第3話:クロックアウト


情報システム課。

神谷蓮かみや れんは端末に並べた三つの画面を睨んでいた。

左にベッドサイドモニターの生ログ、中央に病棟のナースステーション連絡記録、右に看護記録の入力履歴。秒単位で並べ替え、重ねては剥がす。


「係長、タイムライン、きれいに色分けします?」

篠田葵しのだ あおいが付箋の山を抱えて顔を出す。


「見やすければ何色でも」


「じゃあ“事件っぽい赤”で!」


「……赤はやめて。落ち着かないから」

真壁沙耶まかべ さやが淡々と制した。


神谷はEnterを叩き、必要最小限だけ抽出した。


【モニターログ(抜粋)】

01:29:58 ECG:II誘導、HR 68bpm、SpO₂ 96%、整脈

01:30:12 ECG入力ロス検出(LEAD OFF)/波形消失

01:30:13 警告出力開始:SYS_WARN_302(接続異常)

——(以後、波形入力なし)


【病棟連絡・機器連動(抜粋)】

02:00:41 ナースステーション端末に“病室◯◯ 警告音”ポップ表示

02:01:07 病室前NFCタグ接触(巡視到着ログ)

02:04:05 救命コール


【看護記録(入力履歴)】

02:05 《夜間巡視。アラーム音異常。自発呼吸なし》

02:06 《医師コール、酸素投与準備》

02:29 《死亡確認。主治医立会い》


神谷は、三つの窓を指先で静かになぞった。

「――“切れた”のは01:30。病棟側が“気づき、動き始めた”のは02:00前後。乖離は約30分だ」


「30……分」

篠田は付箋の束をなぜか胸に抱きしめる。

「夜勤の30分って、体感3秒だったり3年だったりしますよね……まるで返信のこないLINEみたいですね」

「はいはい……気持ちの問題ってことね」真壁は相手にしないように軽く返事する。


神谷は続ける。

「“異常に気づくまでの誤差”は、業務の重なりと、人が“気になるところに意識が乗るまでのラグ”で説明はできる。巡視、点滴更新、他室対応……認知の立ち上がりは常に遅れる」


「なるほど……たしかに、いつもは気にならない時計の秒針の音が寝れないときだけ気になるみたいな……でもいつもと違う音と違うなら、逆に気づきやすいんじゃないですか?」

篠田が首を傾げる。


「そこが問題ね」真壁が画面を拡大する。

「モニターが出したのは“致死的不整脈アラーム”ではなく“接続異常のシステム警告”。音色が柔らかいぶん、優先順位が下がる。夜勤の環境ノイズに埋もれた可能性があるわ」


神谷は短く頷く。

「さらに、記録の時刻は“気づいた瞬間”ではない。実際の入力は02:10以降の“追記”で、端末上は02:05に整合させてある。現場はまず動き、書くのはあとだ」


「事後入力ってやつですね……看護師さん忙しいですもんね」

篠田が小声で感嘆した。


「01:30 から02:00。30分の空白。自然死であれ、事故であれ、この空白の意味は大きい」神谷は静かにまとめる。


真壁が椅子を引き、背筋を伸ばす。

「――病棟に行って、直接聞きましょう。“その30分”に何があったのか」


篠田は付箋を腰のポーチに突っ込み、勢いよく立ち上がった。

「了解! “現場百遍”ってやつですね! あとで私、見取り図にかわいい色で――」


「かわいくはしなくていい」

神谷が上着を手に取り、ドアへ向かう。視線はもう、数字ではなく廊下の先にある現場を見据えていた。


(波形が消えた1分と、人が動き出した30分……その差に、なにか意図が混ざっていないか――)


三人は無言で頷き合い、病棟へ向かった。次に確かめるのは、耳と足で掴む事実。

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