第2話:記録室の追跡者


——会議室から自席へ戻る廊下。

神谷蓮は深く息を吐いた。

ついさきほどまで、医療安全管理室の会議で医師たちとやり合ったばかりだ。

「心不全は自然死」と片づけようとする空気に、胸騒ぎを感じていた。


行き場のない感情と疑念だけが膨らんでいる。


その疑念を抱えたまま、情報システム課のフロアに足を踏み入れる。


そこには、神谷と同じ部署で以前から調査業務に協力している二人が待っていた。


篠田葵。しのだあおい4年目の職員。

天真爛漫で突拍子もない発言を連発するが、不思議と場を和ませる存在。

記録室の仕事を“探偵ごっこ”に例えては、真壁に叱られている。


真壁沙耶。まかべさや複数の部署を経験したベテラン。

冷静沈着で、誰よりも記録の整合性に厳しい。

普段は無表情に近いが、的確な指摘とツッコミで、葵の暴走を抑える抑止力でもある。


「係長〜。会議どうでした?」

篠田がひょこっと顔を出す。


「……重かった」

神谷は淡々と答える。


「えぇ〜。もっと会議あるあるとか聞きたいのに! ドーナツ出ました、とか」

「……出るわけないでしょ」

真壁が冷ややかに切った。


篠田はむくれた顔をしながらも、神谷の机の上の資料に視線を落とす。

「なになに……カルテ? また、関係ない仕事引き受けてきたんですか?」


「……違う。これもちゃんとした仕事だ」

神谷はモニタを指さす。

「この症例、記録におかしな空白がある」


真壁が覗き込み、画面を指で押さえた。

「ここ。巡視とモニターとアラームの入力時刻がずれてますね」


「おぉ〜、本当に事件ですね!」

篠田は身を乗り出して大げさに声をあげる。


「……不謹慎」

「……仕事中」


神谷と真壁の声がぴたりと重なった。


「ダブルで冷たいっ!」

篠田は頭を抱えてわざと倒れ込む。

その瞬間、真壁が手にしていたファイルで軽く篠田の頭をペシリと叩いた。


「っ……!」

「うるさい」

沙耶は無表情のままそう言い、ファイルを手元で丸めていた。


「ひどい! 労災です!」

「……はいはい」

神谷が相手にしないまま、キーボードを叩き続ける。


だが、笑いの裏で神谷の目は鋭さを失わなかった。

(小さな齟齬でも、命を奪う。ここには必ず理由がある)


「……システムの記録も調べるが。患者の経歴を確認する必要がある」

神谷が言うと、葵の目がきらりと光る。


「出ました!VIP室にいた患者についてですね! 記録室発・週刊VIP! 病院の裏ネタスクープ号!」


「っ……!」

バシッ。真壁が手元のファイルで、再度、篠田の頭を軽く叩いた。


「いったぁ〜! 沙耶さん、叩きすぎです!」

篠田は涙目を作って頭を押さえる。


「遊んでる暇があったら、データベースを検索して」

真壁は冷たく言い放った。


「はーい……。でも、もし本当にスキャンダル出ちゃったらどうします?」

篠田が端末を操作する。


数秒後、画面に表示された患者情報を篠田が読み上げた。

「でました……えっと、最終職歴が“病院監事”。そう記載されています」


「えっ……元監事?」

真壁が目を丸くする。

「つまり、この病院の偉い人だったってことですか? VIPってそっち系?!」


神谷は黙ったまま画面を凝視する。

(……やはりただの“急変”じゃない可能性があるな。)


葵のはしゃぎ声とは裏腹に、三人の間にじわりと緊張が広がっていった。


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