暗号は誰が作ったのか 4
石と手を洗って、三十分ほど経って、アリエルは昼食を取るためにダイニングへ向かった。
今日の午後には、王都で仕立て屋をしている店の主がアリエルの採寸に来ることになっている。
既製品になるが、アリエルのサイズに合わせて調整したドレスを持って来てくれるらしいのだ。
ロカンクール伯爵家にも一日あたり銀貨一枚の援助があるし、アリエルのドレスまで買ってくれるし、ジェラルドは実にサービス精神旺盛である。
逆を言えば、それだけあの暗号を解読したいと言うことだ。
アリエルが席について数分後、ジェラルドもダイニングにやってきた。
暗号の一文目が解けたからか、その表情は少し晴れやかである。
今日の朝食は卵をふんだんに使ったふわふわオムレツと、ポタージュ。根セロリのサラダにバゲットである。
ランチは一度にすべての料理がテーブルの上に並べられた。
お祈りをし、スプーンに手を伸ばす。ポタージュはカボチャだった。
まずは食事を楽しんで、アリエルは一息ついたところでジェラルドに気になっていたことをたずねることにした。
「あの、ジェラルド。訊いてもいいでしょうか」
「ああ。なんだろうか」
「あの暗号文は、誰が作ったものですか?」
食後の紅茶に角砂糖を一つ落とそうとしていたジェラルドは、ぴたりと手を止めた。
「最初はジェラルドかと思いました。その方がしっくりくるからです。でも、どうも違うなと。だって、あの暗号文の答えを、たぶんあなたも知らないですよね?」
ジェラルドは数秒ほど押し黙って、それから紅茶に角砂糖を落としたのち、スプーンでかき混ぜながらそっと嘆息した。
「そうだな。俺も知らない。……あの暗号は、俺の兄である先代当主が残したものだ」
「そうだったんですか」
「聞かれなかったら黙っていようと思ったんだが、話したほうが暗号を解きやすいかもしれないな。……あとで俺の書斎に来てくれ。仕立て屋が帰った後で構わない」
「わかりました」
表情から察するに、あまり話したくない内容なのかもしれない。
それでも話してくれると言う彼は、よほどあの暗号を解きたいのだろう。
おそらくだが、ジェラルドにとって、あの暗号の答えはとても重要なものなのだ。重要な何かを、指し示すものなのだろうと思う。
食後の紅茶をゆっくりと楽しんだのち、アリエルはメアリと共に仕立て屋を出迎えて採寸を終えると、約束通りジェラルドの書斎へ向かった。
彼の書斎は整然としていて、無駄なものがない印象だった。
書棚に机、ソファにローテーブル。床はライトグレーの絨毯が敷かれており、カーテンは絨毯より少し暗めのグレー。
全体的に統一感のある色でまとめられ、その中で唯一カラフルなものと言えばローテーブルの上に置かれた花瓶と花だけだろうか。
父の書斎はもっと雑然としていたのに、ここはびっくりするくらい整理整頓されている。
「面白みのない部屋だろう?」
アリエルがきょろきょろと部屋を見渡していたからか、ジェラルドがそう言って苦笑した。
ソファに座るように促されたので腰かける。
「いえ、素敵な部屋だと思います。機能的というか。目移りするものが少ないので、仕事に集中できそうです」
父の部屋は雑然としすぎているせいか、ある日突然「片づけしよう!」などと言い出し、領地の仕事をほっぽりだして部屋の片づけをはじめたりするのだ。そのときに懐かしい本などを見つけて読み耽り、結局仕事も片付けも進まないという事態を、よく招いている。
ジェラルドがアリエルの対面のソファに腰をかける。
その手には一枚の肖像画があった。それをローテーブルの上に、アリエルに見やすいように置いてくれる。
「これが先代当主の兄、シルヴァンだ。俺と五つ違いでね。去年、二十三歳で亡くなった」
肖像画には、穏やかそうに微笑む青年の姿があった。なくなる少し前に描かれたものだろうと思われる。ベッドの上に上体を起こしていたからだ。
「お兄様は、ご病気で?」
「ああ。心臓を患ってね。倒れてから亡くなるまで半年ほどだったよ。おかげで、急に伯爵家を継ぐことになって、俺もバタバタしたものだ」
口調から、どことなく苦いものが伝わって来る。ジェラルドはシルヴァンとあまり仲が良くなかったのかもしれない。
「兄は亡くなる前、俺に手紙を残していた。遺書のようなものだ。封筒にはこの暗号文が入っていて、手紙にはこう記されていた。『金庫の鍵をここに隠した』と。……どうやら兄は、俺に跡を譲るのがよほど嫌だったらしい。兄は結婚していなかったし子供もいなかったからな。必然的に俺があとを継ぐことになるのがわかっていて、このような嫌がらせをしたんだ」
「嫌がらせですか? その、金庫には何が……」
「伯爵家の当主に代々受け継がれて来た物だ。権利書や特別価値のある宝石類が主だろうと思われるが、俺は実際に見たことがないから知らない。最悪金庫を壊すと言う手もあるが、兄に負けたようでどうにも腹立たしくてね」
「失礼ですが、その、お兄様とは仲が悪かったんですか」
「ああそうだな。悪かった。何せ腹違いだからな」
ジェラルドは肩をすくめる。
