カール2

 改めて、本題に入る。やはりカールも『霧中』が古い曲だというのは知らなかった。

〈二〇一五か一六年ってことは、最初のメジャーデビューの話が出たころか〉

 ファンブックには書いていないが、ブルーAは一度、メジャーデビューのチャンスを逃している。インディーズでアルバムをリリースし、人気がどんどん上がっていたころ、大手レコード会社から声がかかった。しかしその話は、勇の結婚でご破産になったのだ。

「私、いまひとつ理解できてなかったんだけど、どうして結婚でデビューがなくなったの?」

〈芸能人が結婚すると人気下がることあるでしょ? ダニーは一番人気だし、おまけにファンとのデキ婚でしょ。女性ファンが激減するかもってレコード会社が心配したんだ〉

 小さなライブハウスでは、演奏を待つ間や終わったあとなど、出演者が観客にまじってステージを見ていることがよくある。そこで直接メンバーと交流できるのがライブハウスの魅力のひとつで、距離が近い分、ファンにとってはメンバーに顔や名前を覚えてもらえる特別感がある。人気が出てからは会場に迷惑がかかるのでそういうことはなくなったが、それまでの交流でそうした特別感をいだいてくれているファンは、ツアーの際には熱心に日本全国どこでも追いかけてきてくれる。結婚を機にその熱が失せてしまうことを恐れたのだろう。

 カールはデビューが流れたときのことをどう思っていたのだろう。聞いていいものか迷っていたら、カールが勝手に話してくれた。

〈ダニーは結婚をやめたり先送りにするつもりは全然なかったんだよ。俺らも別に結婚したってバンド続けるんだからいいじゃんって思ってたんだけど、レコード会社はどうしてもそこにこだわってて。で、話し合ううちに、なんかそもそもレコード会社がやろうとしてることと、俺らがやりたいことってちょっと方向性が違うのかも、っていうのが色々わかってきて。これはどのみちうまくいきっこないなってことで、そこからのデビューはなくなったってわけ〉

「惜しいとか思わなかったの?」

〈確かにでかいチャンスだったよ。でもまあ、メジャーかインディーズかってとこにはあんまりこだわりなかったし。俺たちならどうにかなるんじゃねーかな、と思ってた部分もある。一社声をかけてくれたんだから他からも来んじゃね? って。実際、翌年にはメジャーデビューだからね。ほーらやっぱりなって感じ〉

「結局、勇の結婚ではそこまでファンは減らなかったってこと?」

〈もちろん、少しは減ったよ。でもどっちかっていうと、梨花への妬みの方が強かったみたい。だから結婚を発表したあと、梨花はライブハウスに来なかったでしょ〉

「え、あれってそういうことだったの?」

 結月はてっきり、妊娠や子育てがあったからだと思っていたのだが、そうではなかったらしい。同じバンドを追いかけていれば、ファン同士でもつながりができる。その中のひとりだった梨花が、憧れの対象であったはずの勇と結婚して、しかも妊娠していると聞かされれば、確かにファンとしては心中穏やかでいられまい。

〈やっぱり、最初聞いたときはびっくりしたよなー。ダニーが梨花とつき合い始めたって聞いたらすぐ結婚だもんな。結月は知ってた?〉

「知らなかった」

〈だよなー。でもまあ、熱心に聞きに来てくれてたし、俺らにとっては妹みたいな感じだったから、みんな喜んだけどね。逆に、なんであんなしっかりしたいい子が、江口なんかとつき合ってたのか不思議だよ〉

 江口の名前が出てきたところで、話を本筋に戻す。

「今って江口とかGAXEとは交流ある?」

〈ベースとは仲いいよ。でもバンドとしてはまったく接点ない。俺たちがメジャーデビューしたころにはもうGAXEは下降線をたどってたから。まあ、デビュー前もライブハウスでしか会うことなかったけどね〉

「ライブハウスのころのGAXEはどんな感じだった?」

〈俺、GAXEそのものは嫌いじゃないよ。曲が始まったらハイハット鳴りっぱなしで、うるせー! って感じなんだけど、それがクセになるんだ。ただメンバーがなー。ベースは気のいいやつだけど、あとのふたりがさ、なんつうか、品がないんだよ。どけどけオレサマが通るって感じ? 荒くれ者みたいな感じで格好つけてるつもりかもしんないけど〉

 邪魔なものは全部蹴散らしてでもまっすぐ進もうとするものだから、彼らのためを思って言ってくれている言葉も、中身を確認する前に突っぱねてしまうという。

〈今回の件でベースのそいつもすげえ迷惑してんだって。江口のやつ本当にだれも通さず週刊誌に持ってったもんだから、メンバーはレコード会社から相当詰められてるらしいよ。自分だってなにも知らないのに、勘弁してくれって言ってた〉

