店長

 窓の外から容赦ない日差しが差しこんでいた。冷房で冷えた右腕に、じりじりと焼きつけるような熱さが広がっていく。

 信号待ちで、カーナビに流れるテレビへ視線を向けた。

 週刊誌が発売されて六日が経つが、新しい情報はほとんどない。週刊誌を元にしたほんのわずかな情報に、勇の生い立ち、ブルーAの経歴、関わりのあった人間に聞いた話などの衣をたくさんくっつけて、トップニュースにふさわしい豪華な話題に仕立て上げようと必死になっている。話のネタ程度に知りたいだけなら十分だが、ちゃんと把握しようと思うとまったく情報が足りない。今では、そこで紹介される情報よりも、どういう印象で報道されているかを知るためだけにTVをチェックしていた。

 ネットはもっとひどい状況だ。SNSは批判や嘲笑や勝手な憶測であふれていて、読んでいるとめまいがしてきた。ブラウザの検索バーに「ダニー」と打ちこむだけで、予測検索が「ダニー 盗作」「ダニー 霧中 盗作」「ブルーA ダニー 週刊誌」などひどい文字列で埋め尽くされた。それだけ多く検索されているということだ。しかし実際に検索でヒットした画面は、どこもほとんど同じ内容で、検索結果の下の方にいたっては、どこかの記事をそっくりそのまま転載したものばかりだ。

 カーナビのテレビをちらちら見ながら、自宅から車で一時間弱走って地元に向かう。

 中学生のころに通っていた塾がある駅の近くのコインパーキングに車を停め、住宅街をしばらく歩く。数年ぶりだが、住宅が密集し迷路のように入り組んだ細い道は、当時とまったく変わっていなかった。

 裏道を十五分ほど進んだころ、突如、車の行列が現れた。公園をとり囲むように、バンや中継車がずらりと並んで停まっている。昼間でもあまり人が通らない普段の落ち着いた雰囲気を知っている結月には、その光景はあまりに異様で、思わず歩みが遅くなる。

 そこから一本曲がると、今度は人が行列を作っていた。住宅の塀沿いに脚立やカメラを載せた三脚が並んでいて、その周りにジーンズやパーカーなどのラフな格好の人が群がっている。ざっと見ただけでカメラが十数台、人間はその倍以上はいた。家の中で動きがないかじっと待ち構える彼らの姿は、電線にすずなりになったカラスを思わせた。道を塞がないよう配慮しているつもりだろうが、そのために向かいの家の門や車庫を塞いでも平気な顔をしている。似たような映像はテレビで何度も目にしたことがあるが、実際に自分の目で見ると、奇妙を通り越して不気味だった。実家でこんなに集まっているということは、勇の自宅にはもっといるはずだ。

 週刊誌が出てから、勇は未だに公の場に姿を表していない。今日になって一部の関係者から、所属事務所のマネージャーさえ勇と連絡がとれない状況であることが明かされた。どうやら事務所がかくまっているわけではなく、本当に所在がわからないらしい。だから報道陣の熱の入りようも違うというわけだ。

 たまたま通りかかったふりをして、その中のひとりに声をかけた。

「なにかあったんですか?」

「ああ、ここね、ダニーの実家なんですよ。でも本人はいないみたいっすね。最初は父親も応対してくれたけど、今じゃ閉じこもっちゃって、電話も切ってるみたい」

 まいった、という顔をしつつも男は得意げにしゃべり続ける。今は父親ひとりで住んでいるとか、いつもあの窓の部屋にいて、たまにカーテンのすき間からこっちを見ているとか、二階の角にある窓がかつて勇の部屋だったとか、聞いてもいないことを次々教えてくれた。

「本人はいないとわかってるのに、どうしてこんなにたくさん人がいるんですか?」

「もしかしたら帰ってくるかもしれないでしょ。それか父親の気が変わって出てきてくれるかもしれないし。その瞬間を撮り逃すわけにいかないからね」

「近所の人から文句言われたりしません?」

「そりゃあ、言われることもありますよ。でもほら。もしかしたら文句を言うご近所さん見たら、迷惑かけちゃいけないから適当にコメントして追い払おうとか思って出てきてくれるかもしんないでしょ」

 網に魚を追いこむために川岸の草を蹴る子どもみたいな、無邪気な顔でそんなことを言う男が気持ち悪くて、結月はその場を離れる。

 実は結月も勇の親に話を聞ければと思って来たのだが、とても接触できるような状況ではないので諦めることにした。

 いったん車に戻り、十五分ほど走る。

 こちらはずいぶん雰囲気が変わっていた。記憶の中では林の間に住宅がぱらぱらあるくらいだったのに、今では林はすっかりなくなり、同じような形のきれいな新築住宅が建ち並んでいる。すっかり変わってしまった道を勘でしばらく走ると、突然、通りの角に目的の店が現れた。店の前に車を停めてあたりを見回すと、ようやく現在の景色と頭の中の地図がつながった。

 ガラスの扉に書かれた〈Rockロック Springsスプリングス〉の文字は、最近ぬり直したのか、文字の輪郭がきりっとしていて立体的に見えた。

 店内には控えめの音量でザ・フーが流れていた。床から天井まで、壁をすき間なくギターが埋め尽くしている。あまりにきれいに並んでいるので、幾何学模様の壁紙みたいに見えてくる。

