を与える。
「カイト、お前の力は規格外だ。だが、ただ頑丈な壁を作るだけでは意味がない。敵の侵攻ルートを予測し、射線が確保できる『キルゾーン』を設けるべきだ」
「なるほど、キルゾーン……」
「防壁の外側には、空堀と逆茂木を設置する。内側には、迎撃用の櫓も必要になるだろう。資材は……お前なら、どうとでもなるんだろうな」
グレイは、もはや俺の怪力にツッコむことを諦めたようだった。
彼の的確な助言のおかげで、俺の防壁建設計画は、より現実的で、より強固なものへと進化していった。
そんなある日の午後。
俺たちが防壁の基礎となる溝を掘り進めていると、森の様子が急変した。
ぴたりと鳥のさえずりが止んだ。
風が止み、木々の葉のざわめきさえ消え失せる。
まるで、森全体が息を殺したかのような、不気味な静寂。
俺とグレイは、同時に手を止め、顔を見合わせた。
「……おい、カイト。何か来るぞ」
グレイの声には、鋼のような緊張が走っていた。
彼の騎士としての経験が、尋常ではない脅威の接近を告げている。
俺も、研ぎ澄まされた感覚で、その「何か」の気配を捉えていた。
地響きのような、重い足音。
空気を震わせる、低い唸り声。
そして、圧倒的なまでの、濃密な魔力と殺意。
ゴブリンやオークなどとは、比較にならない。
この森の「主」とでも呼ぶべき、絶対的な強者の気配だった。
やがて、村の入り口方面の木々が、ミシミシと音を立てて大きく揺れた。
そして、バリバリという破壊音と共に、一本の巨木がなぎ倒され――ソレは、姿を現した。
「なっ……! ロックベアだと!?」
グレイが、絶望に染まった声を上げた。
そこに立っていたのは、身の丈5メートルはあろうかという、巨大な熊の魔物だった。
全身が、ゴツゴツとした黒い岩のような皮膚で覆われている。
その腕は丸太のように太く、先端には鋼鉄さえ引き裂くという鋭い爪が光っていた。
血のように赤い瞳が、憎悪と飢餓にぎらつきながら、俺たちを捉えている。
ロックベア。
B級ランクの、強力な魔物。
その岩のごとき皮膚は、並の剣や魔法を寄せ付けず、一撃で砦の門を粉砕するという、恐るべきパワーを持つ。
単独で、小さな町一つを壊滅させるほどの災害級モンスターだ。
「……まずいな。これは、本気でまずい」
グレイは長剣を抜き放ち、俺の前に立ちはだかるようにして、ロックベアと対峙した。
だが、その額には玉のような汗が浮かび、剣を握る手は、わずかに震えている。
実力差は、火を見るより明らかだった。
「カイト、逃げろ!」
グレイが、悲痛な声で叫んだ。
「こいつは、俺たち二人でどうにかなる相手じゃない! 俺が何とか時間を稼ぐ! その隙にお前は村の奥へ!」
命の恩人である俺を、命懸けで逃がそうとしてくれている。
その騎士としての誇りと優しさに、俺は少しだけ胸を打たれた。
(……だが、逃げる必要はない)
俺の心は、驚くほど冷静だった。
確かに、正面からぶつかれば厄介な相手だ。
だが、俺には、誰にも知られていない切り札がある。
「グレイさん、少しだけ、あいつの気を引いていてください」
「何を言っている! 無駄死にする気か!」
「いえ、考えがあります。すぐに戻ります!」
俺はそう言い放つと、グレイが止める間もなく、身を翻して背後の森の中へと駆け込んだ。
「おい、カイト!」
グレイの焦った声が背後から聞こえるが、俺は振り返らない。
ロックベアの意識が、盾となって立ちはだかるグレイに集中している今がチャンスだ。
俺は森の中を、残像を残すほどの速度で疾走する。
狙うは、ロックベアの側面。ヤツの視界の外側だ。
茂みに身を隠し、ロックベアとグレイの攻防を、冷静に観察する。
「グオオオオオオッ!!」
ロックベアが、巨腕を振り下ろす。
グレイは、それを紙一重でかわすが、振り下ろされた腕が地面に叩きつけられると、轟音と共に大地が揺れ、土砂が舞い上がった。
掠っただけで、致命傷になりかねない一撃だ。
(……さて、と)
俺は、足元に転がっていた、拳大の石を一つ拾い上げた。
そして、全身の筋肉をバネのようにしならせ、身体能力強化のパッシブスキルを最大まで活性化させる。
(狙うは、あのゴツい装甲じゃない)
ロックベアの弱点は、ただ一つ。
他の部位を庇うように、強靭な骨の鎧で覆われた顔面。その中央にある、赤い瞳だ。
そこだけは、岩の皮膚に覆われていない、唯一無二の急所。
俺の加速した知覚の中では、ロックベアの動きが、再びスローモーションになる。
グレイの剣を弾き飛ばし、次の追撃に移ろうとする、ほんの一瞬の隙。
(――そこだ!)