「兄は父が愛人に産ませた子なんだ。それを知ったのは俺が八歳のときだったか。父と母の間には長らく子が産まれなくて、跡取りに困った父が愛人に兄を産ませて引き取ったと聞いた」
そこまで言って、ジェラルドはそっと嘆息する。
「それを知るまでは仲は良かったと思う。だが、それを聞いたとき、当時八歳と幼かったこともあり、強い反発を覚えてしまったんだ。母は俺よりも兄を可愛がる傾向にあってね、なんで血のつながっていない兄を母は可愛がるのだろうと嫉妬したのもあっただろう。俺が反発したことで、兄との関係に亀裂が入り、そのまま大人になった。……馬鹿なことをしたとは思う。母が兄に特別優しかったのは、生みの母親から引き離してしまったことへの負い目があったと、あとになって理解したときはもう修復不可能なくらい関係が悪化していたな。俺が悪いのはわかっている」
ジェラルドは自分が悪いと言うが、それは仕方がなかったのではないかとアリエルは思う。
だって八歳だ。そんな幼いころに、突然兄は半分しか血が繋がっていなくて、母親は実は兄の母ではなかったと聞かされた。
それなのに、母はジェラルドではなく、血のつながっていない兄を大切に知るように見えれば、幼い子供ならばどういうことだと憤っても無理はないだろう。
そして逆に、ジェラルドの兄シルヴァンにも、それは当てはまる。
母親は、シルヴァンとジェラルドとの扱いに差をつけていた。
優しくされていても、それは見方によっては真剣に向き合ってもらえていないと取れるのではないだろうか。
母はやはり、実際に自分が生んだ弟が可愛いのだ。自分はどうでもいいのだと、そう感じてしまっても不思議はない。
お互いがお互い、別の受け取り方をしたせいで、二人の関係は悪化してしまった。
ジェラルドだけが悪いわけではない。
シルヴァンだけが悪いわけでもない。
むしろ、二人とも犠牲者だとも言えるだろう。
一度こじれてしまえば、そう簡単に修復するのは不可能だ。
(でも、本当にその暗号は、嫌がらせだったのかしら)
ふと、そんなことを思う。
だって、本当に渡したくないのなら、鍵を処分すればいいだけの話だ。
それをせず、暗号を残して隠したのならば、そこにシルヴァンの想いがあるのではなかろうか。
鍵と一緒に、何か重要なものが隠されている。そんな気がしてならない。
だがこれはあくまで、アリエルの推測だ。
真実は暗号を解いた先にのみあり、部外者が安易な推理を披露していいはずがない。
「事情はわかりました。金庫の鍵のために、何が何でも暗号を解かなくてはなりませんね」
「ああ。俺だけでは無理だったんだ。だが、このような身内の恥を、他人にさらすわけにはいかない。だから、結婚相手を探して、その最終テストで出すことで暗号を解く協力してもらおうと思ったんだ。すまないな、おかしなことに巻き込んでしまって」
「いえ、お見合いパーティーに来たのは、わたしの意思ですから」
実家に援助してくれたり、アリエルにドレスを買ってくれたりと、至れり尽くせりだったのはジェラルドに後ろめたさがあったからなのかもしれない。
「どうしても無理なら金庫を破壊するから気楽に取り組んでくれ。もちろん俺も、できる限り協力する。……と言っても、実際に一人で考えて何も思いつかなかったのだから、俺が役に立つとは思わないけどな」
どうもこういう頓知を必要とする暗号は苦手なんだと、ジェラルドは微苦笑を浮かべた。
本人が苦手と言うのだから実際に苦手なのは間違いないのだろうが、アリエルは先ほどジェラルドが言ったように、彼がこの邸に長く住んでいるからこそ見つけられなかったのもあるだろうなと思った。
少なくとも、一文目の暗号はアリエルがすぐに気づいたように、それほど難解なものではなかった。ジェラルドは兄の嫌がらせだと言ったが、一文目だけに限って言えば、決して、解かせまいとする暗号ではない気がする。
それなのにジェラルドが気づけなかったのは、生まれた時から住んでいる家に、自分が知らない場所はないと言う先入観があるからかもしれない。
「わかりました。ではこれからは一緒に暗号を解きませんか? 暗号はジェラルドに当てたお兄さんからのメッセージです。お兄さんは、ジェラルドにこそ暗号を解いてほしいと願っていると思いますから」
「メッセージか。そう言う言い回しをすると、兄が善意で暗号を残したように聞こえてくるから拭すぎだな」
善意かどうかはわからないが、ジェラルドの言うような嫌がらせではないと思う。
そしてそこに隠されたシルヴァンの気持ちは、暗号を解いた後でジェラルドだけが感じ取れるもののはずだ。だからアリエルは余計なことは言えないし言わない。
「君の言う通りだ。俺に残された暗号なのに、関係ない人間に解いてもらおうと言うのは間違いだな。一緒に考えさせてくれ」
「はい」
ジェラルドは紫色の目をふわりと細めた。
「お見合いパーティーに君のような女性が来てくれたことを嬉しく思う。うちが資産家でよかったな」
それは、玉の輿狙いでアリエルが訪れたことを揶揄しているのだろうか。
アリエルはちょっぴり恥ずかしくなって、頬を染めてうつむいた。
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