 ドアベルの音で、レジにいた店長が無言でこちらを振り向いた。真っ黒いブーメランみたいな眉毛に、ひとつにまとめたさらさらの長髪。室内なのにビンテージのデニムジャケットを着ていて、手には凶器と見紛うほど大きなシルバーの指輪がはまっている。楽器屋以外で見かけたら震え上がってしまう店長の見た目も、店内の雰囲気も、あのころからまったく変わっていない。

「取材ならお断りだよ」

 あいさつをしようと近づくと、店長は敵意むき出しの目で結月をにらんだ。勘違いだとわかっていてもひるんでしまう、凄まじい迫力だった。

「記者じゃないよ。ファン一号」

 三秒ほどかけて、店長の眉間からしわが消えた。眉毛の引き立て役に徹していたビー玉みたいな目をいっぱいに見開いて、結月の頭から足まで視線を二往復させる。

「一号! 結月か!」

 ガレージにブルーAの練習をよく見ていた結月のことを、店長は「ファン一号」と呼んでいた。尚人もよく来ていたが、レディーファーストということで結月が「一号」、「二号」が尚人ということになっていた。ちなみに店長は「零号」らしい。会うのは十年ぶりくらいになる。

「なんか雰囲気変わったか? 名前言われるまでわかんなかったぞ」

「店長は全然変わってないね」

「んなわけあるか。今年でもう五十だぞ」

 コージー・パウエルの死んだ年齢だ、とかなんとか結月にはわからない話にシフトしてしまい、しばらくは黙ってあいづちを打つことに徹した。結月の周りの男性陣はときどき、結月の音楽の知識を買いかぶりすぎる。

 レジの後ろの壁にはブルース・スプリングスティーンのLPが飾ってあり、その横にはブルーAの最後のドームツアーのポスターがはってある。ニューアルバムを出したときやツアーが決まるたびに新しくはり替えていたポスターは、余白に四人のサインも入っている。はしが少し破けていて、すき間から元の壁の色が見えていた。

「勇とは連絡とれてる?」

 話が途切れたところでそう尋ねると、店長は少しだけ神妙な顔になった。店長だって、結月が世間話をしに来たわけじゃないということくらいわかっている。

「ダメだな。多分ずっと電源切ってるんじゃないか」

「やっぱり? 梨花ちゃんもダメなの。さっき記者に聞いたんだけど、自宅にも実家にも帰ってないみたいで」

「まったく、とんでもないことしてくれたもんだ」

 それはもちろん、週刊誌に対する悪態だ。

「ブルーAの三人はどう? なにか聞いてない?」

「いや、あいつらもなにも知らないみたいだ。やっぱりダニーとも連絡とれないって」

「解散したあとも四人って連絡とり合ってたんだ?」

「別にケンカ別れしたわけじゃねえからな。現にダニーのこと心配してたし」

 結月の中にあった心配がひとつ消えた。結月は解散後の四人とはまったく連絡をとっていなかったので、四人の仲がどうなっているのかわからなかった。今の状況では、味方はひとりでも多い方がいい。

 解散の話になったので、ついでに聞いてみる。

「ちなみに、解散の理由って店長は知ってる?」

 店長は「いや」と即答する。

「バンドの中のことは、バンドにしかわからねえからよ」

 店長のドライな口調にかすかにまじる、自分はその中には入れない寂しさが結月には痛いほどわかった。友達とバンドメンバーの間に広がる、埋めようのない距離を噛み締め、結月は「そうだよね」とうなずく。

 それからは少し雑談になった。今はなにをしているのかと聞かれ、結月はペンネームの上に本名を書き足した名刺を店長に渡した。

「あ、そっか。小説書いてるんだったっけ」

 そういえば、店長にきちんと報告したことはなかったかもしれない。結月が新人賞を獲ったのはもうブルーAが売れたあとで、そのころには結月もすっかりここに寄りつかなくなっていた。

「人には言わないでね。一応、顔も本名も伏せてるから」

「ああ、その方がいいよ。なにかあってもまだいくらか隠れようがあるからな。あいつらは生身で歌う商売だから、そういうわけにいかなかったけど」

「お店にもやっぱりマスコミが来る?」

「何人もきたよ。みんな聞くのは昔のことばっかりで、どんな少年でしたか、なにかトラブルはありませんでしたか、家庭に問題があったんですか、って喜々として聞いてくるんだ。こりゃなに言ってもこいつらがしたいように料理されるんだろうなと思ったから、今はなにも言わないで追い返すようにしてる」

 ファンの間で、ロック・スプリングスはブルーAの聖地としてよく知られている。ブルーAが生まれた場所であり、練習場所であり、ドラムのジョーがアルバイトをしていた店として、インタビューでも何度も名前が上がっている。しかし店の場所はすぐに調べられても、この店長から話を聞き出すのは簡単じゃない。

「あいつらに会えたら、たまには店に顔出せって言っといてよ」

 去り際、店長はそんなことを言った。

「ガレージは今も残ってるの?」

「今はちゃんと車入れてるよ。でも今もたまにガレージで練習させてくれって若いバンドが来るんだ。冗談じゃねえっつーの。うちは貸しスタジオじゃねえわ」

 ここは一階がガレージ、二階が店舗、三階が店長の住居になっている。あのころの勇たちは学校が終わるなり毎日ここに来て練習していた。店長は口にしたことがないが、使っていないガレージだったとはいえ毎日何人もが集まるのは気を遣うし、苦労もあったかもしれない。

「もしブルーA級の未来あるバンドが来たら、どうする?」

 興味本位で聞いてみたら、店長は鼻息荒く言いきった。

「あんなのがほいほい出てきてたまるかっつーの」

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