俺は、野球のピッチャーのようなフォームで、腕を振り抜いた。
放たれた石は、大気を切り裂く鋭い音を立てて、不可視の弾丸と化した。
シュゴォォォッ!!!
それは、グレイにも、ロックベアにも認識できない速度で、空間を跳んだ。
そして――。
ズギュンッ!!!
鈍い、肉を抉るような音。
「GYIIIIIIIIIAAAAAAAAッ!!!!」
ロックベアが、今までにない、天を裂くような絶叫を上げた。
その左目に、俺が投げた石が、深々と突き刺さっていたのだ。
赤い瞳は潰れ、そこからおびただしい量の黒い血が噴き出す。
未知の方向からの、認識不能な超高速攻撃。
そして、耐え難い激痛。
ロックベアは完全にパニックに陥り、巨腕をめちゃくちゃに振り回し、暴れ狂い始めた。
(……よし、第一段階は成功だ)
俺は、ロックベアが混乱している隙に、別の場所からこっそりと村へ戻る。
その手には、あらかじめ森の中に隠しておいた、巨大な獣を捕らえるための極太のロープと、俺が『万物創生』スキルで作った、強烈な刺激臭を放つ薬草の塊をいくつか抱えていた。
「グレイさん、今です!」
俺の突然の登場に、グレイは驚きながらも、すぐに反応した。
「カイト! お前、無事だったのか! それに、あの熊、急にどうしたんだ!?」
「話は後です! あいつを、こっちに誘導してください! 俺の罠にかけます!」
俺はそう叫ぶと、刺激臭の薬草を、ロックベアの足元へと立て続けに投げつけた。
片目を潰された痛みと、鼻をつく強烈な異臭に、ロックベアの怒りは頂点に達する。
もはや、理性はなく、ただ目の前の敵(俺とグレイ)を叩き潰すことしか考えていない。
「グオオオッ!」
ロックベアは、一直線に俺たち目掛けて突進してくる。
その進路上には、俺たちがついさっきまで掘っていた、深さ3メートルほどの、防壁の基礎となる溝があった。
「グレイさん、飛んでください!」
俺とグレイは、タイミングを合わせて、溝を飛び越える。
だが、怒りに我を忘れたロックベアは、足元の危険に気づくことなく、そのままの勢いで溝へと突っ込んだ。
ドッッッッッッスウウウウウウンン!!!!
凄まじい地響きと共に、ロックベアの巨体が、溝の底へと落下する。
俺が掘っただけのただの溝だ。底に杭など仕掛けてはいない。
だが、あの巨体だ。狭い溝に嵌ってしまえば、身動きはほとんど取れない。
ロックベアは、溝の中でもがき、起き上がろうとするが、足場が悪く、うまくいかない。
完全に、無力化された。
「……ま、さか……」
グレイが、目の前の光景を信じられない、という顔で、呆然と呟いた。
「防壁のために掘っていた溝を、即席の落とし穴に利用した、というのか……? あの熊が暴れ出したのも、お前が投げた、あの薬草のせいか……?」
彼の目には、俺がただの怪力な若者ではなく、恐るべき知恵と機転を併せ持った「策略家」に映っているようだった。
「いえ、運が良かっただけですよ」
俺は、いつものように、しれっと答えた。
「あいつが、思ったより単細胞で助かりました」
謎の超高速攻撃のことは、もちろんおくびにも出さない。
グレイは、ロックベアが突然暴れ出した原因を、何か別の要因――例えば、持病か何かだろう――と勝手に解釈したようだった。
こうして、村を襲った最大の危機は、俺の隠された力と、表向きの「知恵」によって、退けられた。
グレイは、俺への評価を「怪力の狩人」から、「底知れぬ智将」へと、大きく上方修正したに違いない。
そして彼は、無力化されたロックベアを見下ろし、改めて防壁の重要性を噛み締めるように、固く拳を握りしめていた。
この村を、本物の要塞にする。
その決意が、俺と彼の間に、確かな絆として生まれた瞬間だった。
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【あとがき】
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