 そのベーシストから聞いた話では、九月に切れるGAXEとの専属契約を、レコード会社は更新しないつもりだという。デビューシングル以降はヒットらしいヒットがなく、ちょっと前に出したアルバムもまったくと言っていいほど売れなかった。GAXEとしての音楽の仕事も今はほとんどない。ベーシストだけは他のアーティストのサポートなどで少し稼ぎがあるが、ドラマーにいたってはバイトを掛け持ちしていて、そろそろ本気で職探しを始めようとしているらしい。バンドを続けることにこだわっているのは、もはや江口ひとりだけなのだ。

 GAXEが結成したのはブルーAが結成する一年くらい前。もともと別のバンドで活動していた三人なので、実力はそこそこあって、それぞれのバンドのファンを引き連れてきたので最初から結構な固定客がついていた。ライブハウスで演奏していたころのGAXEはライブをやれば客席は超満員になり、観客がジャンプして会場が揺れたらしい。

〈GAXEの場合、インディーズの方が合ってると思うんだよな。実際、テレビは全然出ないけど、全国のライブハウスめぐってすげえ人気になってるバンドとかいるし。でもGAXEはなんでかメジャーにこだわっちゃったんだよな。まあ、確かに市場規模も知名度もメジャーの方がでかいからね、気持ちはわからないでもないけど〉

「でも『YOUR KIND HANDS』はあれだけ売れたのに、どうしてあとが続かなかったんだろう」

〈皮肉なもんでさ、あれだけ売れた曲なのに、古くからのファンにはいまひとつの評判なんだよ〉

「なんで? 私はいい曲だと思うけど」

〈よくメジャーデビューしたら丸くなったとか、つまんなくなったとか嘆いてるファンがいるじゃん。まさにそれ〉

 結月が知っているGAXEの曲はデビューシングルの『YOUR KIND HANDS』だけなので、ぴんとこなかった。それを察したカールが補足してくれる。

〈曲は悪くないんだけど、どれも雰囲気が似てんだよな。あとは歌詞が弱い。常識の馬鹿野郎! 腐った社会は滅んじまえ! って中二病こじらせた感じの曲ばっか。でも『YOUR KIND HANDS』だけは別格。反骨精神とロマンスをうまく織り交ぜてある。カラオケに行けばみんなで一緒に盛り上がれて、歌いやすくてかっこいいメロディー。GAXEのくせにできすぎてる〉

『YOUR KIND HANDS』は、名家のお嬢様と、その子を厳しい家から連れ出そうとする不良少年の恋を描いた曲だ。「ここから君をさらって いい子の服はやぶって 星空だけをまとって俺と踊ろう」と繰り返すサビは、一度聞けばすっと耳になじむフレーズだ。終盤で曲のタイトルが「誘拐犯」のダブルミーニングになるという遊び心もある。

〈結局はまぐれ当たりだったってこと。セカンドシングルからは元の曲調に戻したけど、デビュー曲のセールスの足もとにも及ばないのがなによりの証拠だよ〉

「辛口だね」

〈だって事実だもん〉

 ブルーAに入る前のカールは、高校生離れしたギターテクニックと口の悪さのせいで、いくつものバンドに入っては仲違いすることを繰り返していたらしい。音楽の基礎はブルーAの中で一番しっかりしている上に、とても耳が良くて、ガレージではいつも勇のギターを奪いとるようにしてチューニングを直していた。

 それからしばらく互いの近況報告と昔話をした。ヨシュアがなかなか会えなくて寂しがっていると伝えたら、カールは口を大きく開けて笑った。

〈自分からは絶対連絡してこないくせによく言うよ〉

「まだしばらく旅は続けるの?」

〈いったん日本に帰ろうかと思う。ダニーがこれからどうするつもりなのかわかんないけど、もし俺たちの力が必要ってなったら、すぐにいける距離にいたいじゃん〉

 結月はその言葉に嬉しくなった。ブルーAは解散しても、四人のつながりが途絶えたわけではない。

〈でもさあー、そのこと事務所に伝えたらさ、しばらく帰ってくんなって言われたんだよ。ひどくね?〉

 おしゃべりな上に沸点が低いカールが、マスコミと激突することを恐れているのだろう。ただでさえ勇の所在を掴めていない事務所としては、これ以上風当たりが強くなるような事態は避けたいのだ。

「帰ってこない方が平和かもよ?」

〈えー、だってさ、なんか俺だけ逃げてるみたいで格好悪ぃーじゃん〉

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