文化祭

 夏休みが明けると、学園祭の準備が本格的に始まる。結月たちのクラスでは喫茶店をやることに決まった。

 帰りのホームルームで、クラス委員長の女子生徒が立ち上がる。

「今日も学祭の準備をするので、残れる人は手伝ってください」

 昼間は授業があるので準備に使えるのは放課後しかない。部活がある人は参加できないので、必然的に教室に残るのは帰宅部や毎日活動がない緩い部活の生徒だけになる。結月も一応の義務感と、あとで後ろ指さされたくないという打算から参加していた。結月が所属している文芸部は週に一度しか活動がないので、ほとんど帰宅部みたいなものだ。

 教室をお店にするための内装の準備や、メニューやチラシを書いたり、そのための材料を買いに行ったり、手分けしながら作業するのだが、なにせ十人程度しかいないので、ひとりひとりの作業量はそれなりのものになる。当日が近づいてくるにつれ、進捗しんちょくの遅れがはっきりと目に見えてきて、焦りが募っていく。

 委員長が帰ろうとする勇に声をかけたのは、そんなときだった。

 勇は「バンドの練習があるから」とさっさと帰るひとりだった。当然みんな軽音楽部の練習だと思いこんでいたが、勇がすでに退部していると聞きつけただれかが委員長に告げ口したらしい。

「加賀谷くん、今日も練習?」

「うん」

「でも軽音、辞めたんだよね?」

「別のバンドの練習」

「それって学祭と関係ある?」

「学祭出るから」

 結月はテーブルクロスを縫う準備をしながら、ふたりの会話を見守っていた。

 嘘は言っていない。勇は聞かれたことにもきちんと答えている。それなのに、ふたりの間に走る溝は深まる一方だ。

「あのさ、できたら有志よりクラスの方を優先してくれないかな? 準備もう結構ギリギリで、ひとりでも手伝ってくれる人が増えると嬉しいの」

 結月には、委員長がとても気を遣ってしゃべっているのがわかった。ケンカをしたいわけじゃない、手伝ってほしいのだと、冷静にお願いをしている。けれど勇はそんな彼女の感情を汲みとる間もなく、いつもの無表情で即答してしまう。

「当日の仕事はちゃんとやるよ」

 会話が途切れ、嫌な間が空く。いつの間にか、教室中のクラスメイトたちがちらちらとふたりを見ていた。数秒間、言葉を失っていた委員長は、今一度、勇に懇願する。

「部活やってないなら、こっちの準備もやってほしいんだけど」

「俺にとっては部活より大事だから」

 はっきり言った勇は、帰りじたくを済ませて教室から出ていってしまう。

 とり残された委員長に、仲のいい子たちが駆け寄る。「大丈夫?」「なにあれ?」と口々に心配や怒りを口にする。

 あーあ、と結月はため息をつく。



 勇はその後も居残り準備には参加しなかった。白い目を向けられてもまったく気にする素振りを見せず堂々と帰る姿がさらなる反感を買い、クラスの中での勇の評判は最悪なものとなっていた。優しいクラスメイトが、勇と一緒に昼食を食べる結月を心配して「こっち来る?」と声をかけてくれる場面もあったが、気持ちだけいただいておくことにした。本人が気にしていないし、白い目で見る以上の攻撃をしてくる人もいなかったので、結月がなにかを変える必要性を感じなかった。

 とはいえ勇も勇だ。参加するだけして途中で抜けるとか、いくらでもやりようはある。少しでいいからクラスの一員としての責任を果たせば、彼女らの溜飲も下がるというのに。しかし結月の助言も勇は受けとろうとしなかった。

「部活が許されるなら、こっちだって許されるはずだ」

 どうやら勇は、バンドの練習が部活よりも下に見られていることが納得いかないようだった。軽音楽部よりもよっぽどちゃんと練習しているのに、学外の活動というだけでどうして優先順位が低く見られるのかと、こういう言い分だ。

 確かに、居残り準備を終えた結月がガレージに寄ると勇たちの練習する音が聞こえる。邪魔をしては悪いので中には入らず引き返すのだが、このところ、いつ行っても引き返すことになっていた。だから、頑張っていることはよく知っている。

「だとしても、言いかたはあると思うよ」

 勇に対する文句はひとつも口に出さずお願いに徹していた委員長を、ああもすげなく突っぱねたのでは角が立つ。実際、あのあと委員長と仲のいい子たちは非難轟々ごうごうだった。

 結月の指摘に勇も思うところがあったらしく、しばらく黙りこんだあと、小さくため息をついた。

「それは、俺もそう思う